3.「軽い気持ちで追い詰めて」part 4.
「姫様、王子殿下がいらっしゃいましたが……」
居室でくつろいでいると、侍女のサーラが困惑したように声をかけてきた。
早速来たわね……
わたくしは、深呼吸をしてから立ち上がると、できるだけ自然な笑みを浮かべる。
ジャマナ王子は、わたくしの狙い通り、デイビス様の御用にかこつけていらっしゃったのだわ。
「まあ、ジャマナ殿下……デイビス様も。よくいらっしゃいました。さあ、お座りになって?」
王子殿下は、いつも通りにわたくしの隣に座ろうとして、デイビス様の存在に気づき向かいの長椅子に座る。ご自分で割り込んでおきながら、側近候補のことを忘れていたのかしら? ずいぶん御勝手なことね。
「あー……ゴホン、ウィノナ姫、私もサフェスのサンプルを是非見たいと思ってね。たまたま廊下でデイビスと会ったので一緒に来てしまったのだ。良かっただろうか?」
別に、婚約者と側近候補を二人きりにしたくないだとか、サンプルだけ届けさせるとかでも良かったのに……
わざわざデイビス様に届けさせて、そこに便乗するなんて、王子殿下の命令としか思えないのですけれど……
そんな考えはおくびにも出さず、わたくしは優雅に微笑む。
「そうでしたの……王子殿下もサフェスの織物にご興味があったのですね? でも、これではまるで、わたくしがドレスを強請っているようでお恥ずかしいですわ……」
「何をおっしゃるのです。婚約者の貴女の美しさに貢献するためならば、私は王族の端くれとして、どのような努力も惜しまないでしょう」
ジャマナ王子は、この場にデイビス様がいらっしゃることを、度々お忘れになっているようですわ……
ご自分のお言葉に酔っているのか、途中で立ち上がって、結局わたくしの隣に腰を下ろしてしまった。
デイビス様は、居心地が悪そうなお顔で、斜め下の一点を見つめている。
よくご覧になって? あなたは将来、この王子殿下を身を粉にして支えていかなければいけないのよ?
わたくしは、勢い余った王子殿下に手を取られ至近距離で見つめられながら、微笑みを絶やさないことだけに集中していた。
「殿下……とても嬉しいお言葉ですわ。でも、今はデイビス様がいらっしゃいますのよ?」
「そうでした……デイビス、お前はもう下がってよい。サンプルは後で返却する」
「……かしこまりました。では失礼いたします」
想像通りの流れだわ……
わたくしは、気の毒なデイビス様を横目で見送ると、ジャマナ殿下とできるだけ距離を取る。
「ジャマナ……酷いですわ。人前であのような……恥ずかしいなさりようをされましては、わたくし王女としての体面が保てません」
「デイビスは口が硬い。ご安心ください。私がしっかり言って聞かせますから……ウィノナ……ああ、ウィノナ……ずっとこうしたかった」
ずっとって……昨日の今日じゃない。大丈夫なのかしら、この王子様。なにやら興奮して前のめりになっている殿下を扇で躱し、わたくしは王子の鼻先に布地のサンプルを押し付ける。
「ジャマナったら、もう! わたくしのドレスはどうでもいいとでも言いたげですわね? 膝枕は布地を選んだ後にしてくださらないかしら?」
「んーわかった。それでは我慢のご褒美に、私の手を握ってほしい……」
一体どんな無理難題を言われるかと思ったら、手を握るだけなら問題ないかしら……?
そんなふうに思ったわたくしは、恐ろしいほど浅はかでしたわ。
「まあ……それくらいでしたら……」
ジャマナ殿下は、わたくしの言葉を聞くと、ニヤリと笑ってわたくしの目の前に手のひらを差し出した。
わたくしがいつもの流れで手を乗せると、王子殿下はわたくしを見つめたまま動かない。
「私は何と言いましたか? 貴女に『手を握ってほしい』と言ったはずですが?」
「そ、そうでしたわね……」
注文が細か過ぎませんこと……?
