80・ヒロインの宿命は重い
「ヴェラ様、寝てしまいましたわね」
「今日が楽しみで寝つけなかった上に早起きしたから」
馬車に揺られる中、僕に寄りかかって眠るヴェラを見て、シャウラがくすりと笑った。
シャウラはすぐ向かいに座っている。
馬車は結局四台で御者席に御者兼護衛二人ずつ、一台目に使用人の馬車、ニ台目にアトリア、ミラ、リオ、三台目にシャウラ、ヴェラ、僕ということになった。最後の一台は荷馬車だ。
シャウラとヴェラが僕と一緒が良いと言うのでこうなったけど狭い空間にイケメン二人(片方は想い人)と押し込められたミラが正気を保っていられるかは心配だ。
まあ僕は両手に花で最高なんだけど。
「ヴェラ様とリギル様はよく似てますわね」
シャウラが手を伸ばして、寝ているヴェラの頭を撫でて言った。
「そうかな?」
「…、正義感の強いところとか、真っ先に他人を思いやれるところとか、…ふふ、嬉しそうに笑ったときの笑顔も似てますわ」
シャウラが愛おしそうにそう言うのでなんだか恥ずかしくなってしまった。シャウラが僕を見つめる瞳には熱が篭っている。
なんだか、シャウラの中で僕は美化されてる気がする。
「私もこの子に幸せになって欲しいですわ」
シャウラが優しくヴェラを見つめた。
「ありがとう、シャウラ」
「強い浄化スキル持ちの上に魔力枯渇症ですか……、きっとこれから大変ですわね」
シャウラの言葉に僕はすやすや眠るヴェラを見た。
浄化スキルについてはしっかり確定してから改めてみんなに話す予定だけれど、ほぼ確実だ。
シャウラの言う通り、浄化スキル持ちの上に魔力枯渇症……、ヴェラは特別だ。
主人公だから、なんてこの子ひとり背負うには運命が重過ぎる。
「…それでも僕はこの子を守る」
「私もお手伝いしますわ」
「ありがとう、でも君のことも僕が守るつもりだから無理しないでね」
シャウラにそう言って笑いかけると、シャウラはうっすら頬をピンク色に染めた。
優しくて可愛い僕の婚約者、危険な目には遭わせたくない。
「……、この世は理不尽だ。幸せなんて、愛する人だって、一瞬で…、だから僕は……僕が…」
ヴェラの肩を抱いてキュッと目を瞑った。
鮮血、ずり落ちるように倒れた妹の感触、コンクリートに打ちつけた男の頭蓋を砕くような感覚、熱いのか冷たいのか分からない刃、結婚20年目の夫婦旅行での事故で死んだ両親の最期の顔、親戚の冷たい目、妹と僕を殺した男の顔………。
今でも全部、全部全部、鮮明に思い出す。
前世のことなのに、リギルの人生じゃないのに、魂に焼き付けられたかのように思い出したくないことばかり鮮明に。
「リギル様っ」
シャウラの声にハッとして目を開くと、頬に冷たい何かが伝っているのが分かった。
…、これは、僕の涙?
