159・教会にて2
「お待ちしておりました」
教会の応接間に現れた教皇は黒髪の若い男性だった。この世界において黒髪は忌避されがちなのだが。
彼は僕が来てから数分もしないうちにやって来た。
教皇は聖女の弟の家系と言われているが、聖女は異世界から来たので、正確には聖女を義娘として引き取った家系の弟、である。恐らく。
なので元よりこの世界の人間の筈だが、彼の髪色は黒で日本人に近い顔立ちをしていた。
初代聖女が黒髪に桃色の瞳の乙女だった、という伝承からか、黒髪の人間を血筋に入れているのかもしれない。
この世界に日本に近い国は残念ながらないのだが、アジアに似た国はある。
まあ日本に似た文化は散らばってるが、初代聖女の影響だろう。
精霊の加護による髪色や目の色の変化は元々の家系の色にプラスで付与されるので加護なしなら家系の色、ありなら家系の色にプラス加護の色になる。
紫の髪色の家系であるシャウラは紫がかった黒髪であるのがいい例だ。
教皇は穏やかな青色の瞳で、顔つきも大人しそうだった。
よく見ると真っ黒に見える黒髪は若干光の加減で青みがかっており、おそらく、水の精霊の加護の影響を若干受けていそうだ。
歳は二十代後半と言ったところだろうか。
教会は教皇の独裁ではなく教皇と各地の大司教が切り盛りしている。
大司教のほとんどは老齢だが、教皇だけは代々若く、初代聖女の弟の血筋から見目の良い人間が選ばれている。つまり、聖女のように教会の看板であり、実質的な権利はあまり持たない飾りだ。
婚約や結婚の許可に関することは教皇だけの特権だが、それ以外のことにはあまり深い関与はしない。
「お時間を作っていただきありがとうございます」
僕がそう言って頭を下げると、いえいえ、と向こうも頭を下げた。
その後、失礼しますと一言言って、テーブルを挟んだ僕の向かいに座ったので、僕は婚約と婚約式に関する書類をテーブルの上で差し出した。
教皇はそれに一通り目を通すと最後の頁の確認欄に判を押す。
これは玉璽に似たもので教皇だけが持てる判子であり、偽造防止魔法がかかっている。更に教皇は魔力を込めて判を押すのでこの書類はこれで教皇の許可をしっかり得た唯一無二の書類になった。
書類が完成すれば他の貴族は横槍は入れられないのでとりあえずでほっとした。
「当日を楽しみにしております。神の加護があらんことを」
教皇はそう言いながら柔和な笑みを浮かべると僕に書類を返した。
婚約式や結婚式には教皇が同席して教皇自ら前世での神父のような役割をし、祝辞を述べる。
「ありがとうございます。…ところで、聖女様のご体調はどうでしょうか」
さりげなく聞いてみたら、教皇は少し困った顔をした。
「最近よく訊かれるのですが、聖女様に関してはわたくしの管轄ではないのです。わたくしも心配しています」
ほぼ予想通りの返事が返ってきて、やっぱりなと思う。
教皇は結局は教会に関する権限は少ししか持っていないのだ。聖女に関しても知らされてないだろう。
カフ以外に聖女の世話をしていたシスターや神父と、おそらく教皇が持ってる権限以外の権限を持つ大司教たちが事態を隠匿している。
「聖女様に関してはこの地域を管轄する大司教に尋ねた方が早いかと。重篤な病ではないと聞いてはおりますが」
「そうですか」
それは、この教皇もなんとなく感じているらしい。
大司教に聞けと言われても、大司教には教皇より会えない。というか、会う手段や会う理由がほとんどない。
だからこそ皆教皇に聖女はどうしたと聞くのだ。
「聖女様は僕と同じ学園に通っていますから、しばらく休んでいると聞いて少し心配していただけで、重篤な病でないならいいんです」
「ふふ、そうですか」
教皇がユレイナス公子はお優しいのですね、と光の笑みを浮かべたのでヴッと少し心が傷んだ。
聖女を行方不明にして騒ぎを作り出し、その皺寄せで教皇に迷惑かけてるのは僕なんだけどね…。
そこはまあ、勘弁してください。
これから新しい聖女が現れて大混乱するだろうけど、それも許して欲しい。
心の中でごめんなさいと手を合わせながら僕は教皇との会話を終え、書類を持って教会を後にした。
☆
出ていくと、教会の前でぎゃいぎゃい騒いでいた王太子はさすがに居なくなっていた。
聖騎士たちが疲れた様子をしたがらも僕に頭を下げていて、お疲れ様ですって感じだ。
馬車の方に戻ると、馬車の中にいたユピテルがすぐに気づいて出て来て、お疲れ様ですと声をかけてくれる。
「うん。これお願いね」
教皇がサインした書類をユピテルに渡した。これは婚約式が無事に終わるまで教会で丁重に保管する。
馬車に乗って、走り出してからユピテルが口を開いた。
「王太子がリギル様を王城に招待したいそうですよ」
「は?」
思わず素直に口に出してしまった。何故急にそんな話になってるのか。
ユピテルに捕まったんだな…と視線を送ると、捕まったんです…と言うように頷いた。
面倒だ。非常に面倒。
でも王太子の状況を把握するにしても、王太子の洗脳を解くにしても接触は必要になる。
だったら、
「どうせだから受けるよ。魅了を上手く浄化できる機会があるかもしれない。魅了の影響でああなってるなら、気の毒だしね」
ゆっくりため息をついてから僕がそう言うと、このお人好しめ、というような目線をユピテルに向けられた。
別に僕だって好きで受けるわけじゃないわい。




