66・とある使用人目線の聖女のはなし(ある日の当日)
「浮気だわ!!」
目の前で黙々とケーキを頬張っていたはずの聖女がいきなり叫んだのでカフはびくりと肩を震わせた。
「なんです?」
不愉快に思い聖女に視線を向けると、聖女はジュースを飲み込みながら一組のカップルに視線を向けている。
悪役令嬢よ!なんて言うのでまた意味の分からないことを…と思ってため息を吐いた。
聖女が見つめていたカップルは黒髪を纏めた少女と金髪に赤い瞳の少年だった。どちらも聖女と同じ年頃だ。
「シャウラにはリギルがいるのにあの金髪美少年は誰よっ」
その言葉にカフはああ、エリス公爵令嬢とユレイナス公爵令息のことか…と納得した。
エリス公爵令嬢はよく知らないがユレイナス公爵令息は見覚えがある。
髪の色は違うがあれは本人じゃないか?と思ったが聖女はそうは思っていないらしい。
自分だって魔道具で髪と瞳の色を変えてるのにその発想はないようだ。
「ふん、やっぱり悪役は悪役ね。リギルも馬鹿なやつ」
「あの、聖女様」
「あっ!行っちゃうわ!後を追うわよ」
「エッ、何故」
あれはリギル様ご本人では?と進言しようとしたのを遮られたうえで後を追うという聖女の発言にカフは面食らった。
止める間もなく行ってしまったのでカフは慌てて会計をして後を追った。
「どこ行くのかしら」
「追ってどうするんですか」
「リギルにどこの誰と浮気してるか教えてやるのよ」
そう言った聖女は嬉々としている。
聖女によると散々煮え湯を飲まされたうえに未だに邪魔されるので一矢報いたいらしい。
確か昏明祭の夜からずっとリギルはアタシのことが好きみたいなどと言ってカフに自慢していた。顔も地位も良いしストックかなーなどと言って呆れさせたものだ。
入学したら話しかけてあげるのよとか言っていたが、しばらくしてからヤキモチ妬いたからって邪魔して来たのよ!なんて言って怒って帰ってきたり、エリス公爵令嬢とユレイナス公爵令息の婚約が決まった時は裏切られた!と憤慨していた。
何故かは分からないが聖女はユレイナス公爵令息に執着しているきらいがある。
だからもう面倒になってしまったカフは放っておくことにした。
公爵令息ら二人は楽しそうに自由市場の露店を見学しながら買い物をしていた。
とうてい公爵家の貴族同士がするデートには見えなかったが当の本人たちは楽しそうだ。
「貧乏くさいデート。あの男平民ね」
ふん、と聖女は吐き捨てるように呟いた。
公爵家同士なんだが、と出掛かった言葉をカフは飲み込む。
しばらくは嬉しそうに悪態をついていた聖女だが段々と機嫌が悪くなっていった。
「リギルが可哀想になってきたわ。やめよ」
ふうと息を吐くと踵を返す。
「はあ、可哀想とは?」
「だってあれどう見ても両思いじゃない。平民の恋人との恋愛を隠すためにカモフラージュで婚約したに違いないわ。なんで急にリギルとシャウラが婚約したのかは分からなかったけど納得したわ」
ユレイナス公爵家とエリス公爵家が婚姻関係を結んだことには貴族の間では賛否両論あった。
聖女と王太子が恋仲であると話が出たとき、王太子妃としての貴族社会で生きるための教育と聖女としての平民に慈悲深く寄り添う教育には大きな違いがあり、聖女には王太子妃は務まらないという声が多く上がった。
このアンカ・オルクスという少女が多少の礼儀作法は知っていても貴族から見れば彼女の礼儀作法などはお粗末なものだった。
だが自由恋愛を重んじる教会は聖女が王太子と恋仲だと分かれば邪魔する者を許さないだろう。
教会は勢力が強く、王家にも負けない権力を持っているため敵に回すのは得策ではなく、王家も最終的には王太子との婚約を認めるしかない。
ならどうするか?と言うと優秀な側室を置いてサポートさせる他無かった。
お飾りの王太子妃にしても良かったが側室のほうが王太子が受け入れやすいだろうと考えたのだ。
その筆頭候補に挙がっていたのが婚約者候補だったシャウラ・エリスだ。
それに真っ先に反発したのはエリス公爵だ。
シャウラの父であるエリス公爵は仕事はできるがプライドが高く扱いにくい人間だ。そのため自分の完璧さを子供たちにも強要していた。
