4.「ダウンバースト」part 4.
「ルクソン様とは、あれ以来お会いしていないと思いますが……?」
わたくしは、うまい答えが思いつかないまま、言葉を濁した。
あれ以来というのがいつを指すのか、ハッキリさせないで逃げ切ろうとしているのだけれど、王子殿下は逃してくださるかしら?
ジャマナ殿下は、わたくしをじっと見ながら、どう答えるか迷っていらっしゃるようだった。
「ルクソンではない……というのならば、誰と会っていたのかお聞きしても?」
王子殿下の質問が、何を意味するのかは考えなくてもわかる。
わたくしったら、婚約者でもない殿方の脇腹に吸い付いてしまったのだもの。言い訳できない所業と言われれば、もはや反論はできませんわね。しかも、王党派の王子殿下につくべき立場のわたくしが、改革派の長男を助けてしまうなんて。
しかも、ジャマナ王子殿下にとって、ルクソン様は幼少のみぎりから思うところある好敵手。
ちょっとした裏切りでは済まされない問題になるだろう。
しかも、毒矢を放って殺そうとした相手。ルクソン様もわたくしに王子殺害の提案をされていらしたし、もうお二人の関係は修復不可能と言っていいでしょう。
これ以上わたくしの立場が悪くなることはないわね……ならば気取ったやり取りはここまでですわ。
「それに答えたら、わたくしの処遇は改善するのかしら?」
「何ですって……?」
「王子殿下のご命令なのでしょう? わたくしの侍女を動かしていらっしゃるのは。仕事もせず、わたくしの食事も勝手に食べてしまって、本当に困っておりますのよ」
「そ、そんな報告は聞いていない……!」
「あら……でも魔国の侍女たちは王子殿下に忠実ですわ?」
王子殿下は、真っ赤になったり真っ青になったりしながら、ブルブルと震え出した。
これ以上はお腹いっぱいで食べられないし、わたくしもここにいる意味はないわね。
この場は、さっさと撤退いたしましょう。
「申し訳ございません、気分がすぐれないので失礼いたします」
わたくしが席を立つと、王子殿下が「あ……!」と何か言いかけたようだったけれど、立ち止まったら負けですわ!
果たして、食事事情の改善はするかしら……?
国防大臣の苦言が兵站に関する問題だったら、王子殿下の資質を疑わなければいけないわね……
廊下を早足で駆け抜けると、曲がり角から歩調を合わせてくるメイドが横に並んだ。
王子殿下の追っ手かしら……?
緊張感を抑えながら、チラリと見るとアトマである。
わたくしは身体中が弛緩するのを感じて、小声で忠告した。
「もう来ないほうがいいわ。王子殿下の影に見られているかも」
「私に限ってそんなヘマはしません。サーラより、王子殿下が派兵を渋っているという情報が」
「はぁ? 今さら何ですの? あのへっぽこ王子……理由は?」
「そこまでは掴めておりません。王と王子の間に何やら諍いがあったそうで」
「あら、お父様に反抗するだなんて……思春期かしら?」
「ふふ……姫様がお元気そうで何よりです」
「わかったら、しばらく近づかないように。特に中庭は危険よ」
「承知いたしました」
途中の階段で、アトマは曲がった途端にかき消えた。相変わらず神出鬼没だわ……
わたくしは、素早く居室に戻って扉に鍵をかけると、取っ手に適当な火かき棒を噛ませる。
わたくしさえ何とか身を守れば、アトマを危険に晒すことはないはず……
こっそり持ち帰ったパンと果物をドレスの隙間から取り出すと、わたくしは籠城計画について考えはじめた。
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「お誘いいただきましてありがとうございます」
珍しく魔国の侍女が招待状を渡してくれたので、わたくしはサグダラ様のお茶会に参加する。
髪はいまいちだけれど、ドレスは5人掛かりでまあまあのものを着させられた。
王子殿下の命令が変わったのかしら?
