4.「ダウンバースト」part 10.
離宮探検をして何とか気持ちを立て直したわたくしは、王子殿下がいらっしゃるまで開かずの扉をどう開けるか考えてみることにした。
離宮の侍女たちは迷信深いみたいだから、無理に付き合わせるのは可哀想かもしれないわ。
なんて言い訳をしてみるけれど、本当は監視されずに自由を満喫したいだけなのよね……
それに、タウム女史に見つかったら何かと面倒だわ。
アーキアとタウム女史って、一体どちらが上なのかしら?
アーキアは曲がりなりにも侍女なのだし、やはりタウム女史のほうが序列的には上かしら?
控え室にいた侍女に適当な用事を言いつけて部屋から遠ざけると、わたくしはこっそり廊下に出て開かずの扉の前に立つ。
「開かずの扉さん、わたくしを入れてくださらないこと? わたくし、今日からこの離宮に閉じ込められることになりましたウィノナと申しますの。わたくしを匿ってくださったら、どんなお礼でも差し上げますわ」
なんて……少し子供の頃に戻った気持ちで、わたくしは扉に話しかけた。
これからいろんな刺激を与えるけれど、我慢していただきたいわ。
ニルヴァーナ王国では、作業開始前に安全祈願で、こういった廃屋や解体前の橋などに話しかけを行うのだった。
何度か儀式に参加したことがあるけれど、大人たちが真面目に話しかけているのを見て、子供心にほっこりした気分になったものだわ。
「願わくば、あなたを開けるためにこれからいろいろと刺激を与えることをお許しになってね……まずは火魔法であなたを乾燥させましょう。もしかしたら湿気で木目が膨らんでいるのかもしれないし……乾いたら案外簡単に開くのではない? 行きますわね……?」
わたくしが魔法を発動させようと指を上げると、開かずの扉が薄く開いて、爪の長い手が指先を握ってきた。
嘘でしょ……!?
目の前の状況がうまく飲み込めず、わたくしが硬直していると、黒い靄が細く何本も伸びてきた。
「ひ……!!」
声を上げる前に、わたくしは口を塞がれて扉の中に引き込まれる。
魔国の扉を甘く見ていたわ。
防御魔法は発動しなかった。
わたくしの防御魔法を抑え込むほどの、この黒い靄は一体……!?
「静かにしてください……あなたが騒がないと約束してくれれば、酷いことはしない」
男の方……? 声からわかるのは、話が通じそうな殿方ということくらいだった。
わたくしは、焦ってうんうんと頷いて見せたけれど、この黒い靄の中ではお相手に見えなくて無意味だということに気づかなかった。
「どうですか? 私の提案を受け入れてくれるならば、この手をつかんで!」
わたくしが、目の前に差し出された手を夢中でつかむと、グイッと靄の外に引き出されて誰かの胸に受け止められる。
それと同時に、口を覆っていた紐のようなものも解かれ、わたくしはやっと落ち着いて息ができたのだった。
「ウィノナ……という名前でいいのかな? あなたは一体なぜこの扉を開けたいと思ったのですか?」
優しく肩を抱かれ、わたくしはすっかり目の前の男性に気を許してしまった。
この方……女性の扱いに随分慣れていらっしゃるようだわ……痛いほど強過ぎず、でもしっかりと腰を支えられて身動きが取れない。
そのまま、ソファまで誘導されて、自然と二人で並んで座る形になった。
見ると、黒髪で美しい顔をしている。服装は貴族らしくはないけれど、どこか気品のある殿方だった。
「さあ、こちらで落ち着いて話してごらんなさい。私はあなたのお話が聞きたいのです」
美しく笑う男性だなと思う。
優しかった頃のジャマナ王子殿下が、ちょうどこんな笑みをわたくしに見せてくださっていたわ……
今となっては、もうその笑顔も見ることは叶わないのだけれど……
