4.「ダウンバースト」part 8.
朝起きると、ベッド脇に焦げた跡が残っていて、昨夜のことは夢ではなかったという現実に、わたくしは頭を抱えた。
わたくしがやらかしておいて……こんなこと考えるのも何だけれど、ラホーシュ様、無事かしら……?
さすがに不逞とはいえ、殺してしまっては後味が悪いわ。
それに、王子殿下との婚約も破棄かもしれないわね。
「まさかここまで拗れるとは……」
また変に皆さまの前で論われるのも嫌だし、王子殿下とお会いするときに、こちらからそれとなくお話してしまおうかしら?
夜中に剣を突き付けられるほど嫌われているのでは、婚約の継続は難しいでしょうし……
ふと魔国の侍女に焦げ跡を見られたら怪しまれるかもしれないと思い、わたくしは焦げた絨毯をひっくり返しておく。
柄が複雑だから、まあバレないでしょう。さすが王城というか、高級な織物だから裏側は無事だわ。
丁度わたくしがベッドから出て身支度を終えると、魔国の侍女が居室の扉をノックする。
「王子殿下が、朝食をご一緒にとのことでございます」
まあ、驚いた……
意外な王子殿下の勇気ある一手に、わたくしは思わず反応が遅れてしまう。
「……わかりましたわ」
そう返答すると、魔国の侍女たちにゴテゴテと身繕いさせられて、わたくしは朝食の部屋に入ることになった。
「おはよう、ウィノナ姫」
「おはようございます、王子殿下」
昨日のことは、さすがに水に流せないわよね……
静々と席について、給仕にシトラスジュースを注文すると、王子殿下からの視線を感じた。
わたくしの前に、朝食のメニューが一式揃うと、王子殿下が目配せをして人払いされる。
やはり、婚約破棄する流れなのだわ……
「その……ウィノナ。昨夜は本当に……」
「婚約破棄の件ですわね、わたくしに異存はありません」
「え……?」
わたくしは、いつ離席してもいいように、パクパクと朝食を口に運ぶ。
腹が減っては戦ができぬ、以前の仕打ちで学習済みですわ。
王子殿下は、何やら動きが止まって、上げかけた片手をまたテーブルの下に戻した。
せっかくわたくしが、婚約破棄なんて言いにくいことを配慮して申し上げましたのに、王子殿下は歯切れが悪いわね。
しばらく沈黙が続き、わたくしの嚥下音が響いてしまう。
何かおっしゃっていただけないかしら……
「貴女は……まさか逃げる気ですか……?」
「はい?」
唐突な非難のお言葉に、わたくしは思わず聞き返してしまった。
王子殿下に対して、少し失礼だったかしら……?
「私に軍を出させたら、もはやどうでもいいと……?」
「そのようなことは……」
「私は、もう長いことよく眠れないのだ」
「それはお気の毒ですわ……」
「貴女とずっと一緒に居たい、そのために私は……!」
「……?」
王子殿下が何か言いかけたけれど、ご発言をいくら待っても、それ以上のお言葉を聞くことはできなかった。
とりあえず……婚約破棄には反対ということなのかしら?
まあ、こちらにやられっぱなしで仕返しをし足りないということなのでしょう。
わたくしにとっては、寝込みを襲われることで、もう十分にこりごりでしたけれど。
「そんなに睡眠不足でしたら、避暑地でご静養なさってはいかが?」
ルクソン様みたいに……と言いかけて、わたくしは口を閉じる。
さすがに煽りすぎね。
ラホーシュ様も、どうせルクソン様を引き合いに出して王子殿下を煽ったのでしょう。
それで黒焦げになったというのであれば、自業自得ですわ。
「貴女の侍女は……ブラディオンが囲っているそうですね……」
「え……そうでしたの……?」
今のは、さすがにわざとらしかったかしら……?
わたくしは、今はじめて知ったような声で返事をしたけれど、王子殿下はこちらの出方を窺うような視線でお言葉を繋いだ。
「やはり……貴女も、私から離れたい……と思うだろう……いつもそうなのだ」
「いえ、わたくしはただ……」
「そうでなければ何です? 婚約を破棄したいなどと、私の元に居たくないということではないのですか?」
「寝室に剣を持って乗り込まれましては、誰だって婚約破棄への流れかと思うのは当然ではありませんこと?」
「その点に関しては謝罪します。私の判断が間違っていた。あの剣は、あくまでルクソンに向けようとしたものであって、貴女を怯えさせようという意図は決してなかったのです」
「そうですか。では、その点に関する謝罪は受け入れますわ……」
ジャマナ殿下は、わたくしの言葉にトゲを感じたのか、顔を上げたかと思うとまた俯いてしまう。
「やはり……許してはもらえないのですね……」
「わたくしから王子殿下を拒むことはできませんが、王子殿下がわたくしをお嫌いになったのであれば……」
「王子殿下と呼ぶのですね、私たちしかいないこの部屋で」
「ジャマナ……と呼んでもよろしいのですか? 昨夜はずいぶんとお怒りになっていたようですので、わたくしはもう……」
「もう? 私の婚約者という面倒な立場から解放されると?」
「……そんなことは申し上げておりませんわ」
一体どうしたというのかしら?
妙に自分を卑下してばかりいるけれど、ジャマナ王子はもう暴れないのだろうか?
すっかり弱気のワンちゃんになってしまった王子殿下に、わたくしはどう対応したら良いかわからなくなってしまった。
反省しているのなら許すべき?
でも、寝ているところを剣で襲われたのよ?
魔国では普通のことなのかしら?
まあ、王族として、暗殺の危険に晒されることはあるでしょうけれど……
うーん、元々わたくしは生贄だったのだし、これくらい飲み込めということ?
そもそも、わたくしたちの関係に、感情面は影響するのかしら?
わたくしが望みの返答をしなかったからか、王子殿下は立ち上がって、こちらに歩いてきた。
思わず身をすくめると、ジャマナ王子は少し笑って、わたくしに手を差し伸べる。
「怖がらせて申し訳ありません、ウィノナ。もうあのようなことはしないと誓う。ですが、あの部屋にいらっしゃるのはお嫌でしょう。貴女を安全な場所にお連れします」
「はい……」
訳もわからず、わたくしは王子殿下の手を取った。
結局、婚約は破棄されないということ……?
廊下に出ると、衛兵のような者たちに囲まれて、わたくしは離れの建物に連行された。
「王子殿下、ここは……?」
「貴女が自由に使える離宮です。侍女たちにも、失礼のないようによく言って聞かせましたから、安心してお寛ぎください」
これが離宮……?
王城に比べたら小さいお城かもしれないけれど、ニルヴァーナの王宮の2倍はありそうな規模だわ。
急に連れてこられたから、アトマに連絡できなかったけれど、大丈夫かしら……
わたくしが少し不安に思っていると、去り際の王子殿下が思い出したように付け加えた。
「ああ、ここは鉄壁の防御結界が施されておりますので、暗殺者が侵入する危険はありません。貴女の手の者も、たぶん入れないと思いますよ」