70・とある執事見習い目線の王太子のはなし
「王太子、最近特にイカれてないっすか?」
「なんてこと言うんだこの馬鹿!」
赤髪の執事見習いの少年が軽口を叩くと、先輩の執事が思い切り彼の頭を叩いた。
先輩執事は他に聞かれてないだろうなと辺りをキョロキョロする。
取り替えてきたばかりの汚れたシーツを廊下に落として少年は頭を抱えた。
広い渡り廊下には幸い他に誰も歩いてなかったため他に聞かれてる様子はない。
「ポールさんひどいっスよ!」
「酷いのはお前だ馬鹿!不敬罪で牢獄にブチ込まれたいのか」
ポールと呼ばれた茶髪の執事の言葉や行動は乱暴ではあったが目の前にいる執事見習いを心配してのことだった。
王城内で平気で軽口を叩くのだからはらはらして仕方ない。
ポールは執事見習いが落としたシーツを拾うと彼に押し付けた。
「全く、言動には気をつけろとあれ程言っただろう。これをジニーに渡してきたら少し休憩してこい」
「はぁい」
ジニーというのはメイドの一人だ。この王城内では男性皇族の部屋には女性、女性皇族の部屋には男性が入ることは禁じられているため部屋の掃除、シーツの替え等は同性の使用人がする。
ポールたちも王太子と第二王子の部屋を掃除してきたばかりだが、洗濯はメイドたちがするのでシーツを渡しに行く必要があった。
「やー、でもアレはやっぱりヤバいっすよねえ…」
シーツを持ちながら洗濯室にいるジニーの元に向かう執事見習いは先程のことを思い出して独り言を呟いた。
王太子が学園に入学してからというもの王太子と聖女が恋仲になったのではないか、という噂が王城内で瞬く間に広がった。
その原因というのが王太子の部屋にある。
無駄を嫌う王太子の部屋は必要最低限のものしか無かったのだが今や王太子の部屋には聖女の肖像画が壁一面に貼られているのだ。
中に入ると壁一面から視線を感じる気がして寒気がする。
しかも最近になってまた肖像画が増えてきたのだ。
「ジニー、シーツ回収してきたっスよー!」
洗濯室に入ると丁度洗濯をしていたジニーに声をかける。
ジニーは茶色いおさげ髪のそばかすが可愛らしい少女だ。
「あら、ありがとう。イザール」
ジニーは手を止めるとタオルで手の水気をきってから執事見習い…イザールが持っていたシーツを受け取った。
いいっすよ〜仕事っすから〜とイザールがはにかむとジニーも微笑んだ。
「ジニーはいつも洗濯係だから大変すねえ。今度手荒れに効くクリームでもプレゼントするっす」
「まあ、ふふ、優しいのね、イザール」
ジニーに褒められてイザールは少し顔を赤らめた。
健気に一生懸命仕事をするジニーをイザールは好ましいと思っている。
「に、しても、あの部屋の肖像画また増えてたっすよ」
「あら、また?実際に見たことないから気になるわ」
もちろん、王太子の部屋の聖女の肖像画の話だ。
王太子の部屋には執事しか入れないのでメイドたちは知りようが無いが、噂話くらいは聞いている。
「そういえば僕この後休憩なんすけど、洗濯手伝うっすよ」
「洗濯は私の仕事よ?大丈夫だからいつもみたいにお話聞かせて」
いつもイザールはジニーに仕事を手伝うと申し出るのだが、ジニーは真面目だから自分の仕事を譲らなかった。
他の人間なら楽をできる方を選ぶのに真面目なジニーはイザールにとってますます好ましい。
断られたとはいえ満足したイザールははーいと返事をすると邪魔にならないように洗濯室の隅の椅子に腰を掛けた。
休憩の間あれやこれやとジニーに噂話から最近あった話などを話していった。
「そういえばイザールの弟は聖女様の世話係なのよね」
「そうっすよ。真面目なんでめちゃくちゃ向いてて」
