第31話 2つの契約
「……返さない、と言われても、あの子は私が買ったんですよ」
「買った?」
「住み込みで働くことが決まった時に、あの子の両親にはずいぶんとお金を渡しましたからねえ」
こいつ、今度は金をゆすろうとしてるのか?
「あの子は仕事を放り出し、一人で逃げたんです。私としては、はいそうですかと、許すことは難しく……。分かるでしょう? 他の者に示しがつきませんし」
下卑た笑みを浮かべて、男が俺を見つめてくる。
こいつの要求は分かりやすい。
ルイを返すか、返さないのなら、その代わりに金を払えと言っているのだ。
「分かった」
俺が頷くと、ジェームズは驚いたように目を見開いた。もう少しごねると思っていたのだろう。
正直、こいつの要求を受け入れたくない気持ちはある。
しかし、ルイのことを考えれば、こいつとは早めに縁を切るのが一番だ。
「金を渡す。代わりにお前には、二度とルイに近づかないという誓約書にサインしてもらう」
誓約書に違反すれば、俺はこいつを堂々と訴えることができる。さすがにこいつも、伯爵である俺とそこまで対立することは避けたいはずだ。
「そこで待っていろ」
こんな奴に、俺の家に入ってほしくない。
冷ややかな声でそう言うと、ジェームズはつまらなそうな顔で頷いた。
◇
「ほら」
右手でジェームズに誓約書を渡し、左手で金貨の入った麻袋を見せつける。
何か言いたそうな顔をしつつも、ジェームズはおとなしく誓約書にサインした。
「……書きましたよ」
俺が誓約書を受け取ると、ジェームズは乱暴に俺の手から麻袋を奪った。
「それにしても、たかが使用人にここまで金を払うとは。よっぽど気に入ったんですね」
ジェームズはにやにやと笑い、俺に一歩近づいてきた。
「伯爵様が望むなら、美しい少年を他にも紹介しましょうか? ルイだって、いつまでも少年でいられるわけじゃないでしょう」
ジェームズの発言に、目の奥がちかちかする。
こいつは本当に、どうしようもないやつだ。
「帰れ、お前にもう用はない」
話したところで分かり合えないし、分かり合いたくもない。
俺の反応がつまらなかったのだろう。ジェームズは軽く頭を下げると、馬車に乗って去っていった。
彼の家には、ルイと同じように、苦しんでいる少年たちが他にもいるのかもしれない。
想像すると胸が痛んだが、俺は全ての少年を救えるような立場にはない。
今払った金だって、正直、痛くないと言えば嘘になる。
「ルイのところに戻らないとな」
ゆっくりと息を吐く。あんな男のことは忘れよう。俺は、ルイとしっかり向き合わなきゃいけないんだから。
◇
「ルイ」
中庭に戻ると、ルイはベルに支えられて立っていた。
その身体は震えていて、目はじっと地面を見つめている。
「ほら」
ジェームズからもらった誓約書をルイへ渡す。
そこには金と引き換えに、彼が二度とルイに近寄らないことが明記されている。
書面を確認すると、ルイは勢いよく顔を上げた。
「コルベット様、あの、こんな金額……」
正直、平民が一生かかっても返せるかどうか分からない額だ。
「金のことはいい」
「……でも」
「じゃあ、代わりにお前も、俺と契約してくれ」
ルイは顔を上げて、じっと俺を見つめてきた。
緑色の瞳が、陽光を浴びて美しく煌めく。涙で濡れた瞳が、宝石のように見えた。
やっぱり、めちゃくちゃ可愛いんだよな。
こんなに可愛いのに男だなんて、今でもまだ脳が混乱している。
でも、男だろうと女だろうとルイはルイだし、可愛いものは可愛い。
「これからは、俺には本音で話してほしい。ルイが何を考えてるのか、何を思ってるのか、ちゃんと知りたいんだ」
ルイにはきっと、俺の他に頼れる人なんていない。
だからこそ俺が、ルイを全力で守ってやるんだ。
「コルベット様……じゃあ、僕、これからもここにいていいんですか」
「ああ」
ルイの瞳から涙があふれてくる。
そして、ルイは勢いよく俺に抱き着いてきた。
あまりの勢いに倒れそうになるが、そこはなんとか、両足の裏に力を入れて踏ん張る。
「女だって勘違いされてるんだって気づいて、でも、本当は男だって言うのが怖かったんです」
「……男だったら、俺が見捨てると思ったのか?」
ルイは少しの間黙ってしまった。
「まあ、それもちょっと、ありますけど……」
やっぱりあったのか。
まあ、そうだよな。男でも、全く同じ対応をしたとは言えないし。
「僕、思っちゃったんです。コルベット様みたいな人に愛されたら、幸せだろうなって」
「え?」
「優しくて、穏やかで、一緒にいると、安心できて」
ぎゅ、とルイは俺の手を握った。
「要するに僕、好きになっちゃったんです。コルベット様のこと」
ハンマーで頭を殴られたみたいな衝撃に、どう答えればいいか分からなくなってしまう。
ルイが俺を好きなんだろうということには気づいていた。
まあ、今だって、ルイの気持ちが純度100%の恋愛感情ではないだろうと分かってはいるけれど。
俺、生まれて初めて告白されたな……。
しかも相手は、超絶可愛い子だ。夢にまで見たシチュエーションである。
ただ一点、相手が男だという点を除けば。