5.「最後の一線」part 2.
「はー……王女様、戻ってらしたんですね、よかった……」
「急にいなくなるものだから、てっきり開かずの扉に食べられちゃったのかと思いましたよ」
「あら、ごめん遊ばせ? わたくし、少しこの離宮の位置関係を把握したくて、歩き回ってしまったの」
コルの台詞は、当たらずも遠からずといったところで、侍女二人はわたくしの後ろに立っている従僕のウラルにやっと気づく。
「王女様、そちらの従僕はどこで見つけたのですか?」
ミクルが忙しなく耳を動かしながら、違和感を隠そうともせずに質問した。
「あら、どこだったかしら……? たしか、あの場所は……」
「2階の廊下の突き当たりです、ウィノナ様」
「そ、そうですわ! その突き当たりで見つけました」
「突き当たり……ですか……」
ミクルは訝しげな顔をしながらも、それ以上は質問してこなかった。
ウラルはといえば、自信たっぷりに澄ました顔で微笑んでいる。
だいたい、従僕の仕事なんてできるのかしら、この悪魔……
銀のスプーンを磨いたり、スープ入れを運んだりしているウラルを想像すると笑ってしまう。
わたくしの乏しい悪魔のイメージによれば、長椅子でくつろぎながら葡萄酒を煽る姿しか思い浮かばないのだもの。
けれど、侍女たちがいったん下がると、この新しい従者は窓際に置かれた長櫃の上ですっかりくつろいでしまった。
「ちょっとあなた、こんなところに寝そべらないでくださる? やっぱり従者なんて、あなたには向いていないと思うわよ、ウラル!」
「申し訳ございません、ウィノナ様。久々に能力を使ったので、少々眩暈が……」
「まあ……わたくしったら、酷いことを言ってごめんなさい。お休みになるのなら、こちらの長椅子に寝たほうがいいのではないかしら?」
「ふふ……やはりあなたは優しい人だ。わたしはいい上司に恵まれたようですね?」
「……あのねえ、揶揄うのもいい加減にしてくださる? もうあなたが窮地に陥っても、わたくしは放って置きますからね!」
「ふふふ……いや失敬。長椅子に移ってもよろしいですか? ウィノナ様」
「……まあいいわよ。生気は足りているの? ほんの少しならあげてもいいから、無理しないことですわ」
ウラルは笑いながら長椅子に向かって歩こうとして、足がふらついている。
まだ本調子ではないのかもしれないし、今日の夕食には帯同しないほうが良さそうね。
「執事のユーリについて仕事を習ったほうがいいわね。しばらくそこで休んでいらして。夕食には王子殿下がいらっしゃるから、わたくしひとりで行きますわ」
「おっと、王子殿下というと、例の酷い婚約者殿ですか? 私も行って、この目で魂の様子を見なければ」
「そんなに気になるなら、部屋の隅にでも立っていればいいわ。ただし、王子殿下はすぐ人払いをなさるから、そのときは素直に部屋を出るのよ?」
「畏まりました、王女様」
「……ウィノナでいいわよ、あなたって嫌味な人ね」
「ふふ……多少辛辣なのは自覚がありますが、指摘されたのは初めてです」
「あらまあ、あなたの周囲には真のご友人がいらっしゃらなかったのね、お気の毒さま」
わたくしが部屋に置いてあった焼き菓子を食べながら向かいの椅子に座ると、ウラルは不思議そうな顔をして体を起こす。
「ウィノナ様、どうしてそこに?」
「え? だって、あなたも元気なら何か食べられるでしょう? こうしてわたくしが目の前で食べているのを見れば、釣られて食欲が湧くかと思って」
すると、従僕となった悪魔は耐えきれないというように額を押さえて笑い出した。
「あはははっ! 申し訳ございません、ウィノナ様。あなたは本当に面白い方だ!」
「そ、そうかしら……?」
なぜ、この悪魔はこんなにも笑い転げているのかしら……
結局、ウラルは焼き菓子とお茶をしっかり味わって、満足そうに長椅子で眠りについたのだった。
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「私が居ない間、何か問題はありませんでしたか?」
夜8時の鐘が鳴ると、先触れのとおりにジャマナ王子殿下が離宮にやってきた。
食事がはじまっても、わたくしがいい話題を思いつけずに黙っていると、王子殿下から質問されてしまう。
「ええ、これといっては特に……」
わたくしは、斜め後ろの窓近くに立っているウラルを横目に、緊張しながら答える。
その様子に、王子殿下がご機嫌を損ねているのはわかっているのだけれど、余計なことを言ってさらに別の場所に監禁されてはたまらない。
今朝だって、良かれと思って婚約破棄を申し出たら、この離宮に連行されたのだ。
すると、またしても王子殿下が人払いをなさって、気まずい空間に2人きりになってしまった。
ウラルが憐れみの目をこちらに向けて部屋を出ていく。わたくしだって一緒に脱出したいわよ! ウラルの馬鹿! 悪魔! あら、これは単なる種族名でしたわ……
しばらく沈黙の中で食事を続けていると、唐突にジャマナ王子が驚くべき報告をしてくださった。
「今日、ラホーシュが死にました」
「え?」
「貴女のせいではない。治療した後で、私が処刑したのです」
「そ、そうでしたの……」
結局、あの不逞はジャマナ殿下に歯向かったのかしら? わたくしを手に入れれば、王子殿下に成り代われると言っていたものね……
もしかして、父親の大臣共々……?