シャウラが心配そうに僕を覗き込んでいる。
黙って彼女の瞳を見つめた。こちらが現実だと、あれは過去の情景だと知らしめてくれるような、綺麗な綺麗な瞳だ。
「リギル様、世界は理不尽かもしれませんが、リギル様一人ではありませんわ。アトリアお兄様も、リオ様も、ミラも、ヴェラ様もユピテル様もリギル様のご両親も私も、リギル様の味方ですわ」
シャウラの言葉に僕は目を丸くした。シャウラは真剣に僕の目をしっかり見ていた。
「一人で全部しなくていいのです。ええと、世界が相手では分が悪いでしょう?少なくとも今挙げた方々はきっとリギル様を裏切りませんわ。リギル様が、ではなく、リギル様含めた私たちが頑張るのです」
シャウラは否定せず優しく諭してくれた。
「だから…、独りで泣かないでくださいまし……」
困ったような顔で彼女は僕の涙をハンカチで拭った。
僕を慰める優しい手を僕は優しくそっと握って、手のひらにキスをした。
シャウラがぴゃうっと小さく声を上げた。
「あ、あの、リギル様っ……」
「…そろそろちゃんと、リギルって呼んで」
「…、り、リギル……」
彼女は恥ずかしそうに、でも僕をしっかり見ながら僕の名前を呼んでくれた。
シャウラの綺麗な透き通った甘い声に脳が痺れるような感覚がする。
彼女の声は、言葉は、僕の身体に浸透していく。
ああ、彼女を失っても、僕は生きてはいけないだろう。
「シャウラ、愛しているよ」
「っ…、愛っ…!??」
シャウラを見つめると、シャウラは顔を真っ赤にした。
涙を拭くために僕の頬に添えられた手は僕が上から手を被せているせいか、僕に気を使っているのかそのままで、シャウラの緊張のせいか暖かくなっていく。
その体温すらも愛おしく感じた。
「君の言葉で、存在で、僕は救われる」
「…、そ、そんなの、私も一緒ですわ……」
シャウラは手を離さないまま、顔だけ逸らした。
それでもシャウラが顔を赤くしているのは丸わかりで意味などは無かった。
人を好きになることがこんなに尊いなんて。
大切なものを増やすことは正しいことなのだろうか?
前世では妹一筋だった。家族は妹だけだったからだ。妹が将来幸せになってくれればよかった。
自分の大切なものは妹だけで充分だった。
両親を亡くしたときに思い知ったのだ、無くすくらいなら最初からない方がいいのだと。
だから今世の家族もヴェラ以外とは距離を最初は置いていた気がする。
ヴェラは…妹の生まれ変わりだから、生まれ変わりだと信じていたから。
ユピテルに説得されて、シャウラを好きになって、随分僕は考え方が変わったかもしれない。
ああ、大切なものを増やすのは、正しいことだ。
目の前にいる愛しい婚約者を見て、そう思う。
『一人で悩んで貴方は誰にも話さず人知れず解決してしまうのでしょう。悪くはないですが、非効率です。悪いものは半分に分けて食べてしまいましょう。その方が早いでしょう?』
いつかユピテルはそう言った。その通りだ。
悪い事は分けてみんなで処理してしまえばいい。
そして幸せだってみんなで分けるんだ。幸せは悪い事と違って分ければ半分にならずに増えるから。
僕はそう思っている。
「シャウラ、悪い事も幸せな事も、僕と二人で分けてくれるかい?」
「…、もちろんですわ。…リギル。泣くなら一緒に泣きましょう」
やっぱりシャウラは優しい。
「私は、一緒に幸せになりたいと思ってますわ。でも、リギル、となら万が一地獄に堕ちてもいいと思ってますの。貴方となら不幸になってもいい。一緒に居られるならいいんです」
「…、最高のプロポーズだね」
「ぷ…!?そ、そんなつもりは…!」
シャウラが真っ赤な顔をぶんぶんと横に振る。
どこまで堕ちても一緒に居てくれるなんてプロポーズ以外になんと言えるだろうか。
一緒に彼女が居てくれるなら奈落の底でも幸せだろう。
「でも、絶対幸せにするから」
婚約者になったときに誓った。シャウラを絶対に幸せに導くんだって。
でも今は、シャウラと、ヴェラと、みんなと一緒に…。
「わ、私も、リギルを幸せにしますわ…!」
シャウラの必死な言葉に僕は思わず頬が緩んだ。
そんなに広くない馬車の中で向かいの席で、手を伸ばしてやっと触れられる位置が、なんだか近いのに遠く感じた。
僕は今すぐシャウラを抱きしめてしまいたい衝動に駆られた。彼女を抱きしめて、それから…、
「んんぅ…」
ガタッと小石を踏んだのか馬車が縦に揺れた。大した揺れでは無かったが、ヴェラがそれに反応して呻き声を上げる。
シャウラと僕はびっくりしてヴェラを見つめると、ヴェラはまだすやすやと眠っていた。
その寝顔が可愛くて、そしてさっきまでの妙な緊張感が解けたせいか、僕とシャウラは顔を見合わせて笑った。