61・期待と不安
「逃げたか?」
予定の時間から5分過ぎたところでアトリアが呟いた。さっきまで上機嫌だったのが不機嫌さが戻ってきてる。
過ぎたとはいえ5分なのでせっかちだなあとも思うけれど、やっぱり貴族なので予定より早く来るのは礼儀だったりはする。
でもピッタリに来るように迎えに行かせたのは僕だしこのくらいなら何かトラブルがあったのかも知れない。
「様子見てくるよ」
もう近くに来てる事は確かだと思うのでそう言って僕は立ち上がった。ユピテルがご一緒しますか?と言ったが敷地内だから大丈夫と断りを入れた。
とりあえず玄関先まで行ってみるか。
玄関まで行って玄関のドアを開くと、特徴的な見慣れたふわふわの長い銀髪が見えた。
ヴェラ?と思ったのも束の間、一緒に誰かいる事に気づく。ヴェラと一緒にいるのは水色がかった白髪の男…。
確認しようと近寄った瞬間、男がヴェラの腕を掴んだ。
「何してるんだ!」
反射的に叫んだ瞬間、弾かれるようにヴェラから離れた男は驚いた様子でこちらを見た。うっすら分かってはいたけどカペラで間違いない。
「あっ、す、すまない…」
慌てた様子のカペラとヴェラの間に割って入る。ヴェラを背に庇うとカペラを睨み付けた。
「妹に何してるんだ?」
「ああ、いや、その…」
口籠るカペラをよそに、後ろから僕の服をヴェラがくいくいと引っ張った。
ヴェラの方を見ると、ヴェラが困った顔をしている。
「…、やっぱりリギルお兄様のお友達?ごめんなさい、その、私が庭を散歩してたら入ってくるこのお兄さんが見えて…挨拶したの。そしたら、服が汚れていたからハンカチをお貸ししようと思ったの」
「服?」
ちらっとカペラを見ると、確かにシャツの裾に泥が少し付いていた。
ヴェラもハンカチを手に握っている。
でもハンカチを受け取るのにヴェラの腕を掴む必要はない。
「なら何でヴェラの腕を掴んだ?」
「いや、その、こちらも驚いて……、…すまない、これからする話に関係ある事だから、その時でいいだろうか」
よく分からないけどヴェラの前では話せないらしい。
すると僕らが揉めてるのが見えたのか馬車を任せていた御者が慌ててこちらに走ってきた。
「リギル様申し訳ありませんっ。あの、馬車が溝にハマってそれで、ケレス公子様は馬車を持ち上げるのを手伝って下さって、えっと、それで…」
御者があんまりあわあわしながら頭を下げるのでこっちは段々冷静になってきた。
カペラが手伝いを名乗り出たとはいえ公爵子息に手伝わせたのはまずかったと思っていたのかその上で僕らが揉めてるいるから慌てたのだろう。
「わかった、大丈夫だから戻るといい」
僕が御者にそう言うと、御者は最後に頭を深く下げてありがとうございますと言ってから去った。
カペラを見ると気まずそうにしている。
「とりあえず遅れた理由は分かったから大丈夫。行こうか」
「ああ。わざわざ迎えに来させて申し訳ない」
カペラに声をかけて、ヴェラにハンカチは大丈夫だよと頭を撫でると、そのままカペラと応接室に戻った。
*
御者が言った通り、昨日の雨で道がぬかるんでおり、それで出来た溝に馬車の車輪がハマってしまったそうだった。
手伝った際に泥が付いたことは気付かず、ヴェラに挨拶されたときにシャツの裾が汚れていると指摘され気づいた。(ちなみにカペラには替えのシャツを貸した)
そしてヴェラがハンカチをお貸ししますと言うのを一旦は断ったが、ヴェラがあまりに食い下がるので借りることにしたらしい。ヴェラが他の令嬢とは違い下心なく本心から親切に言ってくれているのもあったと。
そしてヴェラからハンカチを受け取ろうとしたとき、ヴェラの指に触れて頭の中でガラスが割れたような感覚がした。
「なんと表現したらいいのか分からないが、アンカとの思い出が全てガラガラと崩れ去ったような、楽しい感情が全て不快感に変わったような、…簡単に言えば、一瞬で彼女への軽蔑の念が生まれた」
そしてカペラは自分でも意味が分からなくてパニックになり、ヴェラに今俺に何をした?と言いながら思わず腕を掴んだらしい。
「つまり、ヴェラに触れた途端に魅了が解けた?」
考えられる原因としては、聖女の魅了を無効化する力はヴェラにあったということ。
僕に魅了が効かなかったのはいつもヴェラと一緒に居たからで、この前僕に触れてカペラが冷静になったのもヴェラの力が間接的に作用したのかもしれない。