だからこそプライドの高いエリス公爵は側室などと憤慨していた。
本来は王太子妃になるのがほぼ確定していたのに王太子の心を射止められなかったと王太子妃の座から引きずり下ろされた上、聖女とはいえ平民上がりの男爵令嬢のサポートなどとは馬鹿にされているとしか思えなかったのだ。
そこに転がり込んだのがユレイナス公爵令息との縁談だった。
ユレイナス公爵令息は王族の血を引き、順位は低いが王位継承権を持っている。
以前は加護なしと言われ馬鹿にされていたが加護持ち並みの魔力の扱いをほぼ全ての属性で見せた上、成績も優秀で異例の加護なしのSクラスだった。
その為一目置かれて令嬢たちの憧れの的になっている。
そんなユレイナス公爵令息と恋仲になったためシャウラは王太子妃候補を降りた、となれば不名誉は避けられる上、むしろ王太子に嫁ぐのとそう変わりない名誉になる。
エリス公爵は娘の気持ちを尊重した優しい父親として社交界から尊敬もされる。
そんなわけでエリス公爵は大喜びで婚約を了承したのだ。
公爵家と公爵家の縁談ともなると権力が大きくなるのではないかという懸念があり、反対した貴族も居たのだがねじ伏せたようだった。
ユレイナス公爵家にとってあまりメリットがある話とは思えないがまあ本当に恋仲なのだろう。
そんな裏事情を知っていたカフであるがまあ一言でまとめてしまえば「いや、お前のせいだろう」だった。
聖女と王太子が恋仲という発端がなければ起こり得なかったことなのだ。
だが目の前の聖女に説明したところで理解はしないだろうなとカフはため息を吐く。
そもそも理解力が乏しいのに加えて自分の都合の良いように事実をねじ曲げる性質があるのでどうにもできないのだ。
「きっとリギルは悪役令嬢に騙されたのね」
悪役令嬢というのはどうやら悪い令嬢という意味の聖女の造語らしいのだが、悪い令嬢が子供に優しくしたりするだろうか、カフはさっき見た様子を思い出していた。
「泣きついてきたら助けてあげても良いわね」
ふふん、と嬉しそうに。なんの根拠もなく公爵令息を助けられるような立場に自分があると思い込んでいるのもなんともおかしな話だ。
「裏切られた(と思い込んでらっしゃる)のにリギル様をお助けになられるのですか?放っておけば良いのでは?」
「……だって可哀想じゃない?」
カフは聖女のこの言葉にしばし絶句した。
自分は魅了スキルを使って教会や学園の男性をいいように扱っておいて、王太子やケレス公爵令息らには悪いとは全く思っていないくせに、そんな彼女の口からここで可哀想だなんて言葉が出てくるのが意味が分からない。
それに裏切られたと思っているのなら王太子らよりはユレイナス公爵令息への好感度は低いのだと思っていたのだが。
「王太子たちは可哀想ではないのですか?」
「何で?みんなアタシを愛せて幸せじゃない」
よく分からないが、聖女にとっての幸せの基準はおかしいらしい。
自分が世界の中心だと思っているからこそだろう。
「でも聖女様は彼らを愛してらっしゃらないでしょう」
ついそう言及してしまうと聖女はムッとして、別にいいでしょ、好きは好きだもん、顔とか、と開き直る。
あくまで自分がちやほやされたいだけのようだ。
そして自分をちやほやすることこそ相手にも幸せだと思っている。
「では、やはり王太子が同じように騙されていたらお助けになるのですか?」
「は?知らないわよ」
そこだけ即答だった。カフは思わず首を曲げた。
リギル様は助けるのに王太子は放置なのか?よく分からない。
それともその状況ではないからなってみないと分からないというような知らないなのだろうか。
「もしかして聖女様はリギル様がお好きなのですか?」
やたら彼を気にして一喜一憂して、手に入らないから気にかかるのかもしれないがそれはエリス公爵令息にだって同じだ。
カフには聖女がユレイナス公爵令息にばかり執着しているように見えた。
でもカフには恋愛は分からないし判断材料も少ない為憶測でしかない。
だからこそ「そんなわけないじゃない!馬鹿なの!?」なんて怒号が飛んでくると思っていたのだが。
「………は?」
そう呟いた聖女は何故か固まったまま、顔を真っ赤にしていた。