111・アトリアとミラ
「…………」
「……………」
重い沈黙が流れる中、アトリアは心の中でこう叫んでいた。
(リオは本当に碌な事をしない…!!!)
時間を遡れば三十分ほど前のハルト領を出る時、リオが急にやっぱり男三人はむさいので行きと同じメンバーが良いと言い出した。
でもシャウラやヴェラと一緒が良いと言うとリギルが怖いのでミラちゃんとリギル代わって!と。
分かりやすいというかわざとらしいというか、リオがアトリアとミラを仲直りさせるため同じ馬車に乗せようとしていたのは明白で、たしかにリオ含む三人きりなら謝罪もしやすいとアトリアは受け入れた。
ミラのほうも特に嫌がったり躊躇ったりする様子はなく、一緒に乗る事になったのだが…。
ちょっと忘れ物があったとリオが馬車を出て少し待つ間に馬車が走り出してしまったのだ。
その瞬間は焦って御者に声をかけたのだが、返ってきた言葉は「リオ様なら使用人の馬車に乗って行きましたよ」という返事だった。
リオはアトリアとミラを二人きりにする為にわざと忘れ物をしたふりをしたのだ。
リオの心遣いは嬉しいのだが本当に気まずいし婚約者でも恋人でもない未婚の男女が二人きりというのはどうもいただけない。
ユレイナスの騎士なら心配はないに違いないが、万が一ミラに不名誉な噂でも立ったらどうするのだろうか。
というかリオは騎士に何か余計な説明でもしたのか?この状況を放置されているのが逆に不安だった。
リオはリギルの幼なじみで親友なので騎士たちとも顔見知りでだいぶ融通が効く上に好かれやすい性格だ。リオが大丈夫だと言ったから信じているのかもしれないとアトリアは考えた。
「あー……、えっと……ミラ嬢…」
「あ、は、はいっ!?」
急に声を掛けられたミラは驚きつつもピシッと背筋を伸ばした。
アトリアはミラが過度に緊張しているような様子に思わず失笑する。
「…、その…、この前は手を振り払ってすまなかった。痛くはなかったかい?」
アトリアがそう問いかけるとミラは明るいブルーの目をぱちくりさせた。
アトリアが謝るとは思ってもみなかったからだ。
「あ、いえ、私こそ……」
「いや、あれは私が悪いんだ」
ミラの言葉をアトリアは制止した。ミラはアトリアを引き留めようとつい手を伸ばしただけで、話を聞かずに振り払って嫌な思いをさせたのはアトリアだ。ミラにはなんの非もない。
「仲直りしてくれるかな?」
アトリアはそう言いながら、ポケットに入っているペンダントを握りしめていた。
さすがに仲直りの品として贈るには相応しくない。そもそも剥き身だし。
ミラが黙って頷いたのでアトリアは少しだけほっと胸を撫で下ろした。
「良かった、ありがとう」
「いえ…」
ミラは俯いたまま返事をした。何か考えこんでいる様子でアトリアは首を傾げる。
受け入れたけれどやはりまだ不快なのだろうかとアトリアはまた不安になっていた。
「あの、アトリア様、私……ずっと黙っていたことがあって」
「黙っていたこと?」
神妙な面持ちで切り出されたそれにアトリアは思わず聞き返した。
「私、その、……すみません、なんて説明したら良いのか……」
そんなミラの表情には困惑の色が見える。
もしかしたら話したいことがあったが、まだ纏っていなかったのかもしれない。リオが強引に機会を作ってしまったからどうしたらいいか分からなくなってるのだろう。アトリアはそう思った。
「無理に話す必要はないよ?」
ミラが黙っていたというのがどんな事なのかはアトリアには分からないが、友人だからと話す義務など存在しない。
だから秘密など誰しも抱えているものなのだから、アトリアはそう続ける。
しかし、アトリアの言葉にミラは余計に苦しそうな表情をしてしまった。
「…、アトリア様は、自分のことを全て知っているような人間がいたらどう思いますか?」
「…ええ?」
ミラの言葉にアトリアは困惑した。ミラの言葉の真意が全く分からなかったからだった。
ミラは膝の上で震える手をぎゅっと堅く握っている。
「……、私は、ずっと昔からアトリア様やシャウラ様のことを存じていました」
ミラは辺境伯の娘、つまり辺境地の出身だ。
エリス公爵家は筆頭公爵であるユレイナス公爵家を含む三大公爵家に数えられるほど富と名声がある家であり、辺境にでも噂話くらいは行ってるものだとは思うが…、ミラのそれは噂話とは違うようだった。
「ずっと昔から推してました…」
「ん?おし…?」
「ファンブックを持ってたんです…」
「ふぁんぶっく…?」
ミラの懺悔のような言葉はアトリアには全く分からない単語だった。
推しとは?ファンブックとは?アトリアは頭にハテナを浮かべながら首を傾げる。
「……すみません、分からないですよね、ええと…どうしよう…リギル様ならわかるんですけど……」
その言葉にアトリアの胸の奥がチリついた。
つまり焦げるようないやな気分になったのだ。
(どうしてリギル?リギルなら分かるって?)