わたくしが王子殿下の手を握ると、すぐさま大きな手で握り返され、さらにその上にもう片方の手を乗せられてしまった。
「で、殿下……」
「今は二人だけだ」
「ジャマナ……わたくしてっきり……膝枕のときに手を握るということかと……」
「ふふ……私はそんな条件を言いましたか?」
「おっしゃっていなかったわ、ええ確かに」
「まったく可愛い人だ……では早くドレスを選んでしまいましょう。貴女にはこちらの柄が似合うのでは?」
「う……」
繋いだ手が汗ばんできて、わたくしの緊張が王子殿下にバレてしまいそう。
まあ、わたくしの立場からすれば、王子殿下に好かれているのは好都合なのだ。
サフェス産のドレスを作ることを口実に、わたくしはジャマナ王子を政治の場に押し上げる。
そして、デイビス様との接点を増やし、カヴァル国防大臣との繋がりを強める。
国防大臣とやり取りができるようになれば、ニルヴァーナに援軍を頼みやすくなるわ。
このナイスアシストに、ジャマナ王子が気づいてくださればいいのだけれど……
そう思いながら王子殿下のほうを見ると、なにやら物凄い目力でわたくしを凝視している。
「み、見ないでくださる……?」
「何故です?」
「なぜって……恥ずかしいからに決まっておりますわ」
「貴女が恥じらう姿を見るのは楽しい」
「そ、そうですのね……」
ジャマナ王子はそれ以上近づいてこなかったので、今日はそういう日なのね……と、わたくしは判断する。
この王子様は、日によって行動が何となく決まっているのようなのだ。無理に頬を舐めてこようとしないなら、こちらとしては問題ないわ。
片手が使えないのは不便だったけれど、王子殿下に見守られながら、何とかドレスに良さそうな布を選んでその日は乗り切った。
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「姫様、お茶を」
「ありがとう、サーラ」
あれから、サーラにデイビス様からお借りした布地サンプルを返却してもらって、サフェスからのお客様とのお茶会を申し入れた。
その下準備のために、今はわたくしの居室にデイビス様をお招きしているのだ。
わたくしのお向かいに座った可哀想なデイビス様は、お茶に手をつける前に退散しようとでも考えていらっしゃるのか、これまで見たことがないほどテキパキとお仕事をされている。
「デイビス様? よろしければ、お茶とお菓子を召し上がりませんこと?」
「……ありがとうございます」
てっきり王子殿下もついていらっしゃるかと思いましたけど、今日はお忙しいのかしら?
なんてね。
実はアトマに調べてもらって、王子殿下の予定が詰まっている時間帯を選んだのだ。
だから、しばらくは邪魔が入らないわ。
わたくしがじっと見つめているのに気付いたのか、デイビス様は半目で嫌そうな表情をお見せになる。
「ウィノナ姫は、本当にサフェスにご興味が? 私を貶めるためだけなら、もっと被害の少ない方法もあるでしょうに」
「あら、バレてしまいましたのね? でもサフェスには興味津々ですわ?」
やはりデイビス様は勘が鋭いわね……状況判断もできるようですし、殿下の側近として頼もしい限りですわ。
そんなわたくしの高評価を知ってか知らずか、デイビス様は深いため息をおつきになる。
「できればその本音を、ジャマナ王子にもお伝えください……王子殿下は姫が私と浮気しているとお考えですよ」
「まあ、そんな話になっているんですの? むしろ、わたくしと浮気するのは、ラホーシュ様かと思っておりましたわ?」
わたくしの笑顔に押されたのか、顎を引いたデイビス様は、神妙な顔になって謝罪の言葉を述べる。
「あ、あのときは……その、友人が無礼を働きまして……申し訳ございません」
「いいえ、お気になさらず。デイビス様こそ、お怪我なさりませんでした?」
「いや僕は……あ、私は離れて見ていただけですので……」
そこまで言うと、デイビス様はハッとして手で口を押さえる。
見てただけ……ね。
悪いことをしている自覚はあったようで何よりですわ。
「デイビス様を選んで正解でしたわね。こんなに話しやすい殿方だとは思いませんでした」
「あーもう……わかりましたよ! 姫は私に何をさせたいんです?」
「とくには何も。こうして、わたくしと仲良くしてくださるだけでいいのですわ。デイビス様のお話、もっと聞きたいと思っていますの」
「情報収集でもしろと……? 私だって王子殿下の近くにいるのは、それなりにリスクが……って、ああ、そういうことか」
「まあ、どういうことですの?」
「国防大臣の父に何か用事があるということでしょう」
まあ……デイビス様ったら、不逞の輩の一員にしておくには、本当にもったいない人材ですわね……
「さあ、どうかしら……」
わたくしは、久しぶりに楽しい気持ちになって、デイビス様との会話を心ゆくまで楽しんだ。




