3.「軽い気持ちで追い詰めて」part 10.
厨房の中で働いているのは、男の子ひとりだけのようだった。
「あなた、何をしているの?」
わたくしが思い切って話しかけると、男の子は忙しそうに作業に集中しながらこちらに見向きもせずに答える。
「話しかけないでください! あと256個作らなければいけないんですから!」
何か逃げられない事情があるのかしら……?
それとも、この子ではないということ……?
でもヴィルジェニー・イレイスに渡された首飾りは、これまでにないくらい反応していて、わたくしの胸元から浮き上がって光を放っていた。
男の子は、せっせとお菓子を作っていて、その手元を覗くと何やら見覚えがある焼き菓子がたくさん並んでいる。
「まあ、あなた『エガリテ』が作れるのね! すごいわ、どうやって作っているの?」
「えぇ? 今手が離せないって……うわわ! お姫様ですか!?」
男の子は、急に作業の手を止め、慌てて転がる材料を手で掻き集めた。ナッツがひとつ、その手からこぼれ落ちて、わたくしは思わず受け止める。
「ナイスキャッチ! ありがとうございます。ほんと助かりましたよ。厨房のおじさんがケチで、ピッタリの数しかくれないもんだから」
なにやら愚痴を言いながら、わたくしからナッツを受け取った男の子は、慎重に数をかぞえてから満足そうに頷いた。
わたくしはすっかり毒気を抜かれて、決死の覚悟で捜索に来たことを忘れ、目の前に大量に並んだ『エガリテ』に目を奪われてしまった。
「ナッツのお礼に、おひとついかがですか? これ、出来立てなんで美味しいはずです」
「え、よろしいの? ではひとつだけ……」
「姫様、お口が汚れます」
「え? 姫様だって? 本当のお姫様なんですか!?」
「んんっ! アトマったら! ハンカチは自分で使えますわ!」
少し恥ずかしくなって、わたくしは、そそくさと口を拭きながら話題を変える。
「あなた、ヴィルジェニー・イレイスという名前は知っていて?」
すると、その男の子は、目をキラキラさせて「お師匠様!」と叫んだ。これは決定ね……
「しー、静かに……あなた、お名前は? ここではどういった仕事をしているの?」
「私は、ジェルジュ。皆様のおやつをご用意する係を仰せつかっております! スキルは「製菓衛生」です!」
大げさに敬礼して見せるジェルジュを前に、わたくしは困ってしまった。
この子は、自分の能力の価値をわかっていないようだわ。こんなお菓子を作れるとなれば、魔国としてもそう簡単に手放すわけがない。それにスキルとは一体……?
ニルヴァーナ王国は魔法が使える国民が多かったので、スキルという概念はなかった。
わたくしから見れば、ジェルジュの能力は、生成魔法といったところかしら……?
「ジェルジュ、あなたの出身国はどこ?」
「は! 神国メガラニカであります!」
「神国……」
歴史の授業で聞いたことがある。北方の秘境に信じられないほど発展した人間族の国があると……
でも確か1000年前に著名な探検家が発見したきりで、ほかの人々はたどり着けなかったはず。
極寒の山脈に囲まれているので、とても人間が住めるような環境ではないと言われていたんじゃないかしら?
「まあいいわ、あなた、わたくしと一緒に来て頂戴!」
「え、姫様? でも私、仕事がありまして……うわわ!」
アトマが、有無を言わせずジェルジュを背負って厨房から連れ出す。わたくしもその後について素早く廊下を進んだ。
誰にも会いませんように……!
息を切らして階段を上がると、向こうから人の気配がする。何となく声のトーンで、見張りの兵というよりは、上層部の誰かなんじゃないかしらという気がする。
「姫様……!」
「アトマはそのまま居室へ、サーラの指示を仰いで。わたくしは足止めをします」
「しかし……かしこまりました!」
アトマとジェルジュが無事に行ったのを見届けて、わたくしは深呼吸をしてから覚悟を決めて一歩踏み出す。
わたくしは、蟄居命令を受けているわけではないので、この辺りを歩いていてもべつに咎められる謂れはないはずよ。
ただ、あちらから歩いてくるのがラホーシュ様だと問題ね……
そんなことを考えながら、当たり前のように歩いていると、見えてきたのは近衛隊長のルクソン様だった。
「これは、ウィノナ姫。このような場所でどういたしました?」
「まあ、ルクソン様。先日は危ないところを助けていただき、わたくし感謝しておりますわ」
ルクソン様は、前回わたくしがご迷惑をおかけしたことで王子殿下に何か言われたのか、それ以上は何もおっしゃらなかった。
ただ、傍らにいる部下のような騎士様に何事かを命じられて、その騎士様がわたくしに近づく。
「失礼いたします、お部屋までお送りいたしましょう、姫」
「まあ、ありがとう。ご親切に感謝いたしますわ」
アトマはちゃんと帰れたかしら?
