1.「隣国からの花嫁」part 1.
空間をあらわすもの 17話part 8.のあたりを把握してから読むとわかりやすくなっております。
——魔国の王族は人間を喰らう——
そんなふうに言い伝えられて来たから、この縁談が決まってからというもの、わたくしは夜も眠れず震えが止まらなかった。ダイノス王の娘として、ニルヴァーナ王国の姫として、恥じることのない人生を送ってきたつもりだけど……わたくしの役目は生贄になることなのだろうか……本当に?
高貴な生まれの男子は、民の税を集めて良い暮らしをしているけど、いざという時は土地を守り命をかけて戦う。
では高貴な生まれの婦女子は……やはり命をかけなくてはいけないのだろう。それはわかっているつもりだったけれど、いざ魔国に嫁ぐことを命じられると、死刑宣告を受けたような気がして現実を受け入れられなかった。だって、殿方は戦うための訓練ができるし、少しずつ戦場に体を慣らしていくこともできるじゃない。わたくしは生贄になる練習などしていないというのに。
「姫様、やはり昨夜も眠れませんでしたか?」
「ええ、ごめんなさいねサーラ。せっかくいいアロマを焚いてもらったのに……」
「いいえ、お役に立てず申し訳ございません」
テキパキと身の回りの世話をしてくれる侍女のサーラは、物心ついた頃からわたくしに付いてくれており、心を許せる相手だ。
「ねえ、サーラ。本当にいいの?」
「何がです?」
「わたくしと一緒に魔国に行くなんて……」
「お気になさらず。私は姫様にどこまでも付いていくのが仕事なんですから」
サーラの気持ちが心から嬉しい反面、だからこそ危険な魔国には連れていけないと思う。だけど、昔からサーラは、こうと決めたら頑固に信念を曲げない強さがある。それに今までは助けられて来たけれど、今回ばかりはその頑固さが厄介な問題だった。
だって、わたくしが生贄になった後、ひとり残されたサーラはどうやって生きていくの?
……もしかして、この子はわたくしと一緒に死のうとでもいうつもりなのだろうか?
人の心配をしている余裕があったら、自分のことを考えろ……とお父様はおっしゃるでしょうね。
わたくしが守るべきニルヴァーナ王国は、ゆっくりと滅んでいるのだ。
もはや軍隊もろくに用意することができず、こうして王女を生贄にして魔国に庇護を求めるしか生き残る術を持たない国。まだお父様であるダイノス王の威光が保たれているうちはいいけれど、近いうちに崩壊がはじまるだろう。すでに地方行政官が官職を私物化し、金銭で売買しているという報告が上がっていた。
お兄様が無事に王位を継げればいいけれど、そのためには、わたくしが魔国の援軍を送ってもらうという約束を取り付けなければ。
わたくしが嫁ぐのは、魔国に侵攻されないため。
その先の政治的な問題は、わたくし自身が夫となる魔国の王子殿下と交渉しなければいけないのだ。
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「我が愛すべき王女、ウィノナ・ウーラ・モルジェイユよ……魔国へ旅立つにあたり、言い残すことはあるか?」
「そうですね……わたくしのことは心配せず、常に正しく国をお導きくださいませ」
「わかった……不甲斐ない父ですまぬ、達者でな」
「お父様も、お体には十分お気をつけくださいませ」
儀式的に別れを言って馬車に乗る。
泣いたところで運命が変わるわけではないもの。わたくしは泣かないわ。サーラだって一緒だし、気持ち的にはいつもと同じ。そう、何も変わらないのだわ。わたくしには絶対にやり遂げなければいけない使命があるんですもの……
サーラが巻いてくれた髪は、美しい縦ロールになっていて、わたくしに自信をくれる。
今は後ろを振り返るときではないのだわ。前を向いて、進まなければいけません!
