4.「ダウンバースト」part 6.
「えぇ!? 中庭の池で釣ったブロケードを料理するだって!?」
「まあ、この派手な魚、ブロケードっていう名前なのね?」
「あんた、人間の国から来た姫様だろ? 知らないんなら教えてやるけど、この魚は食いもんじゃない。カンショーギョっていう、貴族様好みの、おっそろしく価値が高いお宝なんだ!」
「まあ……それでは、この魚は高く売れるの?」
「あーもう! 死んでちゃ売れねえよ! 泳いでるとこを見て楽しむんだからさ!」
「でも中庭の池じゃあ、魚の姿なんて見えませんでしたわ?」
「そりゃあ、だって、彼処は魚を育てて……あーもういいや! 貸しな! どう料理してほしいんだい!?」
厨房に派手な魚を持っていくと、魔国の料理人たちは大騒ぎしながらどんどん集まってきた。
わたくしは、今日釣った2匹のうち1匹を料理人に渡す。もう1匹は塩焼きにして食べてしまったのよね……
わたくしが王子殿下から中庭の魚を贈呈されたのは、いつの間にか正式な書類になっていて、厨房に呼ばれてきた文官らしき人物が確認してくれた。
「ウィノナ王女様……このお魚様は……本当に食べてしまってよろしいので……?」
「ええ。傷んでしまったら捨てることになるでしょう? もったいないですわ」
「まあ、確かに……いえ、まったくその通りでございますね……」
魔国の文官はブルブルと震えながら、死んだ魚を視界に入れないように手続きを済ませて帰っていった。
「すまねえな姫さん、一応確認しねえと、誰かの首が飛ぶことになるかもしれんからなァ……このブロケードって奴は、でっぷり太ると柄がよく出るから、最高値じゃ2億300万Gで売れたこともあるんだぜ? こんな高級魚を料理できる日が来るなんてなァ!」
「に、におく……? ですって……?」
観賞魚とは聞いていたけれど、1匹500Gくらいかと思っていたわ……
魔国の1Gって、確かニルヴァーナ王国では120Fくらいよね……そうなると単純計算で243億6千万F……
こ、国家予算くらいありますわ!?
もしかして、王子殿下のご機嫌が斜めだったのは、わたくしが2億G×2強もの無駄遣いをしていると思われたからなのではない……?
この派手な魚の値段を知っていたら、わたくしもう少し考えて行動しましたわよ!?
その後、2億G以上の価値だったかもしれないブロケードは、料理人の手で芸術的なポワレとなって夕食に供された。
「……美味しいわ」
お値段以上とはいかないかもしれないけれど、わたくしが火魔法で焼いたときよりは格段に味が良くなっていて、さすが王城の料理人というだけのことはあるわね。もしかしたら、緊張で味がしないかも……と思ったけれど、そんなことはなかったわ。
厨房では、わたくしの料理だけ時間差で特別に作っているとのことで、顔は知らないまでも名は知れているとのことだった。
今回のブロケードの件で、厨房の面々と少しだけ近づけたかしら。
いい料理人は探すのが大変と言われているし、もしニルヴァーナに帰れることになったら、誰か引き抜いてみたいわ。
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「なるほどね……やっぱり怒ってらっしゃったのかしら?」
次の日、燻製窯を完成させようと中庭の池に行くと、積み上げた石は無惨にもめちゃくちゃに崩されていた。
昨日の今日でこんなことするなんて……王子殿下しかいませんわよね。
「……?」
よく見ると、この辺に捨てたはずの魚の骨も残っていないわ……
もしかすると、王子殿下ではなく動物かもしれない。
でも王城の中庭で、こんな石を崩す大きな動物を飼っているものかしら?
そこまで考えて、わたくしは急に寒気を感じる。
昔読んだ物語に、大型の肉食動物を庭に放っている変人富豪の話があったことを思い出したのだ。
誰にも注意されなかったけれど、もしかしてこの中庭……虎や狼のようなペットが居たりしないわよね……?
