2.「順番どおりにしないから」part 10.
「姫様! 王子殿下のご来訪ですよ!」
サーラが嬉しそうに知らせてくれる。
わたくしの努力はほとんど関係なく、単なるジャマナ王子の気まぐれなのだけれど、結果的にはまだ交渉の余地があるということで万々歳だわ。
「ありがとう、サーラ。早速お通しして」
「かしこまりました!」
居室の応接間に行くと、ちょうど王子殿下が招き入れられるところだった。
「お待たせしたかしら? ジャマナ」
今度こそ、用心深く行動しなければ。
さりげなく王子殿下のお顔を見ると、ご機嫌はよろしいようですわね。
「いいえ、私も今来たばかりですよ、ウィノナ」
わたくしを『ウィノナ』呼びするということは、本当に怒ってはいらっしゃらないようですわ……
ホッとひと息をついて、わたくしはジャマナ王子の向かいに座ろうとする。すると、腰を下ろしかけていた王子殿下が、素早くわたくしの隣に来て一緒に座った。
これはまた……距離感が読みづらいわね。
「でん……ジャマナ? 突然のお越しに驚きましたわ? 一体どういったご用件ですの?」
「用件だなんて……何もなかったらここへ来てはいけないと?」
「そうは申し上げませんけれど……」
このまま何もなかったように王子様を甘えさせていいものか、わたくしは少し悩む。
でも、軍を動かす権限があれば、この王子殿下ならこれ見よがしに命令するんじゃないかしら?
つまり、知らんぷりしているということは……その権限が無いのでは?
「私は……貴女に嫌われてしまったかと思って、その……気恥ずかしかったのです」
まあ……あのような無様な姿を見せてしまっては、王子殿下の沽券に関わるでしょうね。
それにしてもこの王子……本当に自分のことしか考えていないようですわ。
冷静な気持ちで眺めると、美しいお顔が余計に残念さを際立たせているように感じる。
わたくしは何と答えるべきか考える一瞬の間、とにかく微笑みを絶やさないように全力で意識を集中した。
「わたくしに嫌われたくないとおっしゃるのであれば、ニルヴァーナ王国に援軍をお送りいただきたいですわ」
この話題は早過ぎたかしら? でもまた王子の気まぐれで疎遠になったら、交渉のチャンスすら無くなってしまう。
ここは多少あからさまでも、主張しておいて損はないでしょう。
「それは……そうですね、考えておきましょう。貴女の望みとあらば、何としてでも」
「嬉しいお言葉ですわ、ジャマナ」
考えるだけ……ですのね。やはり難しいのかしら。ジャマナ王子は、王都の郊外に広大な領地をお持ちだと聞いたから、思わず期待してしまったのだけれど。
魔国のことは可能な限り学んできたつもりですけれど、なかなかうまく行かないわね……
「ところで、貴女を『プリンキピア』にご招待したい」
「プリンキピアとは……いったい何ですの?」
「選ばれし者しか参加できない夜会のことです。プリンキピアは、私が認めた者のみを集めた特別なパーティーでして……貴女にも是非来てほしい」
「まあ……それは光栄ですわ」
わたくしが、外部の人間として敬遠されていたのには気づいていましたけれど……王子殿下がそのような会合を開いていたとは知りませんでしたわ。
案外したたかなところがあるのかしら?
ジャマナ王子の側近となる不逞の輩たちも、きっとこのプリンキピアのメンバーなのでしょうね。
こういった秘密結社は、たいてい子供の遊びのようなものから始まって、大きくなっていくものと聞いている。
ニルヴァーナ王国にも秘密の騎士団があったけれど、その始まりは毎月第一週の水曜にお酒を飲もうという約束から始まったとされているわ。
プリンキピアの場合、創始者が王子殿下ともなれば、貴族たちがこぞって参加資格を欲しがるであろうことは容易に想像できた。
「でも、ジャマナ様が主催するとなれば、きっとお忙しいのでしょう? わたくし誰にエスコートしていただけば良いのかしら?」
「そんな! 貴女は特別なゲストですから、この私がエスコートしますよ!」
「まあ、よろしいの?」
「もちろん! それにドレスもお贈りします……よろしいでしょうか? ウィノナ……」
「ええ、お任せいたしますわ。ジャマナ」
「貴女がお怒りでなくて良かった……あのときは申し訳なかった……謝罪します」
「森でのことは、お互い無かったことにいたしましょう。謝罪を受け入れ、あなたを許します。ジャマナ」
「ああ、貴女の優しさに感謝します!」
王子殿下は、すっかり気が抜けてしまったようで、わたくしの膝枕で熟睡するとスッキリした顔でお帰りになった。
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プリンキピアというのは、どうやら特別集会の名前のようね。
王子殿下が主催する王党派の集いという以外、ほとんど情報がなかったので、またアトマに動いてもらうことになってしまった。
「……つまり、プリンキピアの情報は、段階的に開示されているということ?」
「そのようです。姫様の場合は、王子殿下が直々に判断して招待に至ったようですが、一般貴族はすでに仲間と認められた者の紹介がないと参加できません。また、その中でも細かく階層が分かれており、忠誠を誓いレベルを上げて行くことで最終的には王子の直参になれるということでした」
「なるほどね……」
優秀な人材を味方につけるというのは、とても難しいことなのだ。
能力の高い人材は、判断力もまた高いので、見切りをつけるのが早い。
サーラやアトマのように、小さい頃からわたくしとの絆を深めていって、お互いに成長できるのが一番確実なのよね。
そういう意味では、ジャマナ王子にも不逞の輩たちが居たわけなのだけれど……
「アレじゃあねぇ……」
「いかがいたしましょうか?」
「プリンキピアに関してはもういいわ。後はわたくしが調べます。魔国の流儀のほうは、何かわかった?」
「は、魔国でも、婚儀前に男女の仲を深めるのは好ましくないとされているようです」
「やっぱりそうよね……ありがとう、下がっていいわ」
「それでは、失礼いたします」
影の者らしく、アトマは音もなく一瞬で消え去る。
相変わらず凄い能力ね……
アトマのおかげで、おかしいのはジャマナ王子側だということがわかってホッとしたわ。
すると、今度は廊下のほうから騒がしい声がする。
「姫様! 王子殿下からお召し物が届きましたよ!」
「まあ、サーラ! 昨日の今日で早いわね!」
「それだけ、王子殿下が姫様にご執心ということではございませんか?」
「はぁ……それはそれで先が思いやられるけれど」
「また、そんなことをおっしゃって……」
ジャマナ王子殿下は、質の高い人材を集めるよりも、味方の忠誠心を高めることに腐心しているようね。
もしかしなくても、王党派はかなり脆い結束しかないんじゃないかしら。
わたくし、お兄様のお役に立てないかもしれないわね……
このときはまだ、わたくしは呑気にそのような考えを巡らしていた。