4.「ダウンバースト」part 7.
黙々と晩餐会は進んでいった。
魔国では、スープ用のスプーン以外、これといって食器がないのよね。
肉は手づかみで食べるものだし、野菜はスティックになっている。パンをちぎってグレービーソースを染み込ませ、葡萄酒で流し込む。
わたくしの国ではカトラリーが充実していたから、少し面食らってしまうけれど、そんなことでマウントを取っても意味がないので黙って慣習に従うのみ。
サグダラ様は、頬についたパイの汚れも拭わずに、淡々とお食事を続けている。
わたくしも水を飲みたい気持ちはあったけれど、ゴブレットからは黒い羽根がはみ出ているので、手を伸ばせる気がしない。
給仕もあえてゴブレットには手を触れず、わたくしにスープを勧めてきた。
とりあえず水分は、この緑色のスープで補うしかなさそうね……
「どうです、ウィノナ姫、楽しんでいらっしゃいますか?」
ふいに王子殿下が話しかけてくる。
「ええ、とっても」
また「間がある」なんて絡まれたら面倒なので、わたくしはできるだけ自然な感じに答えた。
王子殿下は、わたくしが澄ました顔で食事を続けるのを見て、つまらなそうに葡萄酒をあおっている。
この晩餐会を無事に生き延びるには、無の心で何もかも当たり前と思わなければいけないのだわ。
もしわたくしが名もない貴族であれば、気配を消して王子殿下の注目を浴びないだけで良かったのだろうけれど、残念ながらわたくしは婚約者であり本日の主賓らしいので逃げられない。
ジャマナ王子に付け入る隙を与えず、場を和ませることができればいいわね……
すると、ずっとニヤニヤしながらこちらを見ていたラホーシュ様が、余計な茶々を入れてきた。
「王女様は、ずいぶんと変わった食事が好きなんだとか? 城中の噂になってますよ」
さては……王子殿下に聞いたわね? ジャマナ殿下の顔が動いていないので、動揺してないということは、二人で打ち合わせていたのかもしれない。
「なにぶん、魔国の風習を知らないもので……ラホーシュ様にも申し訳ないことをいたしましたわ」
昔のネタを蒸し返されたくなければ黙っていることね!
ラホーシュ様は、顔を顰めてわたくしを睨むと、何かをこちらには聞こえない小さい声で呟いた。
それを聞いた王子殿下は、顔色を変えてわたくしに助けを求めるような視線を向ける。
何をお聞きになったか知りませんけれど……いい加減ラホーシュ様からは離れたほうがいいと思いますわよ?
仕方がないので、わたくしが苦笑気味に微笑んで見せると、ジャマナ殿下はショックを受けたように顎を引いて目をそらした。
いったい何を言われたのかしらね……?
晩餐会は、食後の水菓子が運ばれてきて無事終わりを迎えそうですわ。
わたくしが軽く安堵のため息をつくと、王子殿下が急に立ち上がって叫んだ。
「駄目だ! 初めからやり直しだ!! もう一度料理をもってこい!」
は? 何を言い出すのかしらこのポンコツ王子は!?
思わずサグダラ様のお顔色を窺うと、サグダラ様もかなり驚いているようだった。
デイビス様は目を閉じて完全に空気と化しているわ。
ラホーシュ様は、なにやら大喜びで引き笑いをしている。おそらく先ほどのご自分のひと言が効いて、王子殿下が取り乱したことが面白いのでしょう。とんでもない奸臣ですわ。さっさと処分するべきよ。
給仕たちは、王子殿下のご命令を厨房に伝えるべく、慌てて部屋を行き来している。従者もとっくに消えていて、王子殿下をお諌めするものは誰も居ない。
この場で、王子殿下の次に立場が高いのはわたくし……なのかしら。目立ちたくなかったのだけれど、仕方ないわね。
「皆さまは、まだまだお腹に余裕がありますのね。さすが獣人というところかしら。わたくしはもう十分お食事をいただきましたので、この辺で失礼いたしますわ」
なかなか失礼な物言いになったかしら?
椅子から立ちあがって優雅に礼をすると、わたくしはスタスタと歩き出す。
王子殿下が何か喚いていたけれど、逆に言えば喚くことしかできないのだ。実力行使して来ないのならば、こちらは自由にしていいということになるわね。
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居室に入ると、わたくしは自力で首飾りを外し、悪趣味なドレスを脱ぎ捨てた。
「はぁ……またやってしまったわ……」
侍女はいない。呼ぶ気もないから丁度いいわ。
機微に聡い下々の者たちは、王子殿下のご機嫌を取ろうと、またわたくしを放置するつもりだろう。
ひとりで着られるドレスもあるし、まあそれほど問題はないでしょう。
それに、サグダラ様たちもあれでいいはずだわ。
わたくしが去れば、主賓のいない歓迎会など自然に解散するはずよね。
問題は、明日の朝食が配膳されるかどうかなのだけれど……
まあ、少し顔見知りになったから、厨房につまみ食いに行くという選択肢も選べるかもしれないわね。
でも、ジャマナ王子、今日はいったい何がしたかったのかわからなかったわ……
以前はかなり王子様然としていたけれど、やはりジャマナ王子は無理して良い子ぶっていたのかしら……?
