第29話 ルイの元主人
「奥方様がいらっしゃる身で、他の女性と手を繋がれるのはいかがなものかと」
じとり、とした目でルイに睨みつけられる。アグネスがとっさに俺の手を離すと、すぐにスザンヌが飛んできた。
「婚姻前の女性が男性の手を握るなんて、どうかと思うの。きっとアグネスのお父様が知ったら怒るわ」
「……ええっと、あのねえ」
アグネスはスザンヌを見て深々と溜息を吐いた。
そして俺に視線を移し、軽く頭を下げる。
「どうせ、こそこそと隠れて見ていたんでしょう? だったら、お父様が怒るような会話はしていないと分かるはずよ」
「……でも、何でもする、なんて言うのは危なすぎるわ。
そりゃあ、領主様が酷いことをおっしゃるとは思えないけれど……」
俺を見て、スザンヌが気まずそうに目を逸らす。
俺が他の女の子に手を握られていたから嫉妬した……なんて可能性は、たぶん一ミリも存在していない。
スザンヌはぎゅっとアグネスの手を握った。
まるで、俺と触れ合った箇所を、自らの手で上塗りするかのように。
「あの二人は、とても仲がいいようですね」
ルイが俺の耳元でわざわざ囁く。
「仮にも奥方様がいらっしゃる方が、軽率な行動をとるのはどうかと」
仮にも、という言葉を強調したように聞こえたのは、きっと気のせいじゃない。
「……怒ってるのか?」
「どうしてですか?」
そう言いつつ、ルイの唇はわずかにとがっている。
分かりやすい表情が可愛くて、別に謝る理由もないのだが、つい、ごめん、と俺は頭を下げてしまった。
「分かればいいんです、分かれば」
満足そうに頷き、ルイが俺の手をぎゅっと握った。
ルイは絶対、俺がアグネスに手を握られたことに嫉妬してるよな。
どう見たって、やっぱりルイは俺が好きなんだろう。
「では領主様、私たちはそろそろ失礼いたします」
スザンヌが笑顔で言うと、アグネスが困ったような顔で頷く。
二人の手は、しっかりと繋がれていた。
「あ、ああ。またな」
手を繋いだまま、二人が去っていく。
後ろ姿を見送って、俺は深い息を吐いた。
「なんか今、がっかりしました?」
「あ、いや、そういうわけじゃ……」
「嘘をつくのも、どうかと思いますけど?」
責めるような目を向けられても、正直可愛いだけだ。
それに、こんな態度をとれるくらい、ここに慣れてきたってことだろう。
「俺と手、繋ぐか?」
言いながら、自分で恥ずかしくなってきた。
なんだ、このイケメンぶった台詞は。
しかしルイは俺を見つめ、照れたような表情のまま頷く。
いったい、ルイには俺がどう映っているのか。
照れくさい気持ちになりつつ、そっとルイの手を握ろうとした、その瞬間。
「大変なの! コルベット様!」
顔を真っ青にしたベルが姿を現した。
「どうしたんだ?」
ベルが急いで俺に近づいてくるが、動揺で足がもつれ、転びそうになった。
そんなベルを、ルイがそっと支えてやる。
「今、屋敷の前に、馬車がとまっていて……」
「馬車?」
「ええ。それで、コルベット様に用事があるからと、わざわざ遠くからきたみたいで」
「俺に客?」
一瞬目を閉じて、必死にコルベットの記憶を頭の中で探る。
前世の俺と同じく陰キャだったコルベットに、わざわざ訪ねてくるような客人の心当たりはない。
それにベルの表情を見る限り、コルベットの旧友がわざわざきてくれた、なんてことはなさそうだ。
「誰なんだ?」
ベルが一瞬、ルイを見て悩んだような表情になった。
「……ジェームズと名乗る、商人の方ですわ」
ベルが口にしたとたん、ルイが無表情になった。
そして、ルイの身体が小刻みに震え出す。
「ルイ?」
返事はない。もしかしたら、俺の声は聞こえていないのかもしれない。
「自分の使用人が……ルイという少年が逃げ出したから、探しにきたのだと」
「……は?」
ベルの言葉に混乱する。
俺の聞き間違いか? それとも、ベルの言い間違いなのか?
「……そいつは」
ルイがゆっくりと口を開く。声は震えていて、いつもより低い。
「僕の、元主人です」
そういえば俺は、ルイの一人称を今、初めて聞いた気がする。
もしかしてルイは……男なのか?
こんなに可愛いのに、男?
「えっと、ルイ、あのさ……」
口の中が渇いていく。
どう聞けばいいのだろう。
俺はずっとルイを女の子だと思っていたし、たぶん、ルイも俺にそう思わせるように振る舞っていたはずだ。
「ずっと黙っていて、申し訳ありません。僕は、男なんです」