「はいやぁ〜!」
御者が鞭を叩き、馬車が走り出すと、わたくしは目を閉じて息を整えた。
「姫様……」
「あら、おかしいわね……どうしてかしら……うっ……うぅ……」
とうとう慣れ親しんだ家族やお城から離れてしまった。
わたくしは止まらない涙をどうすることもできず、サーラに縋り付くことしかできなかった。
何かが終わったのね……
わたくしの運命だけでなく、周囲のすべてが終わりに向かっている。
この流れに抗えるのかはわからないけど、みんなで考えて出した最善の答えだもの。わたくしも納得しているし、王女として国のために何かしたいという気持ちだけは一人前にあるのだ。
魔国では、人間など弱い存在。
だからわたくしたちは、出来うる限りの魔法防御を重ねがけして、身を守ってくれる魔道具も身につけた。
サーラにもしっかり身支度をさせて、最低限の守りは固めている。
何が起こるかわからないけれど、魔国の王子殿下の御前にたどり着くまでは死ねないわ。
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「姫様、国境の門にたどり着きました」
御者が固い声で話しかけてくる。
大丈夫よ、魔国内まで行けなんて無茶なことは言わないわ。
でも、この御者ブッセも付き合いは長いほうなので、サーラみたいに付いていくと言いかねないのだ。いやむしろ、サーラが行くなら自分も行くと言わなければいけない……なんて悩んでいるかもしれないわね。
だから、わたくしは敢えて命令する。
「ご苦労でした。お前は下がりなさい。ここまでどうもありがとう、ブッセ」
「ひ、姫様……ご無事で……!」
役目を終えた御者は、緊張が解けたのか急に泣き出した。
それをサーラが上手くあしらって、わたくしたちは歩いて国境の門をくぐる。
魔国に入ると、ほとんど人間と見分けのつかないような者たちが待ち構えていて、わたくしに向かって恭しく礼をした。
「ルクソン・イム・ジェヴォーダン。お見知り置きを」
「私はブラディオン・イム・ジェヴォーダン。姫様のお迎えにあがりましてございます。兄のご無礼をお許しください」
聞けば、お二人は魔国の大臣様のご子息らしい。
どうりで上品な雰囲気を纏っているはずね。高位の貴族に名を連ねるものが出迎えてくれるのならば、一応わたくしたちを国賓として遇するつもりがあると思っていいのではないかしら。
国境を超えた瞬間、魔物の餌になるということはないみたいで、ひと安心ですわ。
「このお方は、ウィノナ・ウーラ・モルジェイユ。高貴なるお生まれによって、こたび魔国に嫁ぐこととなられた、ニルヴァーナ王国の姫君です」
サーラがわたくしのために口上を述べると、ブラディオン様は軽く微笑んでわたくしの侍女に声をかけた。
「貴女も魔国についてくるつもりですか?」
「ええ、いけませんか?」
ちょっと、サーラ! こんなところで喧嘩腰はおやめなさいな!
内心焦りながらも、わたくしは注意をすることができない。微笑みを絶やさないことで、何とか対面を保っているのが精一杯。
「いいえ、大歓迎ですよ。ですが名簿に名前を書き記しておかないと、貴女の安全を保証できませんのでね。よろしければ貴女のご芳名を頂戴しても?」
サーラはわたくしと一緒に魔国語を学んでいるけれど、ブラディオン様の小難しい言い回しが理解できなかったようで、困惑気味にこちらを振り返る。
「失礼いたしました、この者はわたくしの侍女でサーラと申します」
「おおサーラ! 美しい名前ですね。魔国は貴女を歓迎いたしますよ、勇敢な侍女殿」
「ブラディオン、そのくらいにしておけ。この姫君はジャマナ王子の婚約者となられる御方。早く魔車にお連れするのだ」
「りょーかい! 兄上には逆らえませんので、失礼。サーラ嬢」
魔国にも意外と話せる者がいるのね……
わたくしは、自分の使命を果たすのが夢や幻という程には難しくないような感じがして、少し気が楽になった。
空間をあらわすもの4の前に、スピンオフ作品を書いてみました。
違う視点からの魔国事情をお楽しみいただければ幸いです。
ネタバレですが、空間をあらわすものシリーズをお読みいただけますとわかるように、この話はバッドエンドとなっておりますのでご注意ください。