3.「軽い気持ちで追い詰めて」part 9.
王子殿下に、ニルヴァーナ王国侵攻の件で確認したいことがあるのだけれど、あの日からお会いできていない。
「姫様、お茶をお持ちしました」
「ねえサーラ……わたくし、失敗してしまったわね……」
「姫様……」
「ずっと考えていたの……わたくしの存在意義を」
わたくしが、もし男子として生まれていたら……もっとニルヴァーナ王国のために役に立てたのかしら……?
ジャマナ王子殿下のご機嫌を伺いながら翻弄されるのではなく、敵を倒し国を守るような強さを持てたのかしら……?
ああ、でも現実はそう上手くいかないわね。
魔国の強大な軍隊に蹂躙されて、わたくしは男であっても、今と大差ない無力な存在となるでしょう。
お父様も、お兄様だって、ニルヴァーナ王国をどうにもできないのだわ……
もう、何もかもが思惑どおりに行かないような気がして、わたくしは徒労感に苛まれる。
「あら、おいし……」
何気なくお茶を飲むと、急に柑橘系の香りが口の中に広がって、遠ざかっていた意識が引き寄せられた。
サーラは自信たっぷりに微笑むと、何も言わずに焼き菓子をテーブルに並べる。
茶色や黒、緑やピンクのクッキーにドライフルーツやエディブルフラワーが乗った菓子は、サグダラ様からの贈り物だった。
「何かあるのね……?」
わたくしが尋ねると、サーラは得意気に説明してくれる。
「こちら、そのままお手でお召し上がりくださいませ。縦に持つと潰れやすいので、このように横をそっとお持ちになって……左様です、そのまま」
言われるままに大きなナッツが乗った焼き菓子を持ち上げると、思いのほか重い。
チラリとサーラに目を遣ると、訳知り顔でウンウンと頷いている。
そのまま齧り付くと、サクッと薄い生地が崩れて、中から甘いミルク味のクリームがはみ出てきた。
「サーラ!」
わたくしが助けを求めると、苦笑いをしながらサーラが口元を拭いてくれる。
「うふふ……いかがでした、姫様?」
「おいしいわ……でも綺麗に食べるのは至難の業ね!」
「そうなんですよ、何でも子供の頃を思い出すために、わざと食べにくくしているのだとか……このお菓子は『エガリテ』というのだそうで、このお菓子が出ると、皆さま無礼講でご歓談なされるそうです」
「まあ、そうなの……」
そんなお菓子をサグダラ様が送ってきたということは……意味深ね。
「ところで、そんな情報を一体どこで仕入れてきたのかしら?」
「え、そ、それは……」
「さては、例の殿方とうまく行っているようね……その調子で励みなさい」
「はげ……は、はい!」
ん? 何やらサーラが顔を赤らめていたけれど、わたくしは、このお菓子で何とか突破口を見つけようと考えるのに精一杯だった。
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それからも、王子殿下がわたくしに会ってくださる機会はなかった……
お茶会の連絡も来なくなって、わたくしは魔国の王城の居室内で孤立してしまっている。
デイビス様もお忙しいと言って、書状でのやり取りだけになってしまった。
サグダラ様は、たまに差し入れをくださるけれど、ご本人とは会えずじまい。
本格的に何か良くないことが起きているように感じるわ……
派兵に関しても、王子殿下に会わなければ、わたくしまで情報は届かない。
アトマには、先にニルヴァーナ王国へ警告をするよう言って帰した。
約束を盾にして王子殿下に手紙をお預けしに行こうかと思ったけれど、魔国側がどういうつもりかわからないのだし、あからさまな行動は控えたほうがいいわ。
「姫様、アトマが帰ってきました! その……ヴィルジェニー・イレイス様もご一緒です」
「……何ですって?」
夕方、暇を持て余して読書をしていると、サーラが慌てて居室に駆け込んできた。
驚いて振り返ると、ボロボロになったアトマが、瀕死の魔法使いを連れている。
問い糺したいことはたくさんあったけれど、まずは怪我人の手当てが先ね。