そういえば、今日は朝食の配膳もあったわね。
せっかく池の派手な魚を塩味で食べてみたかったのに、しばらくは足が遠のきそうだ。
「お久しぶりね、ウィノナ姫。お加減はいかがかしら?」
「……ええ、だいぶ良いですわ」
何の話かと思いながら適当に答えてしまったけれど、今までわたくしが引き篭もっていたのは、病のためという理由にされていたようね……
「ジャマナ王子が付きっきりで看病していると聞いていたから、お見舞いは遠慮したのよ。元気になって良かったわ」
「そう……なんですの。皆様にご迷惑をおかけしてしまって申し訳ございませんでした」
はあぁ!? 冗談じゃないわ! 何が付きっきりで看病ですの!?
……まあ、ある意味では常時監視されていたようだから、付きっきりだったわね……
わたくしは、何もかもぶっちゃけてしまいたい衝動に駆られながら、サグダラ様と無難な談笑を続けた。
サグダラ様は常識的なやり取りができるし、温情もかけていただけているので、表立って敵対すべきではないでしょう。
そして、はっきりと役職について聞いたわけではないけれど、サグダラ様は王子殿下を指導する立場にあるような言動をされているわ。
マルカ様も、何となく王子殿下と対等もしくは上から目線のような態度だったけれど、あれはサグダラ様に感化されてのことだったのかもしれない。
「そういえば、マルカ様は……まだ謹慎が解けないんですの?」
何気なく発したわたくしの言葉に、サグダラ様は青ざめた。
「しっ……! あなた、知らなかったの!? あの子たちは、もうここへは帰ってこれないわ」
「えぇ…… な、なぜですの?」
だいたいのことはアトマに聞いて予想通りのようだけれど、わたくしはこの件に関して初耳でなければならない。
ギョッとして見せながら、声を潜めて話を続けると、サグダラ様は細々とした事情を教えてくださった。
わたくしにこんな情報を共有してくださるということは、まだ仲間だと思われているようね……
つまり、王子殿下はわたくしたちの仲違いを外部に漏らしていらっしゃらないようだわ。
いまだに修復可能だと思っていらっしゃるのかしら……?
とりあえず、わたくしも愚痴のひとつを披露しなくてはいけないわね。
「実はわたくし、王子殿下から『寵姫の失敗』という本をいただきまして……ひとり寝屋で読んでおりましたの。もう何を申し上げてもご寵愛を失うような気がいたしまして、思わず伏せってしまいましたわ……」
「あー……あの本、とうとうあなたの目にも触れることになってしまったのね……それ、信じなくて良いわよ」
「え? でも……」
「あんなしょーもない本、あの子がわざわざ図書室から発掘してきた色本よ。以前は、あんな本を読む義務なんかなかったの。でもあの子が面白がって令嬢たちに流行らせたもんだから、ほかの貴族のおじさんたちも本気にしちゃってさぁ……最悪よね」
「そ、そうだったのですね……」
やはり、あの王子殿下は、よろしくない性癖をお持ちなのではないかしら?
人を虐めて喜ぶような一面があるのよね……
そのくせ、反撃されると気弱になって被害者みたいに振る舞うんですもの……本当は婚約なんて破棄したいくらいだけれど、わたくしの立場ではそう身軽な判断は許されない。仕方ないわね、ある程度距離を取って……
そんなことを考えていると、サグダラ様が急にお菓子の話題を振ってくる。
わたくしは、嫌な予感がして、黒苺について最近気づいた特徴を述べてみた。
「何の話をしているのですか?」
「王子殿下」
「殿下」
ジャマナ王子殿下が声をかけてきて、わたくしたちは立ち上がって頭を下げる。
このポンコツが出席するなんて聞いていないんですけれど、サグダラ様に拒否する権力はないし、わたくしも恨み言は申し上げないわ。
そもそも、魔国の侍女が招待状をわたくしに繋いだ時点で、王子殿下の差金ということはわかっておりましたの。
そうでなければ、今日のこのドレスだって、送られてくるはずがないものね。
「美しいご令嬢方の内緒話を聞いてしまったようで失礼しました。今日は時間がないのですが、また私の話を聞いていただけるとありがたいです、ウィノナ姫」
「ええ、是非に」
何かの牽制かしら……?
王子殿下の挙動に薄気味悪いものを感じながら、わたくしはその日のお茶会を何とか乗り切った。




