サイゼリヤ
「しかし、最近はどうも天候が優れませんね」
傍らに座る能面に話しかけるも彼は反応を見せない。
ただ座って、前を見ているだけ。
「後ろのお二人はいかがでしょう」
反応はない。
しかし、阿部カヲルは特に気にしない素振りで話を続ける。
「ラジオでもかけましょうか……いえ、やっぱりやめましょう。今はエンジンだけで十分ですから」
閑静な田舎町を走る。
まあまあ栄えているところだ。
大通りの脇には田舎町特有のファミレスや車用品店、ガレージ、ドラッグストアなどが並び、次々と通り過ぎてゆく。
「今日は久しぶりに晴れましたねえ、どうです?今日は久しぶりにピクニックでも」
「……」
「まあ無理にとは言いませんが」
彼は煙草を一本取出して助手席の能面に渡した。
「手が震えていますよ、許可しましょう」
能面の手が煙草に伸びる。依然、阿部カヲルは前を見たままハンドルを握る。
彼がそれを受け取るとゆっくりと能面を上にずらして咥える。
キンッ
すかさず阿部カヲルは胸ポケットにしまっていたライターを着火すると、ノールックで煙草に火をつける。
「窓を開けましょう」
ふわりと甘い煙が車内に籠る。
「クリーニングは任せましたよ」
阿部カヲルは笑って言った。
*
数キロほど走った時のことだった。
比較的車の量は少ない状況でもあった。
そんな中、突如強引に割り込むのは、年季を感じさせるセルボ。車体は大きく揺れ、危うく衝突事故寸前だった。
「大層にぎやかですね」
その声はいつもと変わり無い。
細い目をした彼は軽くため息を吐くと「何か曲でも流しましょう、気分を切り替えるには丁度良い」そういって、MDを差し込む。
Uptown Funkが流れる。
「どうかな――今日みたいな日和には中々合うでしょう?」
指先がリズムに乗る。次第2本3本、そして顎までもが音楽に合わせて刻む。
心が穏やかになってきた頃だった。
先ほど割り込んできた車が急ブレーキをかける。
途端にかかるブレーキ。
迫りくる先頭車両。
静寂に包まれる車内――その中で流れるUptown Funkはあまりにもミスマッチだったので、すぐに音楽を止める。
「とても――とてもとても困りますよ。ここまでお行儀が悪いなんて」
ハンドルを握る力が強くなる。
しかし、煽り車両は何かをする素振りをすることなく、何もなかったかのように発進する。
気持ちの良いことではないが、無用な争いは避けたい。あまりストレスは抱えたくないのだ。故に、ここから何とか離れる方法を考えている最中――再び前方車両が急停車をする――その瞬間、アクセルを思い切り踏み込んだ。
途端に胸にかかる衝撃。
飛び散るフロントガラス。
案の定ボンネットは思い切り歪んで、多分バンパーやらライトも割れて廃車確定だろう。
しかしこれで終わるはずがなかった。
ぶつかって、失速して尚、アクセルを踏み続け車体を前へ前へと押す――ぐちゃぐちゃになろうが知ったことはない。
殺す。ただただむき出しになった殺意が戻ることはない。
前方の車体が傾くと。バックをして狙いを定め、再び衝突させる。
耳をつんざく警報音。リヤバンパーが今にも取れそうになって、マフラーが凹んでいる。
後部座席を潰そうとしたその少しの隙間、勢いよく逃亡する――しかし、努力虚しくすぐに横に並んだ。
そして思い切りハンドルを傾けガードレール目掛けて圧し充てた。
金属が削れる音と共に火花が散る――右も左も逃げる場所を見失い。半ば浮いた状態である為に前後へも逃げる道がない。煽り車両は左右からの圧と摩擦の影響で幅がかなり潰れ今にも圧死してしまいそうな勢いに圧されて手も足も出ない状況にあった。
ほどなくして、間に挟んだ状態で停車するとヒビで曇ったガラスの外で必死に謝るような声が聞こえてきた。
何度も懇願するような必死に生にしがみつくような声、外へ出ようと必死にドアを叩く音、あらゆる音が聞こえ――一斉に彼に向って引き金を引いた。
「私は2度は我慢したんです。引き際を誤ったなクソ野郎が――」
四人全員が間髪入れずに一斉放射をする。
一人がM1911A1を15発
また一人がベレッタM92を13発
またある一人が同じくM92を16発
そして一人がP320を19発
薬莢が舞い落ちる。
声はない。サプライズもない。ギフトは静寂が送られてきた。
痛みを感じ、手のひらを見る。
「どうやら、ガラスにやられたみたいです」
しかし、なんてことは無いと言った風に携帯電話を取り出し、電話を掛けた。
『私です、少し粗相を致しまして、後処理をお願いします。ええ、後始末は今いる3人に任せますので、新車の手配を――そうですねフェアレディをお願いします――では』
通話を終えると、決して能面の方は見ず「ではお願いします」と言うと、4人が車を降りる。
経験ではもうそろそろ警察車両が来るらしいが今日は珍しく到着が遅い。
「では皆さん、よい夢を。あとは頼みます」
そう言って、彼らに手榴弾を二つ持たせると、阿部カヲルはその場から消えるのだった。
*
能面に持ってきてもらったs30は自分のコレクションの中でも五本の指に入る代物だ。
「助かりました……しかし、ポルシェがお釈迦になってしまったのは非常に心苦しいです。あれも寿命がもうそろそろと言った感じだったんですがねえ……」