そのせいか、わたくしは今まで平気だと思って抑えていた涙が、意味もわからずこぼれ落ちてしまう。
泣いてはいけないわ、この殿方に嫌われてしまう。王子殿下は、わたくしが泣くとオロオロと困っていらっしゃった。
この方もきっと面倒に思うことでしょう……
「ウィノナ、どうしましたか? つらいことがあったのならば私の胸を貸そう……思う存分泣くがいい。あなたの涙は美しい」
「もっ……申し訳……ございません……」
ちょっとクサい台詞過ぎないかしら? と思ったのは一瞬で、お優しい言葉と懐の深いなさりように、わたくしは一瞬で落ちた。
もう嘘でもいいわ……わたくしに優しくしてくれるお相手に縋りたいの……
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「……なるほど、あなたは人間の姫だったのですね? それでほかの者とは匂いが違ったのですか」
「えっ!? わたくし匂いますかしら……? きちんと服も取り替えておりますのに……」
「いいえ、嫌な匂いではないのでご心配なく。言ってみれば美味しそうな匂いというところですから」
「……美味しそう?」
思う存分お胸をお借りして、泣き腫らした目を扇で隠しながら、わたくしは今さらながら目の前の男性に危険を感じていた。
美味しそう……という言葉は以前聞いたことがありますわ。
ブラディオン様たちと魔国の森を通るとき、わたくしたちは人間であることが魔物を呼び寄せると言われて、臭い消しのローブを着せられたのだった。
優しそうに見えても、やはりこの殿方は魔族なのだわ……
「何も、あなたを取って食おうというのではないからご安心を。ただ、お許しいただけるのであれば、こうして話し相手になっていただきたいのです」
何となく胡散臭いけれど、今のわたくしに味方はいない。
少なくとも敵ではなさそうなので、わたくしはこの殿方の提案を受け入れた。
「よろしいですわ。では、あなたのお名前をお教えくださいますかしら? わたくしはあなたを何と呼べばよろしくて?」
「名乗るほどのものではございませんが……そうですね、ではウラルとお呼びください」
「わかりましたわ、ウラル。わたくしのことはウィノナとお呼びくださって結構よ」
「おや、先ほどの話では婚約者がいるとのことでしたが、私に名前呼びをお許しくださるのですか?」
「先ほども申し上げました通り、婚約者とはもう関係が破綻しておりますの。お気遣いなく、どうもありがとう」
「おやおや、あなたの薔薇のような唇から、急に棘が顔を覗かせましたね。女性を美しく咲かせられない婚約者殿では、あなたも将来さぞかし苦労されることでしょう」
「現在進行形で、十分苦労しておりますわ」
「おや、そういえば先ほど扉の前で、この離宮に閉じ込められることになったとおっしゃっていましたね……婚約者殿はあなたをどうしたいのでしょうか?」
「さあ、異常者の考えなど、わたくしには到底わかりませんわ」
「ははは、何ともお可哀想な婚約者殿だな……では、その穴を私が埋めて差し上げましょうか?」
急に慣れた雰囲気で近寄ってくる美形のウラルに、わたくしは呆れ果てて言った。
「結構ですわ! あなたのお顔も大変美しいけれど、どうせ仮のお姿でしょう? わたくし、造形美の青天井にはもう十分辟易しておりますのよ。これからは魂の美しさに主眼を置きたく存じますわ」
「魂ですか……それはいいお考えです。私は魂には少々こだわりがあるのです。良い魂を持っていると感じた方がいれば、ぜひ教えていただきたい」
「それはもちろん、わたくしのイチ押しはサー……」
得意気にサーラを推薦しようとして、わたくしはふと思いとどまった。
こんな誰とも知れない殿方にサーラのことを教えて、ブラディオン様との関係にヒビが入ったら大変ですわ!