わたくしがいろいろな思いを反芻していると、王子殿下はこちらを見ず俯いたまま言った。
「ラホーシュが好きでしたか……?」
「は?」
「貴女は……ラホーシュに迫り、振られた腹いせでルクソンに靡いて見せたと……そう証言されました」
何をどうしたらそんな証言ができるというのかしら!
あのとき、一撃で屠って差し上げれば良かったわね!!
わたくしは怒りのあまり、とりあえずニッコリと無難な笑顔を貼り付けたまま固まってしまった。
「どうなんでしょう……? お返事がないということは、まさか……」
「殿……下……失礼ながら、処刑されるようなお方の妄言をお信じになっていらっしゃるのではないでしょうね……?」
怒りのあまり、わたくしの周囲にチラッとプラズマが浮かんでは消える。
いけないわ……防御魔法が暴発してしまいそう……
その音に気づいた王子殿下が顔を上げるのと「ヒィッ!」と短く叫ぶのは、ほぼ同時だった。
「ウィ、ウィノナ、怒らないでほしい……私はその、不安でつい……」
「そうでしょうか? どことなくわたくしに向けられた攻撃の意志を感じましたけれど……?」
「す、すまない……! 貴女が泣いて謝る姿を見たいと思ってしまって……つい責めるような言葉を……」
「まあ、そうでしたの。わたくしを泣かせたいと? それは残念でございます。わたくし、もう十分泣き疲れまして、涙などとうに枯れてしまいましたわ!」
この王子、わたくしが泣く姿を見たいだなんて、どういう趣味嗜好なのかしら!?
こんな殿方に少しでも寄り添おうとしていたなんて、本当に馬鹿みたいですわね!
わたくしは勢いに任せて席を立つと、扉の方へスタスタと歩いて行った。
「待ってくれ、ウィノナ! これから君の部屋へ行ってもいいか?」
「夜も遅くなってまいりましたわ。ご遠慮願います、殿下」
バタン!
「ウィノナ!」
扉を閉める直前に名前を呼ばれたけれど、わたくしは聞こえなかったふりをした。
王族に呼ばれて無視をするなんて……わたくしも処刑の憂き目にあってしまうかもしれないわね。
けれど、もう戻れないのだわ……
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「お早いお帰りで、ウィノナ様」
「まあウラル、あなたひとり? よくこの部屋に入れたわね」
「ええ、うまくごまかしました」
何やら読んでいる本を閉じながら、従僕となった悪魔は、何でもないような雰囲気でわたくしの手にキスをする。
さすがにそれは、やりすぎではないかしら……?
でも、この馴れ馴れしさが今は救いだわ。
二人で一緒に長椅子に座ると、わたくしは背もたれに体を預けてため息をついた。
「はぁ……王子殿下のご友人が、今日処刑されたそうよ……」
「ウィノナ様、それは……」
「ふふ、わたくしもそろそろでしょうね」
ウラルは急に真面目な顔になって、わたくしの肩を持つと正面から向き合う体勢にする。
「あなたは、絶対こんなところにいるべきではない……私と逃げましょう! これはこちらからの提案なので、あなたは頷くだけでいい!」
いつもふざけた薄ら笑いを浮かべているウラルが、何やら真剣な表情になっているので、わたくしは少し楽しい気分になってきた。
「ありがとう。でも扉も開けられなかった悪魔に、この離宮の防御結界が解けるかしら?」