54・竜と亡国のお姫様 上
彼は世界の隙間から溢れ落ちた存在だった。
彼はこの世界にとっては異物だった。
幼い彼から滲み出す魔力は大量でそして周りを害するものであった。
彼は神に嫌われて完全に世界から追い出さぬ代わりに世界の裏に閉じこもり出てくるなと言われた。
小さかった彼は了承したがずっと寂しかった。
神が世界から消え、人間が生まれて、魔族が生まれて、彼は神との約束を破り世界の裏側から外に出た。魔力もコントロールできるようになっていた。
外は美しいもので溢れていた。
だが、人間でも魔族でもない彼を周りは恐れた。
恐れて彼を殺そうとすらした。
彼は自らの姿を呪った。醜い姿でありながら、どこから産まれ落ちたかも分からぬ、愛されぬ存在。
そうでありながら大量の魔力のせいで死ぬことすら叶わなかった。
憎々しいが、神のしたことは正しかったのだ。
殺されかけたが死ねない彼は森で静かに傷が癒えるのを待った。
癒えたら世界の裏側に帰るのだ。二度と人間とも魔族とも関わりはせぬ。嫌われるなら独りの方がマシではないか。
「あなた、なあに?」
誰もいない森の洞窟のはずなのに小さな少女の声が木霊した。
黒曜石のような髪と瞳も身なりも美しい少女は彼をじっと見つめた。
他の人間や魔族のように恐れもせずに彼女は彼を見ていた。
「綺麗ね」
彼女から聞く言葉は他の者から浴びせられたどんな罵声とも違った。
彼女は優しく彼の鱗に触れると優しく微笑んだ。
醜い姿ではないのか。問いかけるも、彼女は優しく微笑むだけだった。
「貴方のような綺麗な生き物は見たことないわ。不思議ね。怪我をしているの?手当をしてあげる」
彼女は甲斐甲斐しく彼の手当をしてくれた。
怪我で動けないから抵抗しなかった彼だが、いつのまにか彼女に側にいて欲しかったからだと気付いた。
彼女が自分を美しいと言ってくれたからだった。
「御伽噺の竜に似ているわ。きっと貴方がそうなのね」
白銀の彼を愛しいように見つめ、彼女はそう言った。だからそこから彼は自分を竜だと名乗ることにした。
そうだ、我が竜だ。そう彼女に答えると彼女は殊更嬉しそうに微笑んだのだ。
小さな少女はしばらくすれば竜の元には来なくなってしまった。
お別れを言われた訳ではなかったが、竜の怪我が治ったからだと竜は理解した。
彼女は優しいから放って置けなかっただけなのだろうと。
でも憎む気持ちはなかった。彼女のおかげで人間に対する希望や愛が生まれた。それで充分だった。
彼女の身分にも検討が付いてしまったのでそれも理由なのだろうと。
せめてもの彼女のために人間たちをこっそり見守った。
とある時、とある国で侵略が起きた。
侵略された国は小国であっという間に隣国に呑まれてなくなってしまった。愚かで呆気ないものだと竜は思った。
竜は森に、自分が怪我をしていたころにいた洞窟に少女が倒れているのを見つけた。
それはあれから5年経って15歳になったあの少女だった。少女は生きていた。
少女は侵略された国の姫君だった。
そこまで把握していなかった竜は後悔をした。
自分なら少女の国を護れたのではないかと。
しかし、少女は竜を抱きしめて優しく微笑んだ。
「そんなことしたら貴方が危ないからこれで良かったの。私だけ助かってしまったのは辛いけど、貴方にまた出会えて良かった」
竜は彼女が無理をしているのが痛いほどわかった。
家族を失い、国を失い、愛する人を失ったかもしれない大切な彼女を竜はどうにか元気付けたかった。
「我と一緒に旅に出よう」
色んなものをみて、色んなものに触れて、世界を知って、彼女の大切な人の分もたくさんのことをして生きるのだと。
竜は彼女の手足になって、色んな場所に空を飛んで連れて行くからと。
彼女はひとしきり涙を流したあと、竜とふたりきりで旅にでた。
独りぼっちの竜と1人きりになった姫のふたりの冒険がこうして始まった。
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旅をたくさん終えて始まりの場所に戻ってくる頃には少女は20歳の立派な大人の美しい女性になっていた。
竜は彼女に言った。
「我とはもうここまでだ。君はたくさんのものを見た。知った。大人になった。国を無くしたことも乗り越えて、これからは一人でも幸せに立派にやっていけるだろう」
「私が居なくなったら貴方はどうするの?」
彼女の問いかけに竜は何も答えなかった。
「世界の裏側に帰るの?」
竜がピクリと肩を揺らしたので彼女はそうなのだと確信した。
竜は彼女のために彼女と一緒に旅をした。
でも彼女のために竜は人前に姿を表さなかった。
この五年間彼女は幸せだったが竜はどうだろう?
