4.「ダウンバースト」part 9.
ガシャーン!
と、わたくしの目の前で、鉄製の瀟洒な離宮の門が閉まる。
アトマのこと……王子殿下にはバレていたみたいね……
一体どこまで情報漏洩していたのかしら?
まさか、アトマが捕まったなんてことはないわよね?
離宮の中には広い庭があり、いざというときは食べられる草や実も見つかりそうだった。
でも池がないから釣りはできなさそうね。
ここでの自由行動は許されていないようで、王城では放置されていたのに、こちらではしっかり侍女が付き従ってくる。
それがひとり二人ではなく、10人くらいが付いてくるものだから大変な大騒ぎだ。
「こちら、王女様のお部屋となっております。隣に寝室、反対隣りには侍女の控え室がございますので、ご用がある際にはいつでもお呼びくださいませ」
代表して話しかけてくるのは何となく最年長のように見えるアーキアという侍女だった。アーキアは、離宮では女主人のような扱いを受けているようだった。ほかに執事のユーリ、従僕のクレン、わたくし付きの侍女のコルとミクル、実務担当のタウム女史あたりが、見たところわたくしに関係ありそうな人たちですわね。
「ありがとう、ではわたくしは部屋で休みますわ。今日の夕食は何時かしら?」
「本日は王子殿下がお越しになる予定ですので、お夕食は8時となっております。遅れませんようご用意くださいませ」
……え? またいらっしゃいますの?
まあ、確かに……王子殿下は、婚約破棄にも反対されて、わたくしと一緒に居たいとかおっしゃっていたわね……
食後、ちゃんと王城に帰ってくれるのかしら?
眠れないとか口走っていたし、もしかしてまた膝枕でもご所望になるおつもり……?
王子殿下は確か、軍を出したらもう捨てるというのか……みたいな文句を言っていたわね。
つまり、形だけでもわたくしの願いを叶えてやったのだから、相応の対価をよこせと言いたいのかしら。
そこまで考えると、わたくしはすっかり気が重くなって、ベッドに倒れ込んでしまう。
わたくしは友軍を出してほしいと言ったのに、侵攻するだなんて話が違いますわ……
信用できない相手との取引は、本当に心が削られるようね。
しかし助けの手がなくなってしまったわたくしには、きちんと寝て食べて、頭を働かせて戦いに臨むしかないのだ。
「アトマ、居る?」
ふと思い立ってアトマの名を呼ぶ。
でも室内はしんと静まり返ったまま、アトマの声はしない。
さすがのアトマでも、わたくしの動きを追えなかったのね……
防御結界とは一体どんなものなのか……もしヴィルジェニー・イレイスのような怪我をアトマが負ってしまったら大変だ。
「やはり無理をさせるのは良くないわね……」
わたくしは、これからどうすべきか落ち着いて考えなければいけないのだわ。
サーラが居なくなったときも喪失感はあったけれど、あのときはブラディオン様もいらっしゃって、結婚退職のような雰囲気もあったから何となく耐えられた。
何より、アトマが戻ってくれたのが心強かった気がするわ。
でも、もうアトマにも会えないのね……
こんなに心細いと感じるなんて、わたくし自立できていなかったのかしら?
