4.「ダウンバースト」part 3.
あの後、わたくしは居室に戻って、アトマにブラディオン様への連絡を頼んだ。
小屋に残したルクソン様は、ブラディオン様が助けてくださったらしい。
アトマには面倒を頼み過ぎてしまったかもしれないわね。
サーラも元気にしているようだ。
わたくしの窮状がすっかりバレてしまって、差し入れのパンやスープなどが充実して来た。
居室では匂いなどで獣人の侍女に怪しまれてしまうので、中庭の片隅や渡り廊下など、さまざまな場所で急に現れるアトマから餌付けされている。
「まあ、この焼き菓子とても美味しいわ」
メイド服がすっかり板についたアトマから渡された今日の差し入れは、これまでに食べたこともないような、香ばしくて甘いお菓子だった。
「ジェルジュが作ってくれたのです、あの子は天才です。ジェヴォーダン家で菓子職人として召し上げられそうになっておりまして、魔法使い殿が必死で妨害している最中です」
「ふふふ……手先が器用な子なのね。ヴィルジェニー・イレイスも、随分いい弟子に恵まれたものだわ」
「ルクソン殿は順調に回復しております。ジェヴォーダン家では、姫様に感謝を示したいと申しております」
「そんなのは後で結構よ。とりあえず今わかってることと言えば、ラホーシュ・パートが王子殿下の地位を狙っていることだわ。デイビス・カヴァルは味方になってくれそう。サグダラ・ゲイズは、わたくしの見たところ王家の忠臣、もしくは監視者ね」
「なるほど、カヴァル国防大臣は王子殿下に軍の扱いについて苦言を呈し、左遷されたという話があったようです。しかし姫様……私よりも潜入調査が上手くなっては困ります」
「ふふ……まだまだこれからだわ、先生」
「サーラが聞いたら卒倒しますよ」
アトマは、こぼれた焼き菓子のかけらを残さず紙に包むと、スカートのポケットに入れて隠した。
「危ないことはなさらないように。では、失礼します」
わたくしの目の前で、煙のようにアトマは消え去った。
実際には、素早く動いているだけだと言っていたけれど……やはり魔法のように感じるわ。
急な風に煽られ、わたくしの髪が何年振りかというタイミングで崩れて靡く。
「サーラ……」
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優秀なスタッフを失うということは、手足をもがれるようなものと聞く。
わたくしも、すっかり希望を失って、何ができて何ができないのかを正しく把握するのに時間がかかってしまった。
サーラに手入れされて美しかった髪は、今や櫛も入らず、適当にまとめて結い上げるのが精一杯。
ドレスはシンプルなものしか着られない。後ろにボタンがあると、ひとりでは留められないのだ。
今のわたくしは、輝きを失った石のようなものね。
たまにアトマが助けに来てくれるけれど、日常的なことは自分でやるしかなかった。
「そうだわ、アレを……って、サーラはもう居ないのだったわ……」
考えてみたら、わたくし自身ができることなどほとんど無いのだ。侍女たちが用意してくれる衣服や食事、そしてベッドメイキングやカーテンの開け閉めなど、細かい部分まで世話されて生きて来たのよね。
でも……まずは生きていかなければ!
食事が運ばれなくなって、わたくしが一番初めにしたことは釣りだった。
本当は狩りがしたかったのだけれど、本格派の狩人でもないので諦めた。だって、貴族の狩りといえば、勢子を何人も引き連れて獲物を追い立てなければできないのだもの。それでもお兄様は野鳥をなんとか1羽仕留めたきりだったわ。
仕方がないので、わたくしは中庭の池で魚釣りをしてみることにした。
ルクソン様にお会いした小屋も、使える釣り道具が置いてないかと思って入ってみたのだ。あの後、まんまとお目当ての釣具を見つけ、火魔法で焼いた魚にありつくことができた。
でも、思いのほか派手な色の魚だったのよね……食べて良かったのかしら?
わたくしは毒に強いほうではあるけれど、鑑定魔法は持っていないので、試しにひと口齧ってしばらく体調に変化がないか待つしかない。
お腹が減っていて、ちょっと多めに齧ってしまったけれど、問題無いようだったので全部食べた。
後は、綺麗な魚だったので、王家の所有物という可能性があるのよね……
弁済を求められるかもしれないけれど、まあそうなったときに考えましょう。
わたくしは、森の木の実や食べられる草、そして派手な魚とアトマの差し入れで命を繋いでいた。
それに、健康を保つには掃除や洗濯が必要ね!
