第28話 知的美人お姉さん
なんとか無事に、授業が終わった。
終わりました、と報告にきた時のベルは疲れきっていたが、同時にすっきりとした顔をしていた。
「今日の学びが、みんなに何かしらの変化を与えていれば、俺は嬉しい」
その言葉で挨拶を締めくくると、一斉に拍手が送られてきた。
先程は退屈そうにしていた少女も、今はきらきらと瞳を輝かせている。
ベルのおかげだな、きっと。
「気をつけて帰るように」
はい、という元気のいい声が聞こえる。
部屋の奥に控えていたジゼルが退室を促すと、みんなが部屋を出て行き始めた。
「あの、領主様」
そんな中で、一人だけ俺に声をかけてきた子がいる。
アグネスだ。
「少しお時間をいただいてもいいでしょうか?できれば、その……二人きりでお話したくて」
囁くような声で言って、アグネスが身を寄せてくる。
身体が触れ合いそうになって、慌てて俺は一歩後ろへ下がった。
いや、今のは不可抗力なんだから、逃げる必要なんてなかっただろ!
とっさの判断に悔やんでいると、背後から鋭い視線を感じた。ちら、と振り向くと、頬を膨らませたスザンヌがこちらを見ている。
この視線、俺に対してなのか? それとも、アグネスに対してなのか?
「だめ、ですか?」
「だめじゃない」
即答してしまった。
いや、仕方ない。だってアグネスは、かなりの美人なのだ。
俺の好みはどちらかというと、可愛らしい年下だ。
けれど、セクシーなお姉さんの魅力に抗えるほど、強靭な精神は持ち合わせていない。
「じゃあ、こっちに……」
「はい」
さすがに俺の部屋へ連れ込むのはまずい。
というか、密室は避けた方がいいよな。
悩んだ結果、中庭へアグネスを連れ出すことにした。外なら、二人きりで話をしても問題はないだろう。
◇
「時間を作ってくださり、ありがとうございます」
アグネスが深々とお辞儀をする。さらさらの黒髪が揺れて、ふわり、と甘い香りがした。
「いや、こっちこそ、参加してくれて助かった。アグネスには、簡単な内容だったと思うが」
「重要なのは内容ではありません。学べる機会を作ってくれたことが、私は嬉しいのです」
目が合うと、アグネスは控えめに微笑んだ。
もちろん色気はある。けれどどこか弱々しい雰囲気も纏っていて、それがさらに彼女を魅力的にしていた。
「女学校を作りたいと、そう思っておられるのですよね?」
「ああ。アグネスはどう思う?」
「私としては、とても嬉しく思います。何度、男に生まれていたら、と望んだか分からないくらいですから」
アグネスはイーサンの娘だ。平民ではあるが、金銭的に不自由はしていない。
もしアグネスが男なら、領内の学校にはもちろん通っていただろう。本人が望めば、王都へ進学できていたかもしれない。
「私はもう、学校へ通えるような年齢ではないかもしれません。でも今後、私のような思いをする子が減ると思うと、すごく嬉しくて」
「アグネス……」
「私は近々、結婚させられると思います。行き遅れの私に、良縁があるかは分かりませんが」
もし望まぬ結婚をすれば、アグネスはどうなってしまうのだろう。
妻が勉強をすることをよしと思わない男であれば、きっとアグネスは大好きな勉強を奪われてしまう。
「……女学校の教師として職を得ても、それは変わらないのか?」
「領主様……!」
アグネスは涙でいっぱいになった瞳で俺を見つめた。
「教師になるなら、教えるためにも学び続けてもらう必要がある。つまり、アグネスの勉強費用は、学校の経費ということになるな」
「……そんな。どうして私に、そこまでよくしてくれようと思うのです?」
アグネスが俺に近づいてきた。
少しだけ身体が触れ合って、どくん、と心臓が飛び跳ねる。
「俺が領主だからだ。俺の仕事は、領民一人ひとりが幸せに過ごせるようにすることだと思ってる」
正直、ちょっと見栄を張った。
アグネスが美人だから、という理由も、十二分にあるからである。
「私、領主様のこと、心から尊敬します」
アグネスはぎゅっと俺の手を握った。
「父は女学校設立に反対かもしれませんが……私にできることは、何でもしますから」
アグネスが握った手を引き寄せたせいで、俺の手がわずかに彼女の胸元に当たった。
しかしアグネスは気づいていないらしく、真剣に俺の目を見つめている。
「アグネス……」
今、もしかしたら、めちゃくちゃいい雰囲気なんじゃないか?
年上の美人お姉さんも、考えてみれば最高だよな。
俺がにやけそうになった、その瞬間。
「二人とも、ちょっと距離が近すぎません?」
スザンヌの声がして、慌てて振り向く。
スザンヌの後ろには、ふくれっ面のルイもいた。