15・邪竜にとっての物語は
「ユピテル、魔力枯渇症って知ってるか」
僕にとってこれは一大決心であり、賭けだった。
入学して10日ほど、少しずつクラスに馴染んで、魔法にも慣れてきた頃だった。
「魔族の難病。人間でも稀にかかる病気らしい」
学園へ向かう馬車の中、ユピテルと完全に二人きりになる時間。
御者にはもちろん中の声なんて聞こえる筈はなかった。
「珍しい病気をご存知ですね。まあ、私も存じ上げておりますよ」
前世の話なんてもちろん言えない。
もしかして、という前提で、さりげなくユピテルに話を振ってみることにした。
ユピテルはヴェラが魔力枯渇症だと気付いているはず。
それなら今更僕が話してもきっと何も変わらない。
魔力の暴走が関係ない邪竜にとってヴェラをわざわざ囲う理由もないし、そもそもゲームでもユピテルは玩具としての興味しかヴェラに抱いてなかったんだから。
「ヴェラがその病気かも知れないと疑ってる」
「おや、それはどうしてでしょう」
分かってるクセに…!とは口が裂けても言えなかった。
余計なことを言ってしまっては墓穴を掘ることになるからだ。
「ヴェラの近くだと魔力が身体から抜けていく感じがするんだ」
もちろん、そんな感じは微塵もない。
「試しに軽くコップを水で満たそうと魔法を使ってみたけど、ヴェラの側だと絶対出来なかった」
もちろん、そんなことはしていない。
詭弁だ。でも、そうするしかなかった。
「おや、リギル様はもうそんなことが出来るのですね、流石です。魔力の流出も私は全く感じませんでした」
「魔法の腕を自慢したい訳じゃない」
ユピテルが揶揄うように言うので、少しムッとして睨むと彼はくすりと笑った。
顔だけは良いので女子ならときめいているだろう。
僕は野郎にはときめかないけど。
イライラを落ち着かせるため、ぎゅっと腕を組んだ。
「では、何でしょう。仮にヴェラ様が魔力枯渇症だったとして、何の問題が?人間には害のない病気です。魔法が使えないか、周りも魔法を使えなくさせてしまうだけ」
「それが問題なんだ」
ユピテルははて?と首を傾げた。
演技なのか、本気で分からないというような顔だった。
邪竜だからその辺疎い可能性はある。
「精霊に愛されし者の魔法の暴走については知ってるな?」
「ええ、最悪死に至るとか」
「ヴェラが居ればそれを止められる。魔力を吸うからだ。人間安全装置ってとこだな。精霊に愛されし者はみんなヴェラを欲しがるだろう」
ヴェラのことを装置呼ばわりはしたくないが、こう言うのが一番的確だし、そういう酷い扱いをされるかもしれないという意味も込めていた。
「なるほど、その可能性が…」
「ヴェラに自身の体質を誤魔化しきるか、本人に話した上で上手く隠し通すか思案してる」
「何故私にお話を?」
「ユピテルは精霊に愛されし者じゃないし、信頼しているからだ」
邪竜だし。
信頼というのもあくまで仕事という面でという意味だ。
「信頼…、ふふ、信頼ですか。意外でした。貴方は私を絶対ヴェラ様に近づけさせないし、怖い顔で睨むので」
ウッと唸る。
まあそこはヴェラが心配すぎてのことで…。
「悪くない気分ですね」
ユピテルが見たことない表情で微笑んだ。
いつもの裏がありそうな胡散臭い笑みではない。
その瞬間、時が止まったような感じがした。
というか、逆に怖くてめちゃくちゃゾッとした。
「お前怖い」
思わず口に出してしまったが、これ僕は悪くない。
ユピテルは何故です?とちょっと不満気だ。
「…まあ、貴方なりに色々考えたのでしょう。私はこの屋敷に来てから貴方が大人に…両親にすら物などのお願いをしても、何かを頼っているところを見たことはありませんでした」
無意識だった。
ヴェラを、ヴェラの幸せを僕が絶対に守る。
そんな揺るぎない意志の中行動していて、そしてヴェラの幸せを守るの中には事故で死んでしまう両親も含まれていた。
ヴェラの幸せには絶対必要だから。
それに両親のことも好きだからだ。
前世の記憶があって、精神年齢が無駄に高いせいで両親も守る対象とみなして、僕が何とかしなきゃ、みんな守るんだって、そう思っていたことに気づいた。
「別に全く頼ってないわけでは…。生活だって父様たちに頼りきりだ」
「それは違いますよ、リギル様。子供も育てるのは親の役目。しなければならないこと。貴方が親に縋り付いて生きてるのではなく、親が自主的に貴方を守っているのです。頼るとは貴方側から相談したり、自身に出来ないことを代わりにしてもらう、そういうことだと私は認識しております」
まさにハンマーで殴られたような感覚だった。
前世の妹とも僕は二人で生きてきた。
