4.「ダウンバースト」part 5.
王子殿下に直接不満を申し上げてから、わたくしの居室に食事の配膳は復活したのだけれど、どうしても気になってしまい中庭の池に来てみた。
「さあて、釣りますわよ……!」
やっぱり、塩をかけた焼き魚を味わってみなくちゃね!
なんとか釣り上げた派手な魚は、正直に言うと、そこまで美味しいものではなかった。
やっぱり空腹は最高のソースと言う故事どおりだったのかしら?
でもあのとき塩味があれば、もっと満足できたはずよね……
それに、また食事抜きになる可能性はゼロではないのだ。これからも、塩を少しずつ溜め込んでおいたほうが良さそうだわ。
食べきれなかった魚は、乾燥させて保存しましょう。木の皮を燃やして、燻製にしてみようかしら。お父様が小さな窯を作って、みんなで燻製をした思い出を手繰り寄せてみる。石を積み上げたら似たようなものができるかしら?
わたくしが石積みに夢中になっていると、急に人の気配がして、振り向くと王子殿下が立っていた。
「え……!? 殿下? ど、どうなさいましたの?」
素で驚いてしまったわたくしは、強気の演技を忘れてしどろもどろになる。
ジャマナ王子殿下は不機嫌な表情で、無言のままわたくしを上段からジロリと斜めに見下ろしていた。
「貴女は……こんなところで一体何をしているのですか?」
……完全に燻製窯の土台の石を見られているわね……作った燻製を献上しなければいけない流れなのかしら?
わたくしは必死で正解の言葉を導き出そうと、あれやこれや言い訳を幾通りも考える。
池の魚は自由にしていいと言われたはずだから、ここに言い訳はいらないわ。
……別に今日はお茶会の予定などはなかったから、約束をすっぽかしたという謝罪もいらないはず……とすると、何?
まあとりあえず、王子殿下の質問には答えなくてはね。
「池の魚を釣っておりましたの。これから燻製を作ろうと石窯を組み立てておりましたのよ?」
「燻製……ですか。狼煙ではなく?」
「のろし……? いいえ……」
なぜ狼煙?? さっきからポンコツ王子の質問の意図が汲めない。
できればさっさとどこかに行ってほしいけれど、この様子ではここに居座りそうね。だからといって、わたくしから燻製の味見に誘うなんて愚は犯さなくてよ。
「何か急用でもございましたかしら? お茶会のご招待などは受けておりませんでしたわよね? わたくしったら、最近忘れっぽくて」
「いや、そのような予定はありません」
その後も、ジャマナ王子は無言のまま立っている。
別に、見られて困るものでもなし……わたくしも何も言わず黙々と石積みを続けた。
すると、その場でしゃがみ込んだ王子殿下が頭を抱えた。
「最近、眠れていないのだ……」
「そ、そうなんですの……」
「貴女はもう私のことはお嫌いなのでしょうね、ウィノナ」
そうですわね……およそ紳士的ではない殿方を、好きになる女性なんて居るのかしら?
と思いながらも、わたくしは、さすがにそのような本音を発することはできない。
「そんなことは……ございませんわ」
「嘘だ。いま間があった」
「王子殿下こそ……」
「ジャマナとだけ呼んで」
「ジャマナこそ、わたくしのような『じゃじゃ馬』はもうお嫌いでしょう?」
「どうして? 私はただ、貴女の気持ちが知りたい」
「…………」
わたくしはニルヴァーナ王国の王女として、国を守るため、王子殿下にこの身を捧げるのみ。
はじめこそ少し翻弄されてしまったけれど、それ以上でも以下でもない。
何を言えばいいというの?
『幼少の頃から魔国に憧れていましたの! 王子殿下と結婚するのが将来の夢でしたわ!』
などという、あり得ない嘘を期待している?
生贄の話が持ち上がるまで、魔国の魔の字も考えたことなんか無かったというのに……
まさかね……いくらポンコツ王子でも、そこまで非現実的なお考えは持っていないと信じたいわ……
「わたくしの気持ちは……ニルヴァーナ王国の益に貢献するため全力を尽くす……それだけですわ」
「それだけ? 本当に?」
王子殿下に問われて、わたくしが顔を挙げてみると、ジャマナ殿下は泣きそうな顔をしていた。
泣きたいのは、どちらかと言えばわたくしなんですけれど……
やはり、ここは王子殿下に好意を示さなくてはいけないということかしら?
以前のように膝枕でもしなければ駄目?
でも、わたくし……サーラの件も嫌がらせの件も、まだ整理できていないのだわ……
王子殿下なんて、このまま泣きながら、睡眠不足にでも何でもなっておしまいなさいな!
……と思うけれど、そんなことを言ったら国家間の交渉が終わる。
「そのためなら……わたくしにできることは何でもいたしますわ」
「何でも……? 例えば……こんなことでも?」
「ひっ……!」
すぐ耳元で声がして、距離を取っていたつもりの王子殿下がいつの間にかすぐ隣におり、冷たい手がわたくしの頬に触れる。
思わず引いてしまったわたくしに、ジャマナ殿下は機嫌を損ねて見せた。
「今の貴女の反応にはひどく傷ついた。やはりもう貴女の心は、ほかの男のモノなのだろうか……本当にルクソンとは会っていない? 誓ってください、貴女の純潔を」
「……何に誓えと? わたくしの言葉に信用がないのなら、あなたの心に安寧は訪れないのでしょう?」
もしかして……この方、これまでもルクソン様に、意中の女性を横取りされた経験がお有りなのかしら?
過剰なまでの王子殿下のお言葉に、わたくしは穿った考えをしてしまう。
魔国の王城は、趣味は悪いけど華やかだし、きっと皆さま色とりどりに恋の花を咲かせていることでしょう。
でもわたくし、ニルヴァーナの王城では恋愛とは無縁でしたのよ。
魔国に来て、ちょっと免疫がなくて振り回されてしまったけれど、もうさすがに辟易しておりますわ!
それに、王子殿下は、おそらくわたくしを愛してはいないと思う。
単に隷属させたいだけなのでしょう。
国力の差から言って、それは不可能ではないと思うけれど……あいにくですわ。わたくしも王子殿下を愛してはいないのよね。
一瞬、同情してしまって……そのお心に寄り添えれば、と思ったけれど……
サグダラ様のおっしゃる通り、救いようのない卑怯なポンコツ王子だったものね。
いくら美しいお顔を造形していても、中身がわかれば百年の恋も冷めますの。
愛は死にましたわ。
「誓ってくれ、ウィノナ……」
「……誓いますわ、ルクソン様とは会っておりません」
「ありがとう……」
王子殿下は、何か目標を達成したようにすっくと立ち上がると、暗い影がさした表情のまま池から離れていった。
はぁ……やっと行ってくれたわね……
わたくしったら、王子殿下のことが、こんなにも苦手になっていたなんて……
話し込んでいたら、すっかり陽が傾いてしまった。今日はもう無理かしら? 魚はどうしよう……まったくもう、計画が台無しですわ……
駄目元で持ち帰り、厨房で料理してもらおうかしら?
魔国の侍女は王子殿下の傀儡だけれど、厨房で働く者たちも同様かしら?
わたくしは、思いつきの計画に少しワクワクしながら、派手な魚を持って王城の地下へと足を伸ばした。