「どうしました? ウィノナ?」
「あなた、良い魂の持ち主などを知って、一体どうするおつもりですの? まさか襲って食べてしまうつもりではないでしょうね……?」
「そんなまさか! 私はただ、就職先を探しているのですよ」
「就職先ですって……? あなた、今もしかして無職ですの?」
「そういうことになりますね、残念ながら」
「だから、この開かずの扉の奥に隠れていらしたんですの? 1年以上も?」
「ええ、まったくその通りで言い訳もできません」
「まあ酷い! お食事はどうされていましたの? 何かお持ちしましょうか?」
わたくしは、自分が追いやられていたひもじい生活を思い出し、とても人ごとではなくなってしまった。
急に前のめりになったわたくしに気押されて、ウラルは少し後ろにのけぞった。
「ふふ……やはりあなたの魂は美しいようだ。私の心配をしている場合ではないでしょうに」
美しい殿方の笑顔が目の前に迫って、わたくしは急に恥ずかしくなってしまった。これでは王女という立場に相応しくないだろう。家庭教師に感情を見せるなと散々怒られていたことを思い出し、わたくしは姿勢を正してゴホン、と咳払いをする。
「先ほども申しました通り、わたくし婚約者に追い込まれて庭の草など食べておりましたの」
「何ですって!?」
ウラルが怒ったように立ち上がり、その辺をうろうろと歩いて、またドスンとわたくしの隣に座る。
「失礼、あなたの婚約者には、かなり問題があると思うな。いくら何でも淑女に庭の草を食べさせるだと!? いや失礼、あなたに怒っているわけではありません」
「ふふふ、そのようにお怒りになっていただけて、何だかわたくし溜飲が下がる思いですわ……実は我ながら何が正しいか正しくないかわからなくなっておりましたの」
「あなたのような目に遭えば、混乱するのも当然でしょう。それで、あなたは何故そんな奴とまだ婚約しているのですか?」
「婚約破棄したいと申しましたところ、王城からこの離宮に連れられてきて、あっという間に閉じ込められたのですわ」
「なんて奴だ!」
「ふふふ、ウラルが怒るとなんだか面白いわ」
「あなたが怒らないのであれば、私が代わりに怒るしかありませんからね。それで、あなたはどうしたいのです?」
どうしたいのかしら、わたくし……
「それが、わかりませんの……祖国を守るには王子殿下を弑逆するしかないと、ある人に言われましたけれど……わたくしは王子殿下にも理由があるのではないかと思ってしまって、実際手を掛けることができるかどうか……」
「……王子が憎くはないと?」
「憎いと思ったこともありますし、実際引っ叩いてやったこともございますわ。でもあの方の本質は……いえ、わからないわね。なんだか拍子抜けしてしまって」
「魔国の王子を殴ったですって……!? ふふ……はははは!! いや失礼! あなたは魅力的な女性だ!」
「ウラルったら、馬鹿にしているわね? わたくしだって後で散々反省いたしましたわよ」
「それで? 王子はなんと?」
「……それは……悪かったと謝ってくださったわ?」
「なんだ、つまらないな。あなたはそれで許してしまったのですか?」
「もう! ウラルあなた面白がっているじゃないの! わたくしは本気で悩みましたのよ!?」
わたくしが怒ると、ウラルは笑いながら謝罪した。
「失礼しました……はぁ。あなたは相当愛されているようですね。だが王子の愛は間違った方向に進みつつある。このままでは、あなたは命を奪われるでしょう」
「やはりそう思う?」
「おや、落ち着いていらっしゃるが……すでに覚悟はお有りでしたか?」
「わたくし……元々、生贄として魔国に送り出されましたの。だから、まだ死んでいないのが不思議なくらいなのです」
「ふむ、なるほど。命を投げ出すおつもりであれば、私がお力をお貸しできますが……どうします?」
ウラルが気になる言い方をするので、わたくしは思わず尋ねてしまった。
「いやですわ、命で贖う取引だなんて……まさかあなた悪魔じゃないでしょうね?」
すると、ウラルは薄い笑いを浮かべて、これまでにないほど恐ろしく美しい表情を魅せた。
「ええ……お察しの通り、私は悪魔なのです」