両親は早くに亡くなって色々な親戚の家で邪険にされながら、たらい回しにされながら、そう育った。
大人に、いや、誰かに頼るという選択肢はハナから無かったから、だから当たり前のようにそうしていた。
頼りになる使用人を!と思ってユピテルが来てしまったので意固地になってしまったのもある。
「一人で悩んで貴方は誰にも話さず人知れず解決してしまうのでしょう。悪くはないですが、非効率です。悪いものは半分に分けて食べてしまいましょう。その方が早いでしょう?」
「そう、かも…」
「更に言えば、三人、四人、更に分けてしまえばもっと早く、腐ることもないでしょう」
つまり両親に話せってことだ。
でも僕がヴェラのことを多分魔力枯渇症だとか急に言っても何故と追及されるだろう。
そうなったら上手く答えられる自信はないし、両親に話したせいで広まったりはしないだろうか。
今の言い訳はユピテルが追及しないだろうと考えての言い訳であって、両親には使えない。
そんな僕の不安を汲み取ったようにユピテルは続けた。
「貴方はどこか一線を置かれているようですが、あの方々の貴方たちへの愛情については私にも目を見張るものがあります。きっと真摯に伝えれば悪いようにはならないでしょう」
父様が執務室で子供に会いたいと駄々をこねていたこと、母様が涙を流して僕が生きてたのを喜んでくれていたこと、多忙なのに仕事を調整して揃って入学式を参観してくれたこと。
ユピテルに言われなくても、分かっていた。
リギルは…、もちろんヴェラも、愛されてる。
でも認識はあっても、前世の経験が邪魔して懐疑的になっていたのは、僕の問題だ。
信じたい、信じられない、裏切られるかも、捨てられるかも……好きだからこその不安がそこにあった。
「家族に裏切られるのは怖い。お前は他人だから信頼して裏切られてもまだ諦めがつく」
家族は諦められない。捨てられない。
「あの方々は貴方を裏切りませんよ」
「分かってる…」
でも、0.0001%もなくても、もしかしたら微分量で、微粒子程度であるかも知れないソレが僕には怖いんだ。
「貴方も難儀な方ですね。人生二回目なのでしょうか?前世は孤児か何かですか?裏切られ騙され捨てられたのでしょうか?」
冗談のくせに妙に的を射ていて思わず気まずそうに顔を逸らしてしまった。
さすがにそこまで酷い人生ではなかったけど。
「信じてもらえないのが怖いなら旦那様方には私から話しましょう。私ならそういう見識が出来るだろうと納得なさるでしょう」
ぎゅっと組んでいた僕の腕をユピテルが優しく解いた。
僕の両手を僕の膝に乗せて、宥めるように上から両手を被せる。
「そして裏切られるのが怖いなら…まあヴェラ様と逃げる手伝いは致しましょう。後は知りませんが」
「そこは適当なのかよ」
ユピテルをぎっと睨むと、あり得ませんのでとそう言って笑った。
「貴方は全部分かってるのに知らないフリをしている。まあそういうところも大変興味深いのですが」
それは両親の愛情についてなのか、ユピテルが邪竜だと知ってる事のことなのか、それは分からなかった。
「貴方が知らないフリをするなら私も知らないフリをしましょう。でも信頼に対する報いくらいはさせて頂きますよ」
「僕の使用人だからか?」
「そうです。でも、私は貴方という人間の物語を案外楽しみにしているのですよ」
ユピテルの趣味は人間観察、人間の、僕の物語。
ちょっとだけ、ああ、邪竜っぽいな、と思った。
ユピテルにとって僕はどうやら、一つの本のような、劇のようなそんなものだったみたいだ。
面白くなるなら書き込みや飛び入り参加もやぶさかではない、そういうことみたいだった。
まだまだ興味深い僕がここで壊れてしまうのはつまらないと、まだ面白いことを知っているのだろうと、邪竜の彼はきっとそう思ってる。
もしくは僕が知らない何かに彼は気づいているのかも知れない。
「ハッピーエンドは好きか?」
「嫌いではないですよ。辿り着くまでの話の方が好きですが」
どうやら不幸になってほしいとか、そういう訳でもないらしい。
あくまで過程が重要なのだろう。
「足掻いて、足掻いて、足掻きまくるのが人間というものでしょう?」
人間は娯楽で玩具、でも、わざわざ踏み潰すほど嫌悪している訳でも、それが楽しい訳でもない。
長く生きる邪竜の暇潰しの一部。
きっとそうなのだろうと思うと、前より真っ直ぐにユピテルの顔を見つめられた。
良いやつでは無いけれど、僕にとって悪いやつでもないってことだ。
「ユピテル、お願いがある。僕の代わりにヴェラのこと、両親に伝えてほしい。上手くヴェラが幸せになれるように」
ユピテルの顔をしっかり、目を逸らさず見た。
すると僕の言葉にユピテルは満足げに頷いた。
「仰せのままに」