ニルヴァーナ王国の姫が洗濯室に出入りするわけにはいかないので、魔法で洗濯する方法を考えてみたのだけれど、わたくしは防御魔法と弱めの火魔法ぐらいしかできない。水と風が使えればいいのに……
しばらく考えた結果、シーツに防御魔法をかけてみることにした。
ドレスに防御魔法をかけると、葡萄酒をこぼしても弾いてくれる、あの感覚だ。
同様に、掛け布団やカーテン、長椅子などにも防御魔法をかけてみる。
わたくし自身が弾かれてしまわないか心配だったけれど、問題なく寛ぐことができたわ。
これでしばらくは清潔な暮らしができそうね。
たまに中庭から居室に戻ると、わたくしが留守の間に侍女が来たのか、いかにも嫌がらせじみたお菓子の空箱が散らかしてあって、サグダラ様からの差し入れがあったことを知る。
サグダラ様は、まだわたくしを気遣ってくださいますのね……
そんなときは凍りついた心が少しだけ温かい気持ちになって、お礼状を書いて廊下を彷徨い、サグダラ様の侍女にしっかりと渡すのだった。
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「本日は、王子殿下が朝食をご一緒にとのことです」
サーラが居なくなって1週間ほどすると、久しぶりに王子殿下からお誘いをいただいた。
魔国の侍女たちは無言でテキパキと仕事をこなし、すっかり鳥の巣のようになったわたくしの髪を、何とか櫛でとかして飾り立てる。
まあ、イラついているのが伝わってくるわ……
わたくしも、まさか王子殿下にお呼びいただけるとは思わなかったものね。皆さまもさぞかし驚いていることでしょう。
もしかしたら、わたくしが王子殿下に告げ口をすると不安になっているのかしら?
その割には口止めも脅迫もして来ないようですけれど……
ワケもわからないまま、朝食の部屋に連れていかれると、扉が開いて誰も居ない部屋に通される。
王子殿下に呼ばれたというのは嘘で、何か新しい嫌がらせの可能性もあるわね……
などと考えていると、意外にも本当に王子殿下がいらっしゃった。
「おはようございます、ウィノナ姫」
「おはようございます、ジャマナ殿下」
侍女たちが部屋に留まっているので、馴れ馴れしい話し方はできないようだ。いまだ王子殿下はお怒りということかしら?
だとすると、なぜわたくしは呼ばれたの……?
考え事をしながら、久しぶりの料理に舌鼓を打つ。こんなときでも、美味しいものは美味しいわ。
朝食のメニューは、輪切りのパンとスフレオムレツ、カリカリベーコンに揚げた野菜がたっぷりと深皿に盛られている。
こんなに食べられないわ……でもまた料理が食べられるようになるかわからないし、少し食べ溜めしておいたほうがいいのかしら?
ついつい料理を口に運ぶ手が速くなってしまうけれど、わたくしはできるだけ優雅にフライドトマトを食べることばかり意識していた。
「姫はトマトが好きなのですか?」
急にどうでもいい質問をされて、そんなにトマトばかり食べていたかしら? と、わたくしは少々不安になってしまった。
「ええ、嫌いではございませんわ」
「そうか……」と小さい声で呟いて、王子殿下はまた黙る。わたくしは、卵と豆を炒った料理に塩を振りかけて、久しぶりの塩味に感涙していた。
この塩をこっそり持ち帰ったら、池の魚を焼いたものがもっと美味しく食べられるのではないかしら?
そんな算段をつけていると、また王子殿下が口をお開きになった。
「貴女は中庭で誰と会っているのですか?」
「え……?」
まさか、アトマのことがバレたというの……!?
わたくしは、どこまで王子殿下が現状を把握しているのかわからず、言い淀んでしまった。
確かに、わたくしにアトマという影の者がいるのと同様に、王子殿下にもそういった特殊な従者が居てもおかしくないのだわ……
とにかく、アトマの存在を王子殿下に気取られるわけにはいかない。
「最近は、池で釣りなどしておりまして、暇なので詩をそらんじておりますの……その声が誰かと話しているように聞こえたのでしょう」
「……そうですか」
「そうですわ、きっと」
王子殿下の声音から察するに、まったく納得していないわね。わたくしは言い訳めいたことをして、少し後悔した。
もっと自信を持って真っ向から否定すべきだったのではないかしら?
アトマだって影の者としてかなりの能力を持っている。監視者の存在があれば、気づいていたはずだわ……ということは、アトマのことはバレていない? じゃあ何? 食事を出さなくなったのに、なぜ痩せていないのか、それが不思議なのかしら? だとすると、いよいよ、あの池の派手な魚の横領問題に発展するのかしら……
わたくしは、慌てて魚の処遇について言及した。
「そういえば、あの池にいる魚は養殖されている種なのでしょうか?」
「え? 魚?」
「思いのほか美しい魚だったものですから……」
食べてみましたの……とは言えなくて、わたくしはそのまま目を伏せた。
王子殿下は何を思ったのか、しばらく無言で食事を続けながら、ふいにおっしゃった。
「お気に召したのなら、池の魚はウィノナ王女に贈呈します」
「まあ、嬉しいですわ。王子殿下に感謝を」
これで池の魚は堂々と食べられるわね。
わたくしは、細かいながらも気になっていた問題が解消されて、ホッと胸を撫で下ろす。
「では、中庭の小屋でルクソンと会っていたことは、どうご説明なさいますか?」
「え…………?」
急な王子殿下の追撃に、わたくしは状況の把握に手間取ってしまった。
これは……否定していい情報なのかしら?
もしかして、本当に見られていたの!?