「まあ、実体はワンちゃんなのだし、元々お行儀よくするのは苦手だったのかも。わたくしも人のことは言えないしね!」
無意味に独り言をいいながら、王子殿下なりに歩み寄っていてくれたのかしら……と、わたくしは振り返る。
窓際に置かれたままの長椅子に、二人で寝転んだこともあったわね……
殿方の振る舞いとしては少々強引なところもあったけれど、楽しい思い出が無いといえば嘘になるかもしれない。
「やっぱり、ひと言くらい謝罪しておいたほうがいいわね……そうすれば、状況が変化しないにしても、わたくしの気持ちがスッキリするんじゃないかしら?」
わたくしは、妙に晴々とした気持ちで、ベッドメイキングされたばかりの寝具に防御魔法をかけて眠りについた。
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バンッ!!
その夜、夢うつつの中で寝室のドアが突然開き、わたくしは急に羽毛布団を引き剥がされた。
驚いて目を覚ますと、わたくしのベッドに足をかけ、剣を振りかざしたジャマナ王子が立っている。
「王子殿下!? 何をなさいますの!?」
「うるさい!! ルクソンをどこに隠した!?」
「……ッ!」
この男……
まあ、布団ごとわたくしを刺し殺そうとしなかっただけ、まだマシですわね。
その程度の冷静さは、まだ保てているということかしら?
ジャマナ王子は、わたくしの寝巻き姿を見て少し驚いたのか、喉を鳴らして顔を赤らめる。
この後に及んで、何を考えているのかしら。
わたくしの布団を剥いだ張本人のくせに……
「ルクソンは逃げ足が速いからなぁ! 現場を押さえられなかったのは残念ですよ、姫ぇ」
王子殿下の後ろからニタニタ笑いで顔を出したのは、案の定ラホーシュ様ね。不逞もここまで来ると天晴れだわ。
無防備に寝ていたところに剣を突きつけられて、さすがにすぐさま対応ができないけれど、わたくしは取り敢えず防御魔法がかけてある布団を手繰り寄せて身に纏う。
まずは状況を整理しましょう。
どうして王子殿下は、こんなに激高されているのかしら?
晩餐会で煽りすぎた?
確か、ルクソン様がどうのと口走っておりましたわね……
どういう意味? ルクソン様なら、まだご実家で静養されているはずですけれど……
「おい、なんとか言えよ!」
人が考え事をしているというのに、不逞のトカゲがわたくしの髪を鷲掴みにしてきた。仕方ないわね。汚れ防止に軽くかけたお布団の防御魔法でも、ラホーシュ様を重傷にすることはできるわよ? せいぜい死なないことね。
わたくしが悲鳴を上げないことに不満を感じているらしいジャマナ王子は、側近候補の行動すら制御できないようですわ。
まったく躾がなっていないわね……仕方がないので、またわたくしが悪者になってあげるしかない。
「無礼者! わたくしに触れるな!!」
室内に雷が落ちて、あたりが真っ白に光る。
……マズいわね。焼きトカゲができてしまったわ……
日頃の嫌悪感が募ったせいか、無意識のうちに魔力をたっぷり込めてしまったようだ。
ベッド脇に倒れ込んだ黒焦げのラホーシュ様を見て、ジャマナ王子は我に返ったように剣を取り落として呆然としている。
まあ……やっと本来の気弱なワンちゃんに戻ったのかしら?
わたくしは、できるだけ低い声でジャマナ様に話しかけた。
「王子殿下、これはどういうことですの? わたくし、夜はしっかり寝たいと思っておりますのよ……?」
ジャマナ王子は、怯えたような目でわたくしを見ると、何やら言い訳を連ねはじめた。
「わっ……私はただ! そ、そう、貴女にルクソンが言い寄っていると聞いて……か、勘違いだったようだ! すまない!」
言うが早いか、王子殿下は黒焦げのお仲間を放置して、わたくしの寝室から逃げ去っていった。
王子様ったら、わたくしが間男を寝室に引き入れたとお怒りだったくせに……このトカゲはいいんですの……?
わたくしは、床に転がる焼きトカゲを見遣りつつ、すっかり呆れて気が抜けてしまった。
「アトマ、いるかしら?」
「は! ここに」
「この方、息はある?」
「は! かすかに」
「よかったわ、お家にお送りしてあげて」
「承知いたしました!」
またアトマに面倒を任せてしまったわね……
わたくしは、お布団にくるまったまま、ポスンと倒れて目を瞑った。