2.「順番どおりにしないから」part 6.
「嫌がらないということは……私を受け入れてくださるのですか?」
王子殿下にそう言われて、ハッと我に返ると、わたくしは腕を引っ込め俯いて見せる。
拒否し過ぎても情緒がないし、受け入れ過ぎても品がないしで、判断が難しいですわ。
何より、まるで芸術品のように美しい王子殿下のお顔が、嫌悪感を半減させていると思う。
二人で見つめ合っているだけでも、夜の庭の霊妙な雰囲気に当てられて、何か精神攻撃を受けているような感覚に陥るわ。
これはダメだ……
わたくしは、失礼のないように王子殿下に言い訳をするしかない。
「申し訳ございません……わたくし、そのようなつもりではありませんでしたの」
「ではどのようなおつもりで?」
「わたくし……あなたの美しさに目を奪われて、少し意識を飛ばしていたようですわ、ジャマナ……」
嘘は言っていないもの……大丈夫よね?
恐る恐る見上げると、わたくしをじっと見つめる群青色の瞳が揺らめいたように感じた。
「貴女は私を美しいと思ってくださるのですね……美しい貴女の言うことならば信じよう、例え私のためにならない言葉としても」
「あなたのためにならないですって? 一体どういう意味ですの?」
「今は……これ以上申し上げられません。ご容赦を」
「あなたもやはり……いえ良いのです。わたくしたちは、国を背負う運命から逃れられぬ立場ですもの。魔国の王子殿下としては、気軽に発言できないこともあるのでしょう」
「それは、貴女も同様だと?」
「ええ、そうですわ。わたくしは、魔国からニルヴァーナ王国に、援軍を送っていただきたいと要請しなくてはいけませんの」
「そのために私との関係を結んだ?」
「この婚約は、我が国への侵攻を思いとどまっていただくためのものですわ」
「では、軍を送らないほうがいいのでは?」
「友軍を……助けとなる力が欲しいのです……」
話の雲行きが怪しくなってきたように感じ、わたくしはジャマナ王子と合わせていた視線を斜め下に逸らす。
確かに、要求をするにはまだ早かったかもしれない。
わたくしにはまだ、あやふやな婚約者の立場以外ないのだし、王子殿下に寵愛されているというほど深い関係ではない。
何より、タウオン元大臣の革命が成ってしまえば、どんな約束を取り付けても不履行になるだけだろう。
でも……と、わたくしは思う。もう一度、王子様と視線を合わせ、真剣に伝えようとする。
「わたくし個人といたしましては……何があろうとジャマナ様をお支えする所存ですわ」
「貴女個人の想いを、もっと聞かせてほしい、ウィノナ」
「わたくし……王女として教育されてきましたの。だから愛のない政略結婚をするのだと思っておりました」
「ん……それは私もです。でも、違った?」
「そ、それは……あの……んんっ!」
わたくしが答える前に、王子殿下が口付けをしてきて、会話は途絶えた。
「貴女に触れたい……」
「も、もう触れていらっしゃいます……これ以上は……はむッ!」
まるでわたくしを食べようとするかのように、口を開けて迫ってくるジャマナ王子の口内に4本の牙が見えた。
その犬歯の先がわたくしに当たらないようにして、王子様は器用に口付けをする。
でもだんだん王子殿下の息が生臭くなってきて、思わず目を開けると、そこには白い耳と鼻先に長いヒゲの生えた獅子のような頭の獣人がいた。
「んん! お、おう、じ……殿下! 変身が解けているわ!」
「やはり持たなかったか……すみません、ウィノナ。今宵はこれまでとしよう。お部屋まで送ります」
「持たないって?」
「年に1度の極大満月が我々の野生を呼び覚ますのです。今頃、大広間では宴が盛り上がっている頃でしょう。毎年死者も出る祭典なので、貴女をこんなところへ連れ出しました。ご容赦を」
「まあ……それではあなたも狼になってしまうのかしら?」
「私は白獅子の獣人なのです。あなたが美しいと言ってくださった顔は、いわば仮面のようなもの」
「そうでしたのね……全身が獅子のようになりますの?」
「お望みとあらばお見せしよう……」
そう言うと、ジャマナ殿下は白い大きな雄獅子となって、しっかりと四つの足で地面を踏みしめる。
こ、これは本当に美しいわ……
満月の光に照らし出された白獅子は、全身から光を発しているように不思議な存在感があった。
「いかがかな? お気持ちは冷めてしまったのでは?」
「そんな……そんなことはございませんわ! なんて美しい毛並みなのでしょう……触っても?」
「ご随意に」
「失礼いたします……」
白獅子のたてがみをそっと撫でると、ジャマナ王子はグルル……と喉を鳴らす。
そして、そのまま額を押し付けてきて、スリスリと気持ちよさそうに目を閉じた。
もしかして、王子殿下は獅子だから、あんなに頭を撫でられたがったのかしら?
わたくしは、大きな白獅子となった王子殿下を何度も撫でながら、これまでの不可思議な行動に納得してしまっていた。
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わたくしたちの関係は、思いのほか順調に進んでいるように思う。
王子殿下が白獅子の獣人というのは驚きだったわ。
その話は特に秘密というわけではないらしく、居室まで大きな獅子の姿でわたくしを乗せてくださったジャマナ王子殿下は、侍女のサーラにも獅子の姿でご自分のお名前を明かしていた。
それを知ったサーラは、早速ブラディオン様が狩猟豹の獣人という情報をつかんできたのだった。
魔国では、獣人が最も数が多く、それ以外の種族はあまり見かけないようね。
竜人も強そうだけれど、たいていの竜人はそれほど好戦的ではなく、目立って強い個体もいないらしいわ。
魔国には空を飛ぶ竜車があるくらいなので、竜というのは馬のように大人しい使役動物なのかもしれない。
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「姫様、王子殿下がいらっしゃいました」
「お通しして、サーラ!」
軍を出してほしい旨をお伝えしてしまったので、何か動きがあるのかもしれないと思いながら王子殿下をお迎えすると、ジャマナ様は上機嫌で雑談をして帰っていった。
とりあえず、お茶会のお誘いがメインのご用事だったようね……
まさか……忘れてる?
王子殿下の真意が見えず、わたくしは戸惑ってしまった。
「先日は失礼しました、ウィノナ姫」
「お加減が良くなったとのことで安心しました」
「元気じゃ〜ん☆ よかったねぇ」
「また楽しみましょ」
「無理させたみたいで……悪かったな……です」
「すんません……」
お茶会は、相変わらず不逞の輩が出席していて、ジャマナ王子が間に入ってわたくしへの謝罪が行われた。
この方達、わたくしにあんな事をしておきながら、反省の色がまったく見えませんわね……
むしろ、こんな風に無理強いさせられて、被害者意識すら垣間見えますわ?
でも、形だけでも謝罪させようという王子殿下のお心遣いを無碍にすることはできないでしょう。
ここは、わたくしも歩み寄りを見せなければ……
「謝罪していただければいいんですのよ。あまり度が過ぎるおふざけは、王子殿下にもご迷惑がかかりますから、今後はお控えくださいね」
もっと言ってやりたいことはあるけれど、とりあえずこの不逞の輩たちを更生しなければ、ジャマナ王子が王位を継ぐどころの話ではありませんわ。
わたくしは、懐柔策で何とか事態の打開に努めようとする。
後から考えると、それが仇となったようでしたわ。