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「ウィノナ姫、またルクソンを頼ったのですか?」
「まあ、ジャマナ殿下。近衛隊長には偶然お会いしたのですわ。今回は騎士様をお付けくださっただけですの」
居室がある廊下に差し掛かると、扉の前にジャマナ王子殿下が待っていて、わたくしは内心ドキリとしてしまう。
でも、アトマたちはだいぶ前に戻ったはずだから、王子殿下には見つかっていないはずだ……と思う。
それにしても、ルクソン様は、わたくしと会ったらすぐに王子殿下に報告する約束でもさせられたのかしら?
それとも、何か監視が付いているということ……?
侍女の控室にはヴィルジェニー・イレイスが居るはずだけれど、見つかってしまわないかしら?
やはり、このままどこか別の場所へお誘いして、この場から王子様と騎士様を遠ざけるべきよね……
「ジャマナ様、ちょうどいいところでお会いいたしましたわ。わたくし、テラスに出たいと思っておりましたの。せっかくですし、これからご一緒してもよろしいかしら?」
上階のテラスは、王族と一緒でなければ行けない決まりになっている。
わたくしは、王子殿下に聞きたいこともあるし、嘘偽りの誘いではない。
ただ、最近の王子殿下のお振舞いから察するに、わたくしの話に乗ってくれるかどうか怪しいところだわ……
「いいでしょう。私も貴女と話がしたかった」
意外にも交渉がうまく行って、わたくしは部屋まで送ってくださった騎士様に感謝を伝え、王子殿下の手を取る。
王子殿下がニルヴァーナに出発する前に会えて良かったわ。
もしかしたら不穏な噂は何もかもが嘘で、ジャマナ王子はニルヴァーナ王国を守ってくださるんじゃないかしら?
そんな前向きな妄想を膨らませながら、わたくしは王子殿下の顔を見た。
……これはやはりダメな展開かしら?
王子殿下は、これまでにない程どんよりとしたお顔で、わたくしのほうを見もしないで歩いていた。
「あの……」
「あのですね……」
テラスの手前まで来て、お互いに声を掛け合ってしまい、わたくしは引き下がる。
「お先にどうぞ、ジャマナ……」
王子殿下は、気まずそうに俯くと、ブツブツと言い訳をする。それでも何とか聞こえる声で、謝罪の言葉を伝えてくださった。
「前回は、感情的になって済まなかった……私とルクソンは、幼少からの付き合いで、あの者も側近候補だったのです」
「そうでしたの……」
「昔は何をしても叶わなくて……当時の私は、何とか王子としての体面を守るのに必死でした。しかしルクソンは、あのように寡黙で楽々と私を超えて行ってしまう。女性に人気なのも納得です」
「ということは、お二人の仲はおよろしいのですか?」
「昔はね……今はそうでもない。だが、信用できる奴だ」
王子殿下は、わたくしの隣で手すりにもたれながら、過去を懐かしむようにお話をしてくださった。
ジャマナ様は、使えない側近候補たちよりも、ルクソン様を取り込みたいと思っているのだわ……
そうよ、内戦など起こさずに、王党派も改革派も手を携えていければ……!
「ウィノナ、私は……ん? その首飾りは……?」
「ああ、これは……」
「ルクソンから貰ったものなのか!?」
「え……?」
わたくしが状況の急変を整理できないままに、王子殿下は、わたくしの胸元からヴィルジェニー・イレイスの首飾りを引きちぎった。
繊細な作りで助かったわ……やはり人型でも獣人の腕力は強い。もしこの首飾りの鎖がもっと頑丈だったら、わたくしの首は落ちていたかもしれないわ。
「こんな首飾り、私は贈っていませんよね? 貴女の持ち物は、入国時にすべて登録されている。やはりルクソンか!」
「いえ、そういうわけでは……」
「ああ、そういえば! 貴女の侍女、たしかルクソンの弟のブラディオンと懇意でしたね? あの者が手引きをしてルクソンを貴女に近づけているのでは? やはりそうか、ずっと怪しいと思っていたのです……これは早急に人事異動が必要なようだな……」
マズいわ……王子殿下はサーラに何かするかもしれない。命令を出される前に対応しなければ……
「わ、わたくし……そんなこと、ひと言も申し上げておりませんわ!」
「どうでしょう? ほかに隠し事は? 貴女を罰するきっかけが欲しいものだ……」
王子殿下は、強引に唇を奪おうとして顔を近づけてきた。
わたくしは無我夢中で、サーラに危険を伝えようと……そう、この場を辞さなければとそればっかりで、思わず……
バチーーーーン!!
やってしまったわ……
綺麗に入ったビンタが、王子殿下の頬に赤い手形をつける。
わたくし……本当に駄目な王女だわ……
信じられないものを見る目で、王子殿下が目を丸くする。
そうよねそうよね。わかっているわよ。わたくし、およそ淑女らしくないことをしておりますわ。
可愛くないとよく怒られたし、涙よりも鼻水が先に出てしまいますのよ。
でもさすがに無言で去るのはお行儀が悪すぎるわね。
「きっ……気分が……ずっ、優ればせんので……しつれぇいたしばすわっ!」
もう、すべてが終わったわ……
わたくしは、後ろも見ず、一目散に駆け出した。