64・とある使用人目線の聖女のはなし(ある日の1日前)
「っもう!!一体なんなのよっ!!!」
ガァンと大きな音を立てて花瓶が床に落ちた。
帰ってくるなり叫んだ聖女がぶん投げた鞄がぶつかったようだ。
床に落ちた花瓶は幸い割れずに済んだが、中身が床にぶちまけられて床で花と水がぐしゃぐしゃになっている。
それを見てカフは思わずため息が出た。
「モノに当たるのはやめて下さい、聖女様」
「うるさい!説教しないで!!」
イライラした様子の彼女はベッドにそのまま倒れ込む。
いつものことだが制服にシワがつきますよなどと小言を言うとこれ以上怒って面倒なのでやめた。
ここのところ聖女は特にイライラしている。
「何をそんなにイライラしているんですか?」
「カペラがよそよそしいの……」
カフが花瓶を片付けながら尋ねると枕に顔を埋めながら聖女はそう呟いた。
カペラとは確かケレス公爵子息の双子の片割れで嫡子の方だ。
「なんで急に?この前まではすごく優しくしてくれたのに…、アタシのこと避けるし会話しようとしたら逃げるし、目も合わせてくれない…」
覗き込むと親指の爪をガジガジと齧っている。
悪い癖だ、いつも手入れしているこっちの身にもなって欲しい。
王宮か神殿かはジャンケンで決めたがこれだったら多少作法にうるさくても弟のイザールの行った王宮のほうがマシだったかもしれない。
今からでも替えてもらえないだろうか。
そんな事をカフは考えていた。
「きっかけは何かしら…こないだの断罪イベントもどき…?…そういえばあの時リギルが邪魔しにきて……アトリアが取り合ってくれないのもまさか……」
何やらぶつぶつと呟いている内容は分からないが、またろくな事をしてないなという感想だけは出てきた。
カフはとりあえず“兄”には報告すべきだなと思った。
「聖女様、少しリフレッシュしてはいかがですか」
「はあ?リフレッシュって?」
聖女が身体を起こしてカフを見た。
「明日は土曜日ですし、休みです」
「出掛けるってこと?」
「聖女と分からないようにすることと従者をつける事で外出の許可が降りています。聖女様は入学してから何やら忙しそうなので出掛けるなどと言わなくなりましたが、入学したからにはある程度自由が効きますよ」
それを聞いて聖女は大きなピンクサファイアのような目をぱちぱちさせた。
外出がしたいというのは学園に入るまで聖女が毎日のように言っていたことだからカフはしっかり確認していたのだ。
「護衛には僕が付きます。行きたい場所はありますか?」
「カフゥ…あんた気の利く良いやつだったのねっ!!!」
あまりの手のひら返しに呆れたが、まあこの聖女が自分の都合良く状況を捉えてなおかつ単純なのは今に始まったことでは無いのでカフは気にしないことにした。
ポケットから銀色の星の連なる装飾のネックレスをしゃらりと取り出すとカフは聖女に差し出す。
「あら、これは?」
「変装用のネックレスです。目と髪の色を変えられる魔道具ですよ。明日はお使い下さい」
聖女がそんなものがあるのと感心しながら両手を差し出すのでカフは聖女の手にネックレスを乗せた。
歴代聖女のため教会が用意して支給しているもので装飾は高くはないが、きらきらしたソレを聖女は嬉しそうに眺めている。
デザイン性に関しては歴代聖女の口添えがあり年々可愛らしいものになっていったらしい。
それにしても、こうしている姿は普通の少女なのだが。
「それで、聖女様は行きたい場所はないのですか」
「うーん…そういえばずっと教会に閉じ込められていたもんだから街はよく分からないわ」
そう言われてカフが良く考えてみると、確かに小さな頃に平民の両親から売られるように中央教会に来た彼女は小さなころは“聖女としての”礼儀作法を叩き込まれたり、敷地の外に出ないようたくさんの監視をつけられて育った。
