81・茜色の夕焼け(シャウラside)
ユレイナス公爵家の馬車の乗り心地は結構快適だ。
馬車の作りがしっかりしているのはもちろんだけれど、内装も小さなお部屋みたい。
ユレイナス公爵とリギルが結託して、ヴェラ様とお母様の身体に優しい馬車を開発したらしく、貴族が使う馬車で多分一番乗り心地が良いと思う。
ふわふわの座席が衝撃を吸収してお尻が痛くならない。元々道も土魔法である程度整備されているため揺れも少ないけれど。
ちなみにユレイナス公爵とは一度だけ挨拶したことがあるけれど、リギルそっくりだった。
大人になったらあんな感じかなあと思うとどぎまぎしてしまった。
私は目の前で寄り添いながら寝ている愛しい兄妹を見つめた。
ヴェラ様も疲れていたようだけど、リギルも疲れていたようでしばらくするとうとうとしていたので寝ていて良いと私が言った。
私たちの腰のあたりにはしーとべるとなるものが付いていて落下防止になっているらしい。これもリギルが考えたとヴェラ様が言っていた。
なので落ちる心配はないが、なんとなく、二人の安全を見守りたかった。
「ふふ、可愛らしいわ」
いつも大人っぽくて頼りになる優しい私の婚約者。寝ていると年相応というかあどけない。
お兄様もだけどリギルもひとつ上だと忘れてしまうくらい大人っぽい。同い年の子達と比べてみても、不思議に思うくらいだ。
お兄様は私のせいで大人にならざる得なかったのだけど、妹がいる兄ってこういうものなのかしら。
ヴェラ様のスキルや病状を調べる為という理由にせよ、家族旅行にも行ったことのない私としては今回の旅行はとても楽しみだわ。
隣国は確か魔族がいて交易が盛んな国、我が国とは違う意味で栄えているだろう。
「リギルは何故泣いてらしたのかしら…」
この世は理不尽だと言った彼の言葉には妙な重みがあった。
まるで何か理不尽なことに打ちのめされたかのように。
ヴェラ様のこれからを憂いているのだと思ったけど釈然としない。
私が必死にした慰めで、少しは傷が癒えたろうか。
「悪い事も、幸せも、一緒に…」
どうにもリギルにはまだ私に隠していることがあるような気がする。
ヴェラ様のことも重大な秘密ではあったんだろう。
あんな話、リギルの判断だけでは話せない。
つまり、ユレイナス公爵も私たちを…リギルの信じた人間を信用してくれているのね。
でもそれとは別にリギルには何があるんじゃないだろうか、ヴェラ様を見つめる愛おしそうだけど悲しそうな瞳が妙に気にかかったから。
優しいこの人のことだから遠慮して全部話してくれるには時間がかかりそうね。
でもこれから一生一緒なのだから時間はたくさんある。
閉じられたリギルの瞼をじっと見つめると、長い白銀のまつ毛がきらきらしている。
じっくり見れば見るほど綺麗なお顔立ちで、この顔が私に近づいてくることには慣れそうにもない。
お兄様相手にするみたいに反射的に憎まれ口を叩かないだけ進歩だわ。
好きです、愛してます、幸せにします。
たった一言だけど私には勇気のいる言葉でさらりと言ってしまえるリギルが羨ましい。
でも本当はリギルも少しでも緊張しているのかもしれないわ。
窓の外を見つめると空が茜色に染まっていた。そろそろ宿のある休憩地点に着く頃だろう。
御者である騎士に声が聞こえるよう窓を僅かに開ける。
「あとどのくらいで着くかしら」
「四半刻ほどですよ」
「分かったわ」
返事をして窓をそっと閉じた。もう少ししたら二人を起こしてあげようと兄妹のほうに視線を戻す。
すると、綺麗な茜色の夕焼けと同じ瞳が私を見つめていた。
「ピャッ!?リギルさ、リギル…あの、いつ起きてらして…?」
「…、ふふ、今さっき」
リギルは眠いのか、とろんとした視線を私に向ける。
寝起きのリギルの優しいような色っぽいような視線にどきどきしてしまった。
「…、あと30分くらいか」
「あ、はい、そうですわ」
リギルはんーと伸びをした。それにしても、本人に向かって様を付けずに呼ぶのはまだ恥ずかしい。
「今から泊まる宿の場所はリーン辺境伯の領地で…連絡してわざわざ良いところを手配して貰ったんだ。リーン領では今は丁度夏祭りが始まった時期で良かったら覗いて行ってくれと言っていたよ」
「夏祭り……」
そういえば私はお祭りというのに参加した事がない。
昏明祭も参加はしなかったし、聖女のパレードも行けなかった。
リギルとのデートで自由市に行ったときは少しだけ雰囲気を味わえたけれど。
「祭りは夜だから、シャウラさえ良ければ一緒に見に行こうか。貴族も庶民も関係ない普通のお祭りだから、ちょっと混んでるけど」
「い、行きたいですわ!」
思わず前のめりに答えてしまった私は恥ずかしくなってこほんと咳払いをして誤魔化す。
リギルがくすくす笑っているので誤魔化せて無いみたいだけれど。
「も、もう、笑わないでくださいまし」
「あまりに嬉しそうだから可愛くて」
リギルがそんなふうにさりげなく可愛いなんて言ってくるものだから、何も言えなくなってしまった。
リギルの中の私はぜっったいに美化されてますわ!
「…、みんなで行きましょう」
「うん、そうだね」
リギルが頷く。お兄様も初めてだからすごく喜ぶはず。それからリオ様やミラもお祭りは好きそうだわ。
きっと一番喜ぶのはヴェラ様ね。ユピテル様は何を考えているか分からないけれど、楽しんでくれるかしら。
連れてきた使用人はユピテル様含めて四人、騎士は精鋭八人。ユピテル様以外の使用人はメイドで女性に一人ずつつけるとリギルが言っていた。
使用人や騎士の皆様にもちょっとでも楽しんで欲しいわ。
「嬉しそうだね、シャウラ」
リギルは私を見つめて目を細めた。
私のわくわくがどうやら漏れ出てしまったらしい。
ああ、私ってこんなに分かりやすかったかしら。
「シャウラが嬉しいなら僕も嬉しいよ」
そうやってリギルはすぐに私を甘やかす。
シャウラが嬉しいなら嬉しい、シャウラが楽しそうなら楽しい、シャウラが幸せなら幸せ……そうやってすぐにリギルが私を甘やかすからこのままではダメな子になってしまいそうだ。
「またそうやって、リギル…は、その、私もリギルには楽しんで欲しいんですのよ。いつも私のことばかりだわ」
「シャウラが楽しそうなら本当に楽しいから」
私を見つめる真紅の瞳には嘘偽りがないように見えた。
心からこの人は他人の幸せを自分のことのように喜べる人なのだろう。
だから逆も然り、他人の不幸でも辛いのかもしれない。それがリギルの儚い雰囲気の所以なのかしら。
リギルの弱い部分を私が守ってあげたい。
「リギルはお人好しですわね」
ちょっとつっけんどんな感じでそう言うと、リギルはそうかなぁと苦笑いしていた。
何もかもリギルが責任を負ったり心配したりする必要はないのにリギルは一生懸命に対応しようとしている。
本人は自覚してないが本当にお人好しなのだ。
「まあ、そこも好きですけど」
何でもないように装ってさらりと言ってみせるとリギルの頬が僅かにピンク色に染まった。
いつまでもやられっぱなしはシャクだもの。
余裕を持って微笑みかけるとリギルは恥ずかしそうに微笑み返してくれた。