1.「隣国からの花嫁」part 2.
「ルクソンの兄上は、私などとは違って実戦向きですからね。これまでにも、さまざまな戦功をあげておりまして、父上にも……」
ブラディオン様は、お話好きな方のようで、わたくしたちの魔車に大きなトカゲか鳥のように見える馬を寄せ、いろいろな面白い話をお聞かせくださった。
この友好的な態度は、わたくしたちの緊張感を和らげるためのものなのか、思いもよらない気遣いだわ。
魔国の者は、人間を食べると聞いていたけれど、何か特別製の名簿に名前を記された場合は加護を受けて守られるらしい。
付き添いの兵たちからも、わたくしたちに対する不穏な空気は感じられない。
サーラはブラディオン様から頻繁に話しかけられて、何となく居心地が悪そうだけど、いい傾向だと思う。
わたくしが今後どういった取り扱いを受けるかわからないのだし、いざという時にサーラのことをお願いするならブラディオン様が妥当だろう。
などと、虫のいいことを考えてしまう程度には、友好的な関係になれたような気がするわ。
しばらく進むと、最初の旅籠に到着し、1日目の魔国滞在は無事に終えることができた。
明日からは森を突っ切ることになるとのことで、匂いを抑えるローブを着用するように言われ、一応高貴なる姫としては自尊心を傷つけられた。
「おっと、失礼。貴女方が臭いというわけではございませんので、お間違えないように。しかし……」
ブラディオン様は、サーラの手をとって耳元に顔を寄せ、スンと匂いを嗅ぐ。
「人間族というのは非常にいい匂いがしますので、魔国では目立つのですよ。民に対しては王の契約が功を奏しますが、野生の魔物に対しては……制御が効かないものでね」
「ひゃあっ!」
「失礼、サーラ。貴女はとてもいい香りがする」
「ブラディオン、いい加減にしろ」
ルクソン様が冷めた様子で注意をしてくれなければ、サーラはブラディオン様に食べられていたわね。
ブラディオン様がどこまで冗談なのかわからない態度なので、わたくしはため息をついて、余計かもしれない注意事項を付け加える。
「ブラディオン様、わたくしの侍女を気に入ってくださいまして大変光栄です。ですけれど、彼女も我が国では高貴な生まれの子女ですの。できればもう少し淑女として扱っていただけると嬉しいですわ」
「失礼、ウィノナ姫。サーラにも謝罪を」
「わかっていただければ結構ですわ」
気丈なサーラも、魔国の貴族に食べられそうになった恐怖からか俯いて黙り込んでいたので、わたくしが代わりに返事をする。
ところで……いつの間にブラディオン様はサーラを呼び捨てにするようになったのかしら?
魔車に乗り込んでサーラと二人きりになると、両手で顔を覆ったサーラが衝撃の告白をしてくれた。
「申し訳ございません……わ、私……昨夜ブラディオン様に舐められてしまいました……」
ん? 何か失態をしてしまったということかしら?
わたくしは、サーラにどんな言葉をかければいいかわからず、取り敢えず会話を続けた。
「そ、そうでしたの……やはり魔国では人間族は舐められてしまうものなのね……」
「その……そうではなく……廊下の隅に追い詰められ……頬をペロリと……」
「は?」
素で驚いたわたくしに向かって、サーラは「もうお嫁に行けません!」と膝に突っ伏して泣き出す。
おかしな状況だけれど、命懸けで魔国にやってきたサーラが、ブラディオン様に迫られて嫁ぎ先の心配をしているのが微笑ましい。
それはつまり、死という運命から気持ちが遠ざかったという印なのだ。
やはりこの縁は大切にしないといけないわね。
……まあ、ブラディオン様が遊び人でなければいいけど。
「と、取り敢えず、魔国の貴族であるブラディオン様に好かれているのは良いことですわ。サーラ、あなたはこのままブラディオン様に気に入られていらっしゃいな」
「そ、そんな……」
サーラは困ったように顔を赤らめて、何やら否定の言葉を言い連ねていた。
もちろんサーラが嫌なら無理には勧めないけれど、これはわたくしにすらハッキリわかるわね。
「サーラ、ブラディオン様のことがそんなに嫌なら……」
「いっ、嫌だなんてそんな! わわわわ私はただ……!」
「わたくしたちは、この魔国で味方もなく生きていかなければいけません。わたくしも努力はしますけれど、サーラも味方を増やす努力をして頂戴ね」
「わ、わかりました、姫様!」
サーラにしてみれば、敵国である魔国の貴族と仲良くするなんていけないことだと、心に歯止めがかかっていたのでしょう。だからわたくしは、敢えて良いことだと言ってあげる。そうすればブラディオン様に対して素直になれるかもしれないわ。サーラの運命がどうなるかわからないけれど、わたくしのせいでせっかくのチャンスを逃すことになるのだけは避けないと。
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「姫、王城が見えて来ましたよ!」
馬車の外からブラディオン様の声がして、わたくしたちは窓から顔を出す。
遠くの山だと思っていたものは、なんと魔国の王城で、下半分が城下町になっているとはいえかなりの大きさだった。
あれだけの規模なら、魔国の兵士が無尽蔵に湧いてくるという噂も、あながち嘘ではないのだろう。わたくしは改めて自分の使命を思い返し、なんとかして王子殿下にニルヴァーナ王国を守っていただかなければ、と決意を固めた。
結構な傾斜の道を登ることになったものの、魔車は勢いを削がれることなく王都の大きな通りをスイスイと進んでいく。
そこには魔国の民が生き生きと暮らし、豊かな国力の裏付けがあることが見てとれた。
「姫様、パン屋ですよ! パンがあんなに!」
サーラが無邪気に喜んでいるのを、ブラディオン様は微笑みながら眺めている。
やはり、この二人には上手くいってほしいわね。
状況が状況だけに、思わずブラディオン様がパンに挟まれたサーラを食べようとしているシーンが浮かんでしまうけれど、きっとそんなことはないと信じよう。
やがて、大きな門をくぐって、魔車は王城の入り口に着いた。
この大きなロータリーの規模からも、魔国の貴族や王族がどれほど多いのかわかるというものだ。
この王城に比べたら、わたくしの実家の城など貴族の邸宅にも及ばないかもしれないわね……
「我々の任務はここまでです」
王城に入ると、ジェヴォーダン兄弟が一礼をして、別の文官らしき人物にわたくしたちの対応が引き継がれる。
ルクソン様はなんの余韻もなく、くるりと踵を返して去っていってしまったけれど、弟のブラディオン様はこちらに向かって2本の指を振ってみせた。サーラに視線を送ると、顔を赤らめながら少し手を振っている。また会えるといいわね。
同じ王城にいれば、何かの機会に顔を合わせることがあるかもしれないけれど、これだけ大きな城となるとちょっと心許ないわ。
わたくしたちは、そのまま案内の者について行き、大きな部屋に案内された。
「こちらが姫君の部屋となります。隣りの部屋は侍女殿の居室です」
「どうもありがとう」
「王子殿下との謁見は明日午前です。本日のお夕食は8時となります。それまではこちらでお寛ぎくださいますよう」
「わかりましたわ」
魔国の社会も人間の国とあまり変わらないのね……
気を抜いてはいけないと思いつつも、わたくしはホッと一息つくことができた。
「姫様、お茶を淹れましょうか?」
「ありがとう、サーラ」
侍女の恋路は良い雰囲気ではじまったようだけど、わたくし、自分のことは何ひとつ想像すらついていないのよね……
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