「はぁ……眠れないわ」
都合よく体を休めることができず、わたくしは離宮の中を散歩することにした。
「王女様、お出かけでしょうか?」
扉を開けると、しっかり控えていた侍女のコルが小走りで寄ってきた。コルは、赤毛をおさげにしたそばかす顔の小さな女性で、何かとこまめに動き回っている。
「ああ、気にしないでいただける? 体を動かしたいだけですわ。せっかくだし、離宮の中を歩いてみたいの」
「それでは、私たちがお供いたします」
やっぱり、そうなってしまうのね……
わたくしとコルの会話を聞いて、もうひとりの侍女も控え室から顔を出す。
大きな耳が特徴的な侍女のミクルは、どう見てもウサギの獣人ね。
離宮に隔離された時点で、わたくしに自由がないのはわかっていたけれど、これはかなり監視の目が厳しいのではないかしら。
だからといって部屋に引き篭もるのも悔しいし、ただ付いてくるというのなら気にする必要はないでしょう。
「では、よろしくお願いね」
さも当たり前のように二人を引き連れ、わたくしは離宮の廊下を気ままに歩く。
「こちらの庭には色別に花が植えられておりまして、庭師の魔法でいつも満開の状態が楽しめます。こちらの部屋は、大きな窓がございまして……」
ウサギ系侍女のミクルは、かなりこの離宮に詳しいようで、細かい部分も漏らさず説明してくれた。
この離宮は、先先代の王妃さまが造らせたお城とのことで、壁や屋根のところどころに魔石が使われているらしい。
その効果で、冬は暖かく夏は涼しい快適な環境が保たれているのだとか。
何系かわからない赤毛の侍女コルは、ニコニコしながら適度な相槌を打って、いい賑やかしになっている。
この二人からは特に悪意は感じないわね……
王城の居室に来ていた魔国の侍女たちは、どちらかというと冷たい感じがしたので、離宮でわたくし付きとなるこの二人には親近感が持てた。
「あら、この扉はどのようなお部屋なのかしら?」
一歩進むごとに細やかな解説を披露してくれるミクルが、なぜか説明を飛ばしたので、わたくしは気になってしまった。
軽い気持ちで聞いただけなのだけれど、コルは飛び上がって青ざめ、ミクルは少し言い淀んでから言葉を続ける。
「そちらは……開かずの扉となっております。危険なので、王女様もお近づきになりませんよう」
「え? 一体いつからですの?」
「数年前から噂が聞かれるようになりまして……正確な時期はわからないのでございます」
侍女の様子から察するに、この離宮には幽霊がいるようね。
とはいえ開かずの間なんていっても、実際は金具が錆びたり壊れて開かないだけ、ということも多いのだ。
わたくしは、今日ずっと一連の流れにムシャクシャしていたせいか、少し意地の悪い考えが首をもたげてしまう。
「数年前であれば、それほど配慮すべき伝統があるわけではなさそうですわね?」
「お、王女様? 何を……!?」
扉の取手に手を掛けてみると、なるほど確かにびくともしない。
「これは……蝶番か鍵の部分が駄目になっているようですわ。交換なさいな」
「それは無理です。この離宮は文化財として保護されていて、ネジのひとつも変えられない決まりになっておりまして……」
「まあ、それでは窓が破られたときは一体どうしますの?」
わたくしが理不尽な詰め寄り方をしたせいで、ミクルの大きな耳は後ろに倒れてしまった。
ちょっとやり過ぎたかしら……とわたくしが反省していると、凛とした声が後ろから聞こえた。
「この離宮の外面にはすべて防御結界が施されておりますので、窓が破られる心配はございません」
この方は……タウム女史ね。
品のあるシックな装いで、実務的な雰囲気を漂わせた黒髪のタウム女史は、何か板のようなものを抱えてメガネを掛けている。
何となく、わたくしの家庭教師に似ているところがあって、少し緊張してしまう。
「まあ、そうですの……それは大変心強いですわ」
「ええ、ですから王女様は、ご安心くだすって結構なのでございます」
「でも、なぜ開かないままに放置しているの? 理由を聞いてもいいかしら?」
正直そこまで興味があるわけではないのだけれど、わたくしは引くに引けなくなって、タウム女史に食い下がってしまった。
「開ける必要がないからでございます!」
ものすごく当たり前のことを、ビシっと答えたタウム女史は、かなりの圧をかけてくる。
わたくしは、一応負けた形になったので、その場は素直に引いた。
俄然、開かずの扉に対する興味が高まってしまったわ。
どうせ暇なのですし、しばらくは開かずの扉のことを考えて、塞ぎかけたこの気持ちを慰めようかしら。