「………、魅了?」
僕の言葉に対してカペラが訝しげに僕を見た。
まだ聖女が魅了スキルを使っている疑惑の件については話してないので当たり前だ。
アンカについての話を聞く以外にはこの話をする為に今日は呼んだのでそのまま説明する。
「実は…」
王太子をはじめカペラたち双子に一年Sクラスの男性たち。急に聖女と親密になった人間が多く、特に最初の王太子は突然すぎるくらいに急に聖女と仲良くなったことをアトリアと僕は不審に思ったことを話した。
さらに、アトリアに対してアンカがやたら接触しようとしたり話しかけてきたりすることに対し、魅了が会話や接触で為されることから魅了スキルを使おうとしているのではとアトリアが疑惑を持ったことも話す。目を合わせると一瞬強制的に魅了をかけられるがわざわざ目を合わせようとしてくる事もあったとも。
「……………」
その話をするとカペラは黙り込んで考えてる様子だった。
まだ憶測だけれどこうなった以上は実際にカペラは被害に遭ってるはずだから思うところもあってまだ混乱しているのだろう。
「とにかく、私たちとしてはヴェラ嬢にそういった能力があるのかしっかり確認したいところだね」
「うん…」
アトリアの言葉に覇気なく答えた。正直ヴェラを巻き込みたくは無かったのでヴェラが魅了を解く鍵となると話が変わってくる。
精霊に愛されし者とヴェラを接触させるのはリスクがあるんじゃなかろうか。
リオやアトリアとシャウラはともかく、これ以上あまりヴェラの周りに増やしたくないのが本音だ。
これが魔力枯渇症と無関係なのかすら分からない。
「…では、今度シリウスを連れてくるのはどうだろうか。シリウスは俺のように乱暴にはなってないが、彼女に傾倒しているのは確かだ。シリウスの彼女への想いが消えれば断定できると思う」
偶然も二度重なれば必然だろうね、とアトリアが答えたので複雑な気持ちになった。
そんな気持ちを察したのか、アトリアは僕を見た。
「リギルがヴェラ嬢が心配なのは分かるから、とりあえずここでヴェラ嬢のおかげで魅了が解けたかもしれないってことは黙っておいて貰おう。…というかまず魅了スキルについては実際分からないからまだ大袈裟にしないで欲しい」
僕から視線をカペラにシフトしたアトリアの言葉にカペラが頷いた。
「それでシリウス公子を連れてきて、シリウス公子の様子が変化したら聖女が魅了をしてることと、ヴェラ嬢が何かしらのスキルを持ってるかだけはっきり分かるはずだ。…それで、とりあえずケレス公爵家の二人の魅了さえ解ければしばらくはこれ以上まずい事にはならないだろうから、一旦鑑定に行く日まで待って、リギルとヴェラ嬢のスキルを確認するべきだ」
王太子をわざわざうちに招いて魅了を解くわけにはいかないし、王城に出向いてヴェラと握手してくださいなんてもっと無理だし、学園に部外者は入れない。
僕が魅了を解けるならやり方はあるけどヴェラだととりあえず王太子は放置するしかないのでまずはスキルの確認というアトリアの意見は正しい。
まあどっちにしろ王太子はまだ放置しておこーとは言ってたけど。
他の生徒も魅了にかかってるなら何とかしたいが(シャウラ曰く)攻略対象よりは軽微らしいので優先度は低い。
「スキルを鑑定しに行くのか?よく分からないが…、俺は何をしたらいい?協力出来ることは」
「ケレス公爵子息たちはとにかくもう一度魅了にかからないよう気をつけてくれ。長時間会話したり、過度な接触と目を合わせるのを避けるんだ」
「…分かった」
アトリアは遠回しにとりあえず何もしなくていいからまた魅了されて迷惑かけないように大人しくしてろと言っている。
二人が話してるのをモヤモヤしながら聞いてるとすっとユピテルが後ろから近づいてきて耳元で囁いた。
「スキルは平民でも持っているもので、魔力や病気は関係ありません。魔力とスキルは干渉しませんから、安心して下さい。ギフトもスキルの上位互換なので同じです」
つまり、ヴェラの病気とは関係ないので魅了スキルが消せるからと言って病気がバレるわけではないってことだ。
魅了スキル(仮)がギフトだとして、それが消せるなら、そういったギフトをヴェラが持っているのかもしれない。
よく考えたら二人ともヒロインだし僕がギフトを持っているよりはおかしくはない。
ユピテルの言葉に少しホッとして、ありがとうと告げると、お役に立て何よりですと澄ました顔をされた。