ミラとリギルはあまり接点がないと思っていた。それこそシャウラとミラの仲が良いから自分やリギルはミラと関わることになったのだから。
なのにリギルを信頼しているような言葉が出るのはアトリアよりリギルとの方が親しいということだろうか。
シャウラを慕うミラと誠実なリギルの間に何かあるとは思えないがそれでもよく分からない不快感がアトリアの胸に湧き上がった。
「他の人に説明しようとするなんて初めてなんです……、でも、その、これ以上…卑怯でいたくなくて…」
(卑怯…?)
彼女は自分を卑怯だと思っているんだろうか?何故?
伏目がちに自信なさげにミラは言葉を紡いでいく。
「…、まずは謝罪をさせて下さい」
アトリアは黙って聞いていた。余計なことを言ってしまわないように。
何よりアトリアを見つめるミラの目が真剣だから邪魔をしたくなかった。
「私は、アトリア様が好きです。恋愛の好きです。きっと不快と存じます、ごめんなさい…」
ミラはそう言いながら深く頭を下げた。
アトリアは嬉しいのか寂しいのかよく分からない気持ちになってしまった。
好きになって申し訳ないなど初めて言われたし、謝られる意味など分からない。
「不快、だなんて……」
今までなら他人の好意に不快と思うことは多かったアトリアだが、ミラの好意が不快とは思わなかった。もちろん色々不安ではあるが。
「アトリア様は昔から他人の好意に振り回されて嫌な思いばかりしてきたでしょうから」
「…嫌な思い……」
確かにそうだ。そもそもあの家は使用人の質が悪い。
犯罪まがいのことがない限り自分の仕事さえできればエリス公爵家では許されている。
だからアトリアの…時期公爵夫人の座を狙ったり、あわよくば愛妾になろうとする輩は多い。
子供相手にべたべた触ったり、色仕掛け紛いのことをしたり、不快な目には遭った。
だから、ユレイナス家に来てきっちり管理されている使用人を見て驚いたものだ。誰一人リギルや自分に付け込もうとはしない。
ひとえにユレイナス公爵や使用人の管理の一端を任されるリギルやユピテルの努力の賜物だろう。
他の貴族家でも行き届いてないところまで行き届いているのだ。あそこは。
「やっぱり心当たりありますよね」
そんな思い返しをしていると、ミラはそう言って寂しそうに笑った。
無理に笑わないで欲しい、アトリアはそう思いながら胸がぎゅうっと痛んだ。
「アトリア様はアップルパイが苦手です」
「えっ?」
「シナモンの独特の香りと火の通った柔らかいリンゴの食感が嫌いなんです」
(その通りだ。その通りだけれど誰にも話したことはないし、出てくれば顔に出さずに完食していたはず)
「ドライフルーツも苦手です。フルーツは瑞々しさが良いのにわざわざ乾燥させるなんてって思っています」
(確かにそう思ってはいるが……)
「コーヒーなど苦味のあるものも苦手ですよね。毒や媚薬はたいてい苦いです。食べ物を食べたら苦くて、嫌な思いをしたのが何度かあったでしょう。そのせいで食べることから本当は苦手でアトリア様は好き嫌いが多いはず…」
ミラは迷いなくすらすらとアトリアの食の嗜好を語り出した。
どれも合っていて、どれも完全に隠していたものだった。
「アトリア様は昔庭園でシャウラ様にプレゼントする為に手に入れたリボンを無くしたことがあるはずです。半べそで探していたら鳥の巣になっていた…それから…」
「ま、まって、まってくれ…!」
しかも恥ずかしい過去まで知っている。アトリアは耐えきれなくなって、思わず制止した。
アトリアが制止するとミラは複雑そうにアトリアを見ていた。
「…、全て知ってるって」
「はい、アトリア様の過去から何まで、…全ては言い過ぎましたがほとんど知っています……」
どうです?きみが悪いでしょう?ミラはそう言って笑いながら、アトリアを見つめる。
笑ってはいたがミラはどこか辛そうでアトリアは見ていられなかった。
どう言葉をかければいいのがアトリアは思案する。
なんで知ってると言えば責めるようになってしまうのではないだろうか。
黙っていれば分からないのに知っている事をわざわざ話したのだからミラには何か意図があるのだろう。悪意はないと示す為だろうか。
アトリアが黙ってミラを見つめ返せばミラは困った表情をした。
そのまま沈黙のうち、十分ほど時間が経ったような気がしていた。