今はこうしてカフという使用人《監視係》がいるから以前よりはしつこく監視はされてはいない。
というのも聖女が成長するにつれ、教会の男性たちが彼女に甘くなっていったという理由もあるが。
しかし教会は男性ばかりとはいえ女性がいない訳ではないので完全な自由とは程遠い。
そんな理由があってこうも捻くれてしまったのなら哀れなものだなとは思う。
「庶民の生活でも見てみますか?聖女らしく」
「えー、嫌よ。でもまあ、聖女とはいえ予算がないし贅沢も出来ないのよね。早く攻略対象どもに貢がせたいもんだわ」
彼女は再び布団に横になると伸びをした。
攻略対象ども、とは詳しく聞いてみたことによると、王太子、第二王子、ケレス公爵子息の双子、エリス公爵子息、アステロイド伯爵子息のことらしい。
攻略対象についての説明は分からなかったが、彼女のステータスに“転生者”とあることから覚えている前世にあった何かなのだろうとカフは考えていた。
転生者というステータスはただ生まれ変わり者という意味ではなく、異世界から来た人間という意味がある。
本物の聖女の御魂はいつも異世界の人間だったという“兄”の証言からも間違いは無いのだろう。
ステータスを確認する方法は鑑定以外にも存在する。
それは“千里眼”という特殊な能力だ。
カフの主である“兄”のみが持つ能力であるがカフとイザールは能力を兄に分けて貰っている。
その関係で千里眼を使い聖女のステータスが見れる。
鑑定と違い同意のいらない便利な能力だが、“兄”が神の理から外れた存在である故か、上位スキル…、“神の贈物”だけは全く分からない。
彼女も魅了か何かを持っているようだが見えないことからギフトなのだろう。
この“転生者”というステータスがカフの“兄”を惹きつけてやまない興味なのだ。
だからそのためにカフは聖女の世話係なんかをしている。
最も“兄”の最大の興味はここにいる我儘聖女よりも聡明で優しいと噂のユレイナス公爵令息にあるようだが。
「王太子だけでは駄目なのですか?」
「もっと自由にしたいもん。それにみんなイケメンだし選べなーい」
王太子が聖女と婚約するという噂が出ているのは親密さ故だが、当の本人はこれだ。
たくさんの人間に愛されて恵与されて美形にチヤホヤされて楽に幸せに堕落して生きたい。別に王太子が好きなわけでもケレス公爵令息たちが好きな訳でもない。
周りの大人たちは焦って聖女と王太子が結婚したら…と考えて側室だのなんだのと言っているのに。
それが彼女の本質のようでどうやら聖女には向いて居ない。
光の精霊よ、今からでも別の“精霊に愛されし者”に乗り換えたほうが良いですよ。カフは心の中でそう呟いた。
「まっ、とりあえず手頃なカフェでも行って甘いものを食べてそれからショッピングでもしようかしらね。ちょっとは予算は出るのよね?」
「管理されていますが、多少は」
そう返事すると聖女は枕を抱き抱えたまま楽しみ〜と言ってベッドの上をごろごろした。
抜け出して街に行くのとは違い買い物や食事が出来るのが嬉しいのだろう。
こうしていると年相応の無邪気な少女なのだがいかんせん頭が悪い。
自分の行動がどんな結果を招くかなんて知らないのだ。
ただカフは服がシワになる、モノは大切にしろ、などとは言うが交友関係に口を出す気にはなれなかった。
“面白くなくなって”しまっては“兄”の意思に反するからだ。
彼には拾って貰った恩もあれば力を分け与えて貰った恩もある。
「ねえ、カフ、一番可愛い服選ぶから手伝って頂戴」
きらきらとした表情でこちらを見る聖女相手にカフは分かりましたと返事をした。
感情移入はしてはいけない、していない。
でもこのまま地雷原を堂々と歩く姿を見ているのはどうも気分が悪いな、とカフはため息をついた。
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