「私、幸せだったわ。貴方といてずっと」
彼女は竜の金色の美しい瞳をしっかり見据えた。
目を逸らさず、真剣に竜に言葉を伝える。
「貴方だったから幸せだった。貴方が居てくれれば幸せなの。一人では幸せになれないわ」
彼女が言うと竜は困った顔をした。
我は嫌われ者だ。我は醜い化け物だから君と一緒にいてはいけないのだ。
「貴方は一度も私の名前を呼んでくれなかった」
きっと、突き放すためだったのね、少女がそう言うと竜は俯いた。その通りだったのだろう。
名前とは大きな意味を持っていた。
竜は呼んでしまえば彼女を縛り付けてしまうような気がしていた。
「アルクトゥルス」
彼女が言った聞き覚えのない言葉に竜は戸惑った。
「アルクトゥルス、貴方の名前よ。一生懸命考えたんだから受け取ってくれなきゃ嫌だわ」
「アルクトゥルス……」
妙にしっくりくるような名前にじんわり心臓の辺りが暖かくなった。
彼女はにっこり笑うとアルクトゥルスに近づいて、彼の右足を抱きしめた。
「私の名前も呼んで」
アルクトゥルスは躊躇ったが、彼女の強い眼差しには逆らえなかった。
強いけれど、アルクトゥルスを信じているという、優しい、優しい眼差しだった。
「スピカ」
そう呼ぶとスピカは嬉しそうに微笑んだ。
彼女の幸せがアルクトゥルスにもその笑顔からしっかり伝わって、独占欲が湧き出た。
もうこの子を、スピカを手放せない。
「アルクトゥルス、貴方は私を諦めなくていいの」
スピカは背伸びをしてアルクトゥルスの頬に両手を添えた。
優しく引く彼女の手にされるがまま、アルクトゥルスは彼女に顔を近づけた。
「アルクトゥルス、私の王子様、貴方を愛しているの」
スピカの口付けで、アルクトゥルスは、暖かい光に包まれた。
優しく暖かな光はスピカとアルクトゥルスを祝福しているようで、アルクトゥルスは戸惑った。
「……アルクトゥルス、貴方、その姿」
光が収まるとスピカは目を丸くしてアルクトゥルスを見つめた。
視線が低くなったアルクトゥルスは驚いて周りを見渡して、それから自らの手を見た。
どう見てもその手は人間の手だった。
アルクトゥルスはスピカの愛と、与えられた名前のおかげで人間の姿になったのだ。
綺麗な銀髪にスピカが優しく触れた。
「アルクトゥルス、人間に変身できたのね」
「我も初めて知った」
綺麗な金色の瞳に見つめられてスピカは赤面した。
アルクトゥルスがアルクトゥルスじゃなくなってしまったようで、なんだか恥ずかしくなってしまった。
「竜の姿も好きなのに……」
スピカがそう呟くと、アルクトゥルスは光に包まれて竜の姿に戻った。
「え、あれ?いまの幻覚だった?」
「幻覚ではない」
そして今度は、アルクトゥルスはまた人間の姿になった。
「どうやら自由自在のようだ」
アルクトゥルスがそう言うと、スピカは黙ってしまった。
しかし、少しするとアルクトゥルスすごいわ!そう言って彼を強く強く抱きしめた。
「この姿なら一緒に人間として暮らせるし、竜に戻れるならアルクトゥルスはアルクトゥルスだわ」
アルクトゥルスはスピカが嬉しそうにしている意味がよく分からなかったが、一緒に暮らせるということに、嬉しさを感じた。
これからは愛するふたりで一緒に生きていくのだと…。
このお話に伴い33話のケレス公爵子息の名前を直しました
直しきれてない場所があればご報告頂ければと思います