傍らの能面も喋らない。
「まあ仕方がありません、お腹が空きませんか?お酒でも飲みながら美味しい料理でも食べたい気分です」
良い店を知っているんですよと、彼は寡黙な能面を乗せてサイゼリヤへと向かう。
「しかし、サイゼリヤと言っても侮れませんよ。ちゃんと安定して美味しいですからね。まあ一級に美味しい物を追い求めるのであればやや劣りますが、食事と言うのはクオリティではなく。やはり体験です……その食事の美味しさを担保する8割は気軽さだと私は考えているのです」
されどその気軽さが時として毒として機能することも忘れてはいけませんが――と付け足す。
ほどなくして、サイゼリヤへ入店する。
はじめは奇異な二人組に、ウェイトレスは怪訝な顔をして、席へと案内をする。
がらんとした店内。余計に目立つ二人組だ。
「サイゼリヤは良く安いなどと耳にしますが、値段を確認せずにポンポンと頼んでしまえばそれなりの値段になってしまうのが嘆かわしいものです。比較的安くはありますがね」
注文シートを一枚取り出してペンを走らせる。
「最近は色々と変わりました――あなたはいかがいたします?」
「……」
「では貴方の好みでも頼んでおきましょうか」
~阿部カヲルのフルコース~
前菜『ほうれん草のソテー』
スープ『コーンクリームスープ』
魚料理『エスカルゴのオーブン焼き』
肉料理『マルゲリータピザ』
サラダ『小エビのサラダ』
デザート『プリンとティラミスクラシコの盛り合わせ』
飲み物『コーヒー(ドリンクバー)』
付け合わせ:プチフォッカ
~能面のフルコース~
前菜『ポップコーンシュリンプ』
肉料理『ラムと野菜のグリル』
サラダ『モッツアレラトマト』
デザート『トリフアイス』
飲み物『コーヒー(ドリンクバー)』
付け合わせ:無し
ワイン『ベルデッキオ』
「結構色々頼みましたね」
呼び鈴を鳴らす、一通り確認するウェイトレスの不審者を見るような顔は未だ健在のようだ。
ほどなくしてワインが来る。
まだ明るいので白にした。
流れるように自分のと彼のでグラスに注ぐ。
「やはりイタリアンに合わせるならワインですね――乾杯」
*
「いやあ良い食事でした、やっぱり誰かと一緒に食事をするのは精神衛生上大切ですね」
そういいながら車に乗り込むと、エンジンをかけアクセルを踏もうとしたその瞬間――側頭部に硬い物が突き付けられる。
『動くな――』
視界の隅で自身の置かれている状況を把握する。
「随分と――」
「喋るな、手を挙げてこちらの指示に従え」
しかし阿部カヲルは従わない。
「急な来客はお断りしているんです。まずは自己紹介――マナーを押し付けたいわけではないのですが、礼儀を欠くのは印象としてよくありません」
「飯山……飯山聡」
「こんにちは飯山様、今回はどのようなご用件で」
「しらばっくれるな、もう全部こっちで調べさせてもらった」
「ほう、となると銃火器の製造に関して……いや毒ガス実験に関して……と言うことはCIAでしょうか」
飯山聡の微量な表情変化を読み取りながら答え合わせをする。
「ご名答、もうお前は終わりだ。早く降りろ――分かってるはずだ逃げ場はない」
口調が強くなるにつれ銃口が食い込む。しかし、余裕ぶった半笑いのその顔が歪むことはなく、一切変化のない目や口はまるで彫刻のように刻みこまれているようだった。
「貴方は――東京襲撃人への理解が浅い。浅い故に、どうなるかもわかっていないんです」
ふっと笑って阿部カヲルは飯山の方へと正面を向く。
そして、彼の手を覆い隠し、引き金を引けぬよう指で物理的にロックをかけると、眉間に銃口を向けた。
柔和で聡明でどこかミステリアスを漂わせる微笑み。
余裕ぶったその顔は不思議なことにまるで自分がまだ終わっていないとでも言う風に自信に満ちていた。
「お前……一体自分がどういう状況に置かれているのか理解できていねえようだな」
「さあ、それはどちらなのでしょうか……会えて良かったです。では」
瞬間、フェアレディは大破した。
*
3人は車内に仕込まれたC4爆弾により車体と共に爆散。即死した。
遺体の損傷は激しく。個体の識別ができないほどにまでバラバラに離散した。
爆発直後、背後にあった飲食店にも火災が発生。被害は建物の損壊のみ。レストラン内の従業員、一般客にはいずれも被害無し。
死亡は車内の3人のみ。
短い報告書だった。
フェアレディが大破したその5分後。
監視役の能面が全体を記録し、印刷。
そして次の阿部カヲルへと渡される。
そして、阿部カヲルは死亡した前任の引継ぎを、続きの日常を再開する。
彼のスーツを彼の手順で彼と同じ所作で身に纏う。
好みの銃も同じだ。左のホルスターにM1911を、右のホルスターにM36を。
車はベンツ123。
フェアレディが壊れたらこれに乗る。
阿部カヲルならそうする。
いや阿部カヲルだからそうなるのだ。
そして橙色に染まる東京湾を走る。
阿部カヲルが死ぬことはない。
それは彼の意志が受け継がれるというよりも、彼という存在は個体ではなく宿るものなのだ。
故に彼は不滅である。
故に彼は死を恐れない。
なぜならば彼は東京襲撃人であり阿部カヲルであり思想だから。