「仕方ない、帰りましょう」
誰に言うともなく大きめの独り言を呟いて、わたくしは中庭の池を後にした。
考えてみたら、燻製窯を完成させたって、もう魚は獲れないわ。に、2億Gだなんて……
あのとき、王子殿下にブロケードの所有権を譲渡されていなかったら、とんでもなく恐ろしいことになっていたわね。
なんとなく視界の端に動く影を感じたけれど、恐ろしくなって気づかないふりをし、わたくしは早足で中庭の森を歩ききった。
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「遅くなりましたかしら?」
次の日の夕刻、またしても王子殿下に呼び出され、わたくしは晩餐会に出席することになった。
事前にドレスが届き、必ず着用するようにと厳命がくだったから着てきたけれど……
「あら、いつもと雰囲気が違うわね、ウィノナ姫」
そう、サグダラ様のご指摘のとおり、わたくしはゴテゴテと宝石のついた悪趣味とも言えるドレスを着せられていた。
首飾りは、顎の下から鎖骨までピッタリ覆うデザインで、宝石の色がグラデーションになっている。
これ……前に曲がりにくくて、下を向くと苦しいし、食事には向いていないのではないかしら……?
「お気づきいただけました? 王子殿下からのご下賜ですの」
わたくしの言葉の意図を察してくださったのか、サグダラ様は少し眉を顰め、小さい声で囁く。
「あなた、今日はあの子に何かされるかも知れないわよ、言動に気をつけることね」
「ありがとうございます」
ジャマナ殿下がまだいらっしゃっていないので、サグダラ様は好意を見せてくださるわ。
でも、王子殿下の目の前では、以前のように助けてはくださらないでしょう。
わたくしだって、魔国の侍女によってたかってこの首飾りを装着されたとき、嫌がらせの予感が脳裏をよぎりましたわ。
でも……既にやらかしておりますので、今さらという感じでもあるのよね。
テーブルをチラリと見ると、ラホーシュ様がニヤニヤしながらこちらを見ている。
デイビス様は無表情で、まったくこちらに興味を示さなかった。お父様が国防大臣から左遷されたという話を聞いた気がするけれど、ご子息のデイビス様には累が及んでいないのかしら?
そういえば、王子殿下は改革派のルクソン様も、ずっと近衛隊長のままにしていた。
毒矢事件からは、さすがに王党派の貴族に交代したようだけれど……
超党派で魔国をまとめたいというお気持ちがあったのかしら?
それとも、裏切り者を目の届くところに置いて監視したいということ?
もしかすると、息子を人質にして側に置こうという算段かもしれないわね。
わたくしがそんなことを考えていると、侍従を数人引き連れて、王子殿下が入室してきた。
「やあ、皆揃っているな」
「「「「お誘いをいただき光栄です、殿下」」」」
わたくしたちの声が揃ったのを見て、ジャマナ王子は満足そうに微笑む。
事前に学習しておいてよかったわ……
ニルヴァーナの挨拶だと、こういう場合は『ご尊顔を拝謁できて光栄です』になるので、魔国の皆さんとズレてしまう。
王子殿下が頷いて、わたくしたちは椅子に座る。
それを合図に、下僕たちが大きな鳥を模したようなパイを二人がかりで運んできた。
王子殿下は、目の前に置かれたパイにおもむろに右手を突っ込む。
すると、中から黒くて小さい鳥が一斉に飛び立って、天井近くの開いた窓から出ていった。中には料理の中で羽を痛めたのか、テーブルの上に落ちてくる鳥もいて、サグダラ様の頬に茶色いソースを飛ばし、わたくしのゴブレットにも黒い羽根が混入した。
正直いって気持ち悪いし、最悪の気分だわ……
でもわたくしは、サグダラ様を参考にして、無表情無反応をひたすら貫く。
生きた鳥をパイに仕込むなんて……悪趣味なだけじゃなく不衛生極まりないわ。
王子殿下は、わたくしの態度がお気に召さなかったのか、名指しで反応を引き出そうとしてきた。
「どうですか? ウィノナ姫、大変遅ればせながら、貴女の歓迎会を開かなければと思い至りまして」
「お気遣いありがとうございます、殿下。大変感謝いたします」
どういうことかしら……?
ジャマナ王子の意図がつかめず、わたくしは無難な返答しかできない。
手に付いたパイの中身のドロドロしたソースをレロリと舐めながら、王子殿下はニヤニヤと嗤う。
「本日の装いは、特に美しいですね。やはり貴女にはブロケードのような価値ある色合いが似合う」
「……お褒めに預かり光栄ですわ」
やっぱり根に持っていたのかしら……?
わたくしは、都合5匹ほどブロケードを食べてしまったから、もう10億G以上の負債を抱えたようなものだわ。
王子殿下は、わたくしを金食い虫の外国女として非難するつもりかもしれない。
本日の夕食が、最後の晩餐にならなければいいけれど。