イザールにはカフという聖女の世話係をしている兄弟がいる。
正確にはどっちが兄かは分からないのだがイザール自身は自分が兄だと言い張っていた。
「聖女様と王太子様なら私はお似合いだと思うわ。王太子様程じゃないにしろ、聖女様も王太子様が好きなのかしらね。何か聞いてないの?」
ジニーの言葉にイザールは首を捻った。
カフとはたまに連絡を取り合うが聖女について聞いてもたいていノーコメントだ。
守秘義務とかではなく触れられたくないという感じで。
まあ“兄”の方にしっかり報告してるならどうでもいいのだが、王太子の話をしてもリアクションがないあたり、脈はないのかもしれない。
あんなに激重なのに片想いとか哀れすぎる。
「うーん…特には。でも、両思いかもしれないっすね〜」
とはいえメイドたちの間では肖像画の様子も詳しくは分からないし、王太子と聖女という組み合わせはロマンスなので憧れという雰囲気があって、ジニーも夢見ているようなので無難に返事をした。
イザールは好きな子の夢を自ら壊す気はさらさらない。
王太子が今朝聖女の肖像画におはようと語りかけてから今日も君の為に頑張りますとか言ってうっとりしていたのを思い出してイザールはやっぱりマジで最近ヤバいなと思い直した。
あれはもはや奇行だ。
メイドたちには共有できない気持ちだが王太子の部屋を掃除したことのある執事ならみんなドン引きしている。
ただ王太子は女性たちの憧れなので執事たちがいくら言っても妬みねとしか言われないのだ。
「そうよねえ、将来が楽しみだわ」
とりあえず目の前で目をきらきらさせるジニーは可愛らしい。
聖女は表向きには優しくて慈愛溢れる女性と聞いている。
でもノーコメントを貫くカフがそれについてだけは否定させて下さいと言っていたのでイザール的には楽しみどころかヤバいんじゃないかと思う。
まあジニーが嬉しそうなので水は差さないが。
“兄”は公爵家の執事でカフは聖女の世話係、一方イザールは執事見習いという立場で王太子の周りの世話をしているにしろ二人よりは楽だろう。
久しぶりに会ったときのカフのげんなりした顔を思い出してイザールは一人心の中で合掌した。
「聖女様と王太子様のことはロマンス小説になってるのよ」
「ええっ、早いっすね」
正しくは想像で書かれた聖女と王太子をモデルにしたラブストーリーということらしい。
庶民の間でも聖女と王太子が婚約するのでは?という噂話が広まっていてロマンス小説は爆売れしている。
教会と王城と所属が違うため二人には少し障害が多いのが庶民を応援させるポイントだとか。
実際貴族の間でも学園での二人の仲が良いという噂話に加えて肖像画の件が後押しし、そんな話が出回ってマジでどうするかみたいになっている。
ロマンス小説を書いた人間は商魂逞しいな、とイザールは尊敬の念を抱いた。
「買って読んだんだけどイザールも読む?」
「僕は本読むの苦手なんすよねえ」
文字の羅列を見ているとどうも吐き気がしてくるのでイザールには本は向いていない。
そっかーと残念がるジニーにイザールがだからジニーから内容お話して欲しいっす!と言うとジニーは嬉しそうに承諾してくれた。
好きなものを共有したいのは人の性だ。
目の前の可愛いらしいジニーを見て
カフには悪いケド聖女様の世話係じゃなくて良かったっスわ〜
とイザールは心の中で呟いた。
勝ったら聖女、負けたら王城という条件でジャンケンしたとき、グーを出して負けて良かったなと思った。
礼儀作法にうるさいと言われていて嫌だったが王族の前で気をつければお咎めなしだったのだ。
聖女の世話で苦労しているだろうカフに対してイザールはもう一度、ガンバ!と心の中で合掌するのだった。