幸い、わたくしの居室には当分誰も来ないだろう。わたくしはサーラに寝室のベッドを使わせるように言ったけれど、サーラが頑なに拒んで、侍女の控室に運び込むことになった。
侍女室には余ったベッドがあったようで、かなり重傷そうに見えるヴィルジェニー・イレイスを寝かせると、アトマが簡単な報告をする。
「ニルヴァーナ王国へ向かう途中、魔法使い殿が国境越えをする場にでくわしました。通常ならば問題のない行動だったのですが、派兵に関して国境が強化されたのか、自動発動の攻撃魔法に襲われて直撃を受けたようです」
「まあ……なんてこと。アトマは大丈夫なの?」
「私は服が焦げただけで、怪我はありません」
「ならいいわ……ということは、アトマも外へは出られないのかしら?」
「まだなんとも……しかし、姫様の命とあらば必ず」
「無理しないで頂戴。とりあえずそうね……ここでしばらく休んでいきなさい。服はあるの?」
「ございます、ここに!」
アトマの代わりにサーラが答えて、テキパキと着替えさせていた。
それを見て、わたくしはやっと一息つく。
困ったわね……
ヴィルジェニー・イレイスは、とりあえず命に別状はなさそうですわ。さすがと言うか、とっさに防御魔法を展開して、だいたいの被害は防いだようね。でもそのせいで、魔力が枯渇状態になってしまっているみたい。一体どれだけの魔法攻撃を受けたのかしら……?
回復……そういえば!
「ねえ、あのお茶を飲ませてみたらどうかしら?」
「さあ、どうでしょう……回復薬の効果は怪我や炎症だと思いますけれど」
忙しく働くサーラにそう言われ、たしかに魔力の枯渇には効かなそうだと考え直す。
ふと衣服を引っ張られたと感じて下を見ると、意識があるのかないのかわからない魔法使いは、様子を見るために近付いたわたくしのドレスをつかんでいる。
そして、ゆっくりと息継ぎをしながら、苦しそうに声を絞り出した。
「この王城で……首飾りに反応が……あったんだ……見つけて……あの子を」
そう言って差し出された首飾りは、シンプルながらも美しい石が嵌め込まれていて、わたくしが着けても不自然ではなさそう。
何か魔法が仕込んであるのかしら?
取り敢えずその首飾りを受け取って、そのまま彼の手を取り、しっかりと頷いておく。
魔法使いは安心したように脱力すると、目を閉じて眠り込んだ。
ヴィルジェニー・イレイス……ちゃらんぽらんでどうしようもない人かと思ったけれど、弟子想いの良い魔法使いのようね。
とにかく、この首飾りを付けて王城を歩いてみましょう。
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王城の中は、人が出払っているのか、あまり見張りも居ないようだった。
わたくしを心配してサーラが付いて来ようとしたけれど、目的が探索なので、アトマに侍女の格好をさせて随伴することにした。
アトマなら、以前から弟子探しをしていたから詳しいはず。
それに、サーラには、ヴィルジェニー・イレイスの看病をしてもらわなければね。
しばらく誰にも会わないまま、しんとした廊下を歩いていると、アトマが何かに気づいた。
「姫様、首飾りに反応が……」
その声で首元を見ると、うす暗い場所で石が明るい緑色に光っている。
「この近くということかしら?」
「おそらく……もう少し先に行ってみましょう」
この先には地下へ降る階段があるけれど……まさか地下牢にいるということかしら?
アトマが辺りを警戒してくれて、わたくしたちは、そろりと足音を消しながら階段を降りた。
雰囲気は暗いけれど、不思議と不気味さは感じない。
それどころか、何やらいい匂いがするのだけれど……
「姫様、扉がございます!」
先行していたアトマが、曲がり角をのぞきながら小声で言った。
見ると、大きな両開きの扉から光が漏れている。
このいい匂いは……ここから来ているようね……
「厨房かしら? 行ってみましょう」
「は!」
キィ……と、扉の隙間を広げて中を確認すると、首飾りが強い緑色に光る。
当たりね。
厨房の中では、ひとりの人間らしき男の子が、せっせと焼き菓子を作っていた。




