2.「順番どおりにしないから」part 5.
結局、わたくしの『祝福』とやらは2週間程度で効果が消えた。
その間、体調不良ということで静養をさせていただいたのだけれど、いまだ立場が不安定な環境で寝込むというのは完全に悪手だったわ。
「姫様、王子殿下がいらっしゃいました」
「ありがとうサーラ、すぐお通しして」
「かしこまりました」
さあて、遅ればせながら挽回しなくてはね!
わたくしは完璧な姿でジャマナ王子殿下にお会いする必要がある。
病弱な人間族の姫など、婚約者に値しないと思われては大変ですわ。
「ウィノナ! やっとベッドから出られるようになったんだね!」
「ご心配をおかけして申し訳ございません、ジャマナ」
「いいんだ、こうして貴女が私を迎え入れてくれることが、今はとにかく嬉しい」
取り敢えず、婚約を解消するといった話はまだ出ていないらしい。
王子殿下と婚約しているわたくしは、当たり前のように王党派と見られているのでしょう。
婚約解消の話が出るとすれば、やはり改革派からでしょうけれど、病弱な婚約者のほうが改革派からすれば好都合なのかしら。
だとすれば熱心な王党派から「弱い王妃などいらない!」という声が上がりそうだけれど、こちらは王様の方針に反対できない事情があるのかもしれないわ。
王子殿下は、相変わらずわたくしを気に入ってくださっているように見える。
さもなくば、会ってすぐさま、わたくしの膝枕をご所望にはならないでしょう。
早く魔国からニルヴァーナ王国に援軍を送ってもらえるよう、お話をつけなければ……
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「姫様、アトマが報告に参りました」
「聞きましょう」
「ご報告いたします。改革派は、貴族の大半を味方につけた模様です。タキオン・イム・ジェヴォーダンが、新たな力を手に入れたという噂がありますが、いまだその力については情報が厳重に秘匿されているようです」
アトマの話を聞いた限りでは、改革派に分がありそうね……
元大臣のタキオン様にはお会いしたことがないけれど、そのご子息のルクソン様とブラディオン様のご様子から察するに、かなりしっかりとしていそうだわ。
そもそも、大臣になれるほどの力量があるのなら、実務経験も豊富で政治問題にも精通しているはず。
ここはやはり改革派にも繋がりを持っておきたいところね……
「サーラ、今のうちに伝えておきます。わたくしはこの魔国で生贄となる覚悟です。今後どうなったとしても、あなたはブラディオン様の元へ行きなさい。そしてどこまでも生き抜くのです」
「そんな、姫様、私は……!」
「これは命令よ、サーラ。そもそも、今まで生きていられたのが、奇跡みたいなものなんですからね。もちろん、今すぐではないわ。そしてアトマ、わたくしが居なくなったら、サーラに付き従って助けてあげてね」
「ッ! ……わかりました、姫様」
サーラが動揺したように、アトマもまた、一瞬だけ言葉を詰まらせる。
でも、すぐに普段通り返事をしたのは偉いわね。
アトマの様子を見て、サーラはすぐに落ち着きを取り戻した。
二人とも、優秀で大事なわたくしのお友達だもの……
できるだけ前向きに生きてほしいと思う。
「さあて、それでは明日の準備をしましょうか! ドレスはどうしようかしら? サーラ、髪はお願いね?」
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魔国の王様が主催する王宮舞踏会は、これまでとは比べ物にならないくらいの規模で、大広間が華やかな衣装を身につけた貴族でいっぱいだった。
どういうわけか、全身に宝石を散りばめたご婦人もいらっしゃるわ?
