109・好きという気持ち(シャウラside)
く、口付け…!口付けをしてしまいましたわ…!!
ベッドの上で足をジタバタさせる。枕をぎゅーっと抱きしめるも、ドキドキは収まらなかった。
リギルが近寄ってきた時は焦って後退りしてしまったけれど、最後に勇気を出して良かったわ。
しかし近くで見れば見るほどリギルは美しかった。
リギルの白銀の髪や長い睫毛はまるで月光を吸収したようで、きらきらとしていて、あのルビーのような赤い瞳も見つめられたら目が離せなくて。それに良い匂いもした気がする。
あんな美しい人が私を好きだなんて今でも信じられない。
たった一瞬唇同士を触れただけなのに、こんなにも満たされた気持ちになるなんて。
リギルのような容姿や才能、そしてあの性格の良さがあれば、わざわざ自分なんて選ばなくてももっとリギルに似合う令嬢がいるかもしれない。
でも、それでもリギルは私を選んでくれた。あの口付けはその事実を再確認するには十分だった。
ミラに対して嫉妬するなんて愚かな真似をしてしまったのに、リギルは優しく謝罪をして愛情表現を見せてくれて。
でもリギルは誰にでも優しいからたまにそうやって不安になってしまうの。出来れば私だけを見てほしいし心配して欲しい。
ヴェラ様は妹だから大丈夫だけど、リギルが他の女性をどんな理由であれ気にしているのを見たくなかった。私ってわがままだわ。
でも、私はなんて幸せなのかしら。
リギルと一緒にいる度に私は人生で一番幸せを更新している気がする。
お兄様以外で私を宝物のように大切にしてくれる人が現れるなんて思ってもみなかった。
ハルト辺境伯がわざわざ一人一人に個室を用意してくれて良かった。ヴェラ様やミラに一人で悶えているところを見られてしまったら不審がられる。
でも、さっきから何度も思い出しては落ち着かないでジタバタしていた。本当に個室で良かった。
コンコンとドアから響いた乾いた音にびくりと身体を跳ねさせた。
本当にびっくりした。ジタバタしたせいで若干乱れた夜着を軽く整えてから起き上がる。
「…、どなた?」
「あ、あの、ミラです。ご相談があって、ちょっとだけ宜しいでしょうか…」
か細い頼りなげな声が聞こえる。間違いなくミラの声だった。
…、お兄様と何かあったのかしら?
リギルと話した会話の内容からなんとなくそう考えた。
頬を軽く叩いて気を引き締める。
「構わないですわよ」
ベッドに座るとそう答えた。扉が控えめに開くと、ミラが申し訳なさそうに顔を覗かせる。
「こちらにいらっしゃい」
にこりと笑いかけて自分の隣をぽんぽんと叩いた。
ミラは一瞬躊躇ったが、急かすと遠慮がちに私の隣に座った。
「何があったんですの?」
私が聞くとミラは気まずそうに視線を下にやった。
指を合わせてもじもじとしながら考えを纏めている様子だ。
「……、あの、わ、私はアトリア様が好きなんでしょうか…?」
ミラは困った顔で私を見つめる。そんなことを聞かれたって私だって困ってしまう。
「それは私には分からないことですわ」
私がそう言うと、ミラはですよね…と項垂れた。
ため息を吐くミラは一体何を思い悩んでいるのか、自分の気持ちが分からなくなっている?
「あの、シャウラ、好きってどんな感じですか?」
ミラの質問に「へっ?」という間抜けな声が出た。
思わず目を瞬かせるもミラは真剣な表情だ。
「…その、シャウラはリギル様と恋仲ですから、シャウラの話を聞けば何か分かるかと思って…」
恋仲。
その単語を聞いて少し顔が熱くなった。そうよ、そうだわ。私とリギルは恋仲、恋人同士…。
改めてそう他人から言われるとすごく照れる。
「っと…、側にいると、安心したりもしますし、どきどきもしますわ…」
「安心するのにドキドキですか…」
私はこくりと頷いた。リギルの側はひどく安心する。
彼は私を決して傷つけることはしないし、私を信じて守ろうとしてくれる。
何よりもいつもとろけるような優しい瞳で私を見つめてくれている。その瞳にはドキドキもする。
「それから、自分では彼には釣り合わないと思う気持ちの裏腹に他の女性に取られたらと思うと嫌です」
「………」
ミラは黙って私の話に耳を傾けていた。
釣り合わないから身を引く…なんてたまに聞く話ではあるけど、私は釣り合わなくても絶対にリギルを他に渡したくなんてない。
例え同じ公爵家でも高貴な血を継ぎ優秀なリギルに比べれば、闇属性を持ち生まれ、忌避されている私は彼に釣り合わないことは分かっていた。
それでも他に渡すくらいなら追い縋りたいの。だから最初の偽造婚約だって受け入れたんだから。
我ながらみっともないし往生際が悪いけれど、そのおかげで今は一緒に過ごせている。
「リギルが他人を心配しているだけで嫉妬しますわ。彼の優しさ故と分かっていても。…、できれば私だけをあの綺麗なルビー色の瞳に映してほしい」
リギルの瞳に映るのは私だけで良い。
「それに、ええと、たくさん触ってほしいですわ。もっとその、ギュッとしたり、頭を撫でたり……」
口付けのことは流石に恥ずかしくて口に出せなかった。
もちろんキスだって一回だけじゃなくてまたしたいとは思っている。
抱きしめてくれたのは本当に嬉しくて、死んでもいいと思ったくらいだった。
「あとは…、前よりリギルがずっと素敵に見えてます。会ったときより、ずっと。もちろんリギルがカッコよくなっているに違いはありませんのですけど、私の見方も随分変わった気がしますわ」
そこまで早口で答えるとミラの方をチラッと見た。
「……ふふ、シャウラは本当にリギル様が好きですね」
ここでやっと難しい顔をしていたミラが笑顔を見せてくれた。
結構余計な話までして恥ずかしかったけれど、ミラの参考になったかしら。
「シャウラが幸せそうで嬉しいです。リギル様には感謝してもしきれません」
「ミラが何を感謝するって言うの」
「シャウラを幸せにしてくれたことです」
ミラはたまにこういう顔をする。…こういう、愛おしげな顔で私を見つめる。
とはいえ、リギル様が私に向ける愛おしいとは違って、まるで自分の妹や子供に向けるようなもので、何だか不快ではない違和感がある。
「…、私、シャウラやアトリア様にたくさん秘密があるんです。たくさん秘密があるのに私は貴方たちのことを…」
ミラはそこで口を噤んだ。なんとも言えないような哀しげな顔をしている。
どうしてかしら、胸の奥がチリチリする。
「…、きみ悪がられて、嫌われてもおかしくないんです。私…狡くて……」
ミラがそんなこと言う理由は私には分からない。
お兄様と向き合うことに不安があるのはミラのその何かのせいなのだろうか。
「秘密くらいでリギルも貴女も大袈裟ですわ」
私がそう言い放つとミラは目