5.「最後の一線」part 1.
開かずの扉を開けてしまったわたくしは、図らずも悪魔と対峙することになった。
「まさか、この離宮が封印されるとは思いもしなかったのですよ。当時はいろいろと追い込まれていたもので」
悪魔の言い訳は、曖昧な上に長々としたものだった。
「少々魔力を消耗してしまいまして、上着を生成することができないため隠れていたのです」
たしかに、上着が見当たらないわ……単純にくつろいでいるだけかと思ったけれど、悪魔にも恥ずかしいという感情があるのかしら……?
「もしよろしければ、私にあなたのお手伝いをさせてくださいませんか? あなたの境遇を聞いて、是非お役に立ちたいのです」
うっかり無様な泣き顔を晒してしまったので、付け込まれたのだろうか? 目の前の悪魔は、胡散臭い笑顔を見せながら、しきりと自分を売り込んでくる。もしかすると、わたくしは既に取り憑かれているのかしら?
ニルヴァーナ王国に悪魔は居なかったので、どう警戒すべきか良くわからない。
確か名前を当てればいいのだったかしら?
あっさりウラルという名前を教えてくれたけれど、これは本当の名前ではないのよね?
怖くないと言えば嘘になるけれど……ジャマナ王子殿下に嫌がらせを受けるうち、魔国における判断基準が極端に下がっているような気がするわ。
少なくとも今のところ、この悪魔は不逞の輩たちよりはるかに紳士だと思う。
だからといって、そうそう気を許すような愚は犯さないつもりだけれど、話し相手ぐらいにならなってあげても良くってよ。
「ところで、ニルヴァーナ王国というのは人間族の国なのですよね? 魔国に隣接していながら、何故今まで侵攻を受けなかったのでしょうか?」
「……そうね、わたくしも不思議です。魔国の周辺には3カ国の人間が治める王国があるのだけれど、今のところまだどこも滅ぼされてはいないみたいですわね」
「では何故、今になって侵攻の危機を迎えているのです? 失礼ながら、あなたは人質としてこの魔国に来たのでしょう? 政略結婚がうまく行けば、あなたのお国は安泰なのでは?」
この悪魔……まさか私がやらかしたことを論っているのかしら?
ウラルに問い詰められて、わたくしはこの状況のすべてが自分の責任であると自責の念にかられた。
「痛いところをついてくるわね、あなた。ご推察のとおりですわ。わたくしが失敗したことで、今の状況を作り出してしまったのでしょう」
「失敗ですか……王子殿下を殴ったのに、まだ処刑されていないのですから、あなたが思うほどの失敗とは受け取られていないのでは?」
「え……?」
「あなたが気づいていないだけで、人間族の国にも何か結界のようなもの、もしくは加護が与えられていて、これまで魔国は手が出せなかっただけなのかもしれませんね」
そんな発想はなかったわ……
魔国の国境には近づかないものとされていたし、ヴィルジェニー・イレイスのような変わり者の魔法使いでなければ魔国に興味を持たない。
少なくとも、わたくしの周囲では魔国の話題に触れる者は居なかったし、存在は知っていても無いものとして目を逸らし続けてきたのだ。
でも……そうね。
侵攻の時期が近くなって、国境の防御結界が強化されたとアトマは言っていたっけ……
なぜ国境をそんなに守り固めるのかしら?
魔国にとってみれば、ニルヴァーナ王国の戦力など無いにも等しいはずなのに……
一体何を恐れて……
わたくしがそこまで考えるに至ると、廊下が騒がしくなってきた。
「嫌だわ、わたくしったら侍女の目を盗んでこちらに来ましたの。わたくしが煙のように消えてしまったので、侍女たちが怒られてしまうんじゃないかしら?」
「この離宮には、後3つくらいは開かずの扉がありますよ。迷信深い魔物たちは、ちょっと抜けたところがあるようでね」
「え? どういうこと?」
「失礼、あなたの生気を少々拝借します」
そう言うと、ウラルはわたくしの頬に手を触れる。
「んっ……!」
周囲の景色が一瞬歪んだと思うと、わたくし達は小さな窓が高い位置にあるだけの、殺風景な部屋に移動していた。
「すごいわ……! これは空間移動ですの?」
「おや、あなたは信じてくれるのですね? 前回この能力を使ったときは、幻術だろうと酷く揶揄されましたが」
「えっ? これは幻術でしたの?」
「……違いますよ、姫」
そう言うと、ウラルは片膝をついて、わたくしの手を取る。
「私はこのように部屋と部屋を行き来することはできますが、廊下に出ることはできないのです。どうか私をあなたの従僕にしてください。命令を受けさえすれば、廊下に出ることも可能になるので」
一体どういう理屈なのかしら……?
離宮の封印が関係しているということ?
「助けてあげたいけれど……やはり難しいわ。わたくしはこの離宮に閉じ込められている身ですし、新しく誰かを雇い入れるような権限は持っていないんですもの」
「問題ございませんよ。あなたが私の帯同をお許しくだされば、後はこちらで上手い具合にしますので」
「えっ? どういうこと? 先程あなたは上着がなくて外に出られないと……!?」
目の前で畏まるウラルを見ると、先ほどまで着ていなかったはずの黒い上着を着用している。
わたくしの生気を奪って、悪魔の力が復活したのだろうか?
だとすると、危険なのではないかしら……
「ウラル、あなた本当は結構自由なんじゃなくて? それにあなたと何か契約したら、命を取られてしまうのでしょう?」
「今回は、私からのお願いを叶えていただく形ですので、あなたにまったく危険はございません。我々の契約は、非常に厳正なものなのです」
「では、こうしましょう。あなたの就職先が決まるまでは、わたくしに帯同することを許します。ウラル、あなたを……本当に従僕でいいの? そ、そう……ならば、わたくしの従僕に任命しますわ!」
わたくしがそう宣言すると、ウラルの立つ床から光が噴出し、一瞬魔法陣のようなものが見えたけれどすぐに消えてしまった。
微妙に古臭い衣装を見に纏っていたウラルは、今時のパリッとしたお仕着せ姿に変わっていて、わたくしにニッコリと笑顔を見せる。
「ありがとうございます、ウィノナ様。それでは廊下へまいりましょうか?」
「ええ、そうね……」
悪魔に差し出された手をうっかり取ってしまって、わたくしは(これで良かったのかしら?)と今さらながらに悩んだ。
でも……仕方ないわね。
この離宮にアトマすら入れないのであれば、ウラルは心強い味方になるはずだわ。
廊下に出たわたくし達は、何食わぬ顔で自分の部屋に戻り、侍女たちが戻ってくるのを待った。