4.「ダウンバースト」part 2.
「……おはよう、ウィノナ姫。貴女がよく眠れたならば幸いです」
王子殿下は、わたくしの挨拶に思うところがあったのか、定形文で返すと無言で凝視してきた。
信じられないでしょうね……その気持ちはわかりますわ。
従順な弱小国の、か弱いはずの女に殴られたなんて……お可哀想なジャマナ王子殿下。昨夜わたくしが付けたお顔の跡は、きちんと治療なさったのか消えている。
もしかしたら、わたくしからの謝罪の言葉をお求めなのかしら……?
それならば、残念ながら反省はしておりませんわ。なんなら、もう一発殴ってやりたいくらいですもの。
サーラを夜のうちに逃すことができて、本当に良かったわ。
わたくしが黙々と朝食を食べていると、王子殿下が折れて話しかけてきた。
まあ、わたくしはこの場に呼び付けられて来たのですから、何かお話があるのでしょう。当然の帰結ですわね。
「今日は、その……髪型がいつもと違いますね」
パキッ……
と、わたくしは尖ったパンの先を噛み砕いた。
それを、あなたが言いますのね……?
もしサーラを捕縛していたら、一体どうするおつもりだったのかしら?
水責め? それとも火責め? もしかして土や風で責める方法もあるのかしら?
何はともあれ、まずは冷静にならなければね……
「ええ、侍女が変わりましたの」
「そうですか。何か必要なものがあれば、私にお伝えください」
「まあご親切なお言葉、王子殿下に感謝を」
結局、朝食はこれといった会話もなく終わった。
あまり嫌味ばかり言っても王子殿下と交渉できなくなってしまうし、適度なところでわたくしが折れなければいけないわね。
そういえば……アトマは戻れたのかしら?
お茶の準備をしてくれた侍女が部屋から出ていくと、わたくしは失った物の大きさを考えずにはいられなかった。
あの王子殿下を説得できる……?
わたくしに使える武器はもうないわ。
でも……まあ、そうね……できることをやるしかないのだ。
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サーラが消えた件については不問とされるようだ。
わたくしが王子殿下を殴った件についても、今のところは何も言われていない。
ただ、明らかにわたくしへの扱いが変わったことは誰の目にも明らかで、居室に来る侍女たちも礼を失した行動を取るようになっていった。
これはサグダラ様から聞いていたから、なるほどね……と納得するのみである。
王子殿下はハッキリとした命令を下すわけではない。
わたくしに対する王子殿下の態度に迎合するように、侍女たちの行動も変わるのだ。
まるで犬笛を吹かれているかのように。
たとえば、今日はまだ食事の配膳がない。
また、サグダラ様の侍女から直接渡されたお手紙で知ったのだけれど、どうやら差し入れのお菓子は侍女たちに食べられてしまったようだ。
慌ててお礼の手紙を書いて渡したけれど、犯人探しまではできなかった。
食事はアトマから影の携帯食を分けてもらって何とか凌いだけれど、お茶のお誘いなど招待状や手紙の類はみんな止められてしまったようね……
魔国の侍女たちは、わたくしが王子殿下のご寵愛をなくしたのは愛想が悪いからだと、歴代寵姫の失敗集を本にまとめたものを渡してくれた。
その本には、忠言をした寵姫が没落したり、子を成した寵姫が貶められていく様子がこれでもかと書き連ねてあった。
やはり、社会構造が魔国とニルヴァーナ王国では違うのかもしれない。
ブラディオン様は常識人のように見えたけれど、サーラは大丈夫かしら?
もはや、わたくしのことより、サーラの心配をする方が現実的だわ……
魔国の侍女は、身支度の準備にも来なくなった。
まあ、服ぐらいなら自分でも着られるけれど、髪はうまくまとめられない。
もしかして……私が王子殿下に泣きつくのを待っているということ?
あの朝食での言葉……「何が必要なものがあれば、私にお伝えください」というのは……
単なる社交辞令かと思ったけれど、今考えると立派な伏線に思えて来たわね。
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「はぁ……緑の香りが立ち上るようね!」
しばらく居室に篭っていたけれど、さすがに運動が必要だと思い中庭に出ると、珍しく日差しが明るくて気持ちがいい。
魔国はそれほど天気がいい日はなくて、曇りや雨、霧といった薄暗い日が多いのだ。
だから、温暖な気候のニルヴァーナ王国で育ったわたくしからすると、魔国は陰気で湿気が多すぎる。
掃除を怠ると、そこかしこが黴びて来て、空き家など放置すると、すぐにお化け屋敷のようになってしまうらしい。
確かに少し水気を感じるわね……
はじめは魔国の侍女を2人連れて来たはずなんだけれど、侍女たちは日差しが苦手だというので帰してあげた。
まあ中庭だし、そこまで危険ではないでしょう……
中庭といっても馬に乗れそうなほど広大で、池や川まであるから散歩にはちょうどいい。
大きな緑色の山みたいに見える木の影を歩くと、森の小屋のようなものがあって、屋根に赤いキノコが生えている。
「まあ、なんてファンシーな小屋かしら。木苺や黒苺が実を付けていたら完璧ね!」
こういう小屋に森番が居たりすると、物語が一気に怪しくなって来たりするのだけれど……どうせ誰も居ないわね。
ギィ……
扉を押すと、鍵が掛かっていないのか、何の抵抗もなく開いた。
どことなく苔むしていて、空き家になっているようだ。
「失礼、どなたかいらっしゃる?」
誰もいないとわかっているけど、念のため声をかける。室内もかなり苔に覆われていて、すぐそばの壁にザトウムシがゆるゆると歩いていた。
「まるで緑の世界ね……ん?」
森番が居たのかと思って驚いてよく見ると、大きな体のルクソン様が小さく体を縮こめて、壁にもたれていた。
単なる休憩ではなさそうだわ。
「もしかして……ルクソン様ですの?」
「ウィ……ノナ姫……なぜここに……?」
ルクソン様は脇腹を押さえて、ハッハッハッと浅い息をしていた。
「お怪我をしていらっしゃるの? 医者を呼んできますわ!」
「やめてください!」
「なぜ……?」
「この程度の毒……しばらく休んでいれば治ります」
毒ですって!?
見ると、押さえた手から矢羽のようなものが見えている。毒矢で刺されたというの!?
「そんな……毒にもいろいろと種類がありますのよ? 神経毒やら血液毒やら……わたくし、多少毒には詳しいんですの。見せてくださいませ」
ルクソン様はぐったりとして、手を退けた。わたくしがハンカチーフで血を拭き取ると、毒矢の周辺は痛々しい紫色になっている。
「矢を抜かなければ……失礼いたしますわ!」
許可を得る前に思い切って矢を抜くと、返しがあってルクソン様が低くうめいた。この矢は自分で抜けないような形になっていたのだわ……かなり悪質ね。
とにかく毒を洗い流さなければいけないのだけれど、ここには水がない。
仕方なく、わたくしは傷口から毒を吸い出すことにした。
わたくしだって王族の端くれ、毒殺を回避するために少量摂取したこともあるし、応急処置の訓練も受けているのよ。
腕や足なら何かで縛って血流を止められるのだけれど……脇腹ではできることがあまりない。しばらく毒を吸い出していると、傷口の紫色の部分は薄くなり、容体が落ち着いて来たのかルクソン様が言葉を発した。
「貴女を見くびっていたようだ……このような……戦場の知恵をお持ちとは」
「わたくしは無力ですわ。祖国を守ることすらできませんの……さあ、このまま休んでいても良くはなりません。医者に解毒剤を処方してもらわなければ」
一体誰に、なぜこのような目に遭わされたのか……?
巷で噂されている改革派と王党派の争いが元に?
聞きたいことはたくさんあるけれど、今はそれどころではないわね……
などと思っていると、わたくしはルクソン様にガシッと腕をつかまれてしまう。
「ど、どういたしましたの?」
「ニルヴァーナ侵攻を止めたいのなら……王子を殺すしかない」
「え……」
さすがにそれは過激すぎる手段ではないかしら……?
そう心では思いながらも、ルクソン様の言葉はわたくしの中に滞留して、いつまでも消えることはなかった。
もしかして、この毒矢を放ったのはジャマナ王子だということ?