「これは壮観な眺めですわね……」
「お気に召しましたか? 今回の夜会は、貴女の快気祝いも兼ねているのです」
「まあ、そんな……光栄ですわ」
大金持ちが自費で開くパーティーならいざ知らず、国政を預かる王様がこんなことをするのでは……改革派も鼻息が荒くなるというものだわ。
とはいえ、ここにいる貴族たちのほとんどが王党派だとすると、本当に魔国の規模は恐ろしいほどに大きい。
「今宵の貴女は、これまでにも増して美しい……私こそ貴女の婚約者となれて、こんなに光栄なことはありません」
「まあ……」
キザな台詞を吐いて、わたくしの手に口付けをするジャマナ王子は、約束通り公の場では完璧な婚約者を演じている。
わたくしも、殊勝に目を伏せて、恥じらいの演技は完璧ですわ。
これはもはや、狐と狸の化かし合いなのだ。
わたくしは、どこまでも本心を見せずに、敵の懐に入って行かなければならないのよ。
いつものように、大きな階段の踊り場で皆さんに挨拶をすると、王族とその関係者は一段高い席につく。
しかし、すぐにわたくしは王子殿下に手を取られて、ホールの真ん中に進み出た。
なるほど、実際に踊って見せて、元気なことをアピールするのね……
わたくしだって王女の端くれ。人々の好奇の目に晒されることには慣れておりますわ。
微笑みを浮かべながら、わたくしはジャマナ王子に身を預ける。
相変わらず、魔国のダンスは派手なリフトやジャンプが多くて、わたくしには難しい部分も多いけれど楽しくもある。
気持ちで負けてはいけませんのよ。
体を動かすうちに気分が上がって、思わず笑顔で王子殿下を見上げると、群青色の瞳がわたくしを捉えた。
この王子は……こんなにも美しいのに、なぜわたくしをそんな目で見つめるのかしら?
これだけの貴族がいれば、もっとふさわしいご令嬢も居たのではない?
思わず目を逸らすと、ジャマナ王子が不安げに囁いた。
「どうしました? まだ気分がすぐれませんか?」
「いいえ……わたくし……何でもございませんわ」
すると、グイッと体を引き寄せられて、わたくしは王子殿下の腕に抱き寄せられる形になる。
「そうやって……私を煽って楽しいですか? 貴女は無自覚に私を翻弄する……いい加減になさい」
耳元でそんなことを言われたら、どんなに気を張っていても蕩けてしまうわ。
わたくしは、王子殿下に心を奪われているのだろうか?
自分でもよくわからないままだった。……むしろ、わたくしを翻弄しているのはジャマナ様のほうではなくて?
少なくとも、雰囲気たっぷりに頬を舐められ、長い接吻を受けても嫌だとは思わない。
ヒュー! イェー! ガオー!
周囲から、いかにも魔国らしい声が上がる。いつの間にか拍手の渦に飲み込まれ、祝福の宴は最高潮に達した。
居室で二人きりでもないのに、こんなこと……
それなのに、王子殿下が唇を離すと、わたくしは思わず追い縋りたくなってしまう。
「そんな……顔を……いけませんよ、ウィノナ姫……」
「え……?」
ジャマナ王子が顔を赤らめながら、わたくしをまっすぐに見つめる。
この方は、本当に何を考えているのかわからない。
わたくしは今、どんな顔をしているというの?
「少し、庭を歩きましょう」
「ええ、はい……」
王子殿下に手を引かれて、わたくしは言われるままに外へ出る。
空気が清浄に感じられ、今までの室内は、香水や料理の匂いでごった返していたことに気づく。
今は……前を歩くジャマナ王子から、微かに香るフレグランスが心地いい。
夜風に乗って浮き上がる王子殿下の後ろ髪を、わたくしはただぼんやりと眺めていた。
これが単なる恋人同士のやり取りなら、どんなに良かっただろう。
何も考えず、心を預けてひとつになれたら……
でも、わたくしは王女で、ジャマナ様は王子。
お互いに、国家という大きな存在の思惑から逃れがれない政略の駒であり、そこに感情は必要とされていない。
だけど……
「ウィノナッ……私はもう我慢できない!」
「きゃ……! 王子殿下!?」
「またそんな他人行儀な……ここでは私たち二人だけなのに……」
「で、でも今はまだ夜会の最中で……んむッ」
いきなり強く抱きしめられ、わたくしたちは四角く整えられた植え込みの影に紛れる。
ジャマナ様はわたくしの意見を無理やり唇で塞ぐと、頬をぺろりと舐めて斜め上から見下ろしてくる。
ちょうど美しいお髪の向こうに月が見えて、髪の1本1本がキラキラと透けて輝いていた。
「貴女はわたしと、こういう事をしたくはないですか……?」
「そんな……わたくしからは申し上げられませんわ……」
「では、私が嫌なら拒否してください」
「ひゃ……!」
「ああ、愛している……ウィノナ」
王子殿下は、わたくしの手の平をレロリと舐めると、そのまま挑戦的な視線をこちらに向けながら指まで舌を這わす。
そ、そんな……いつもと方向性が違いますわ……!
ジャマナ王子の蒼瞳に飲み込まれそうになりながら、わたくしは引き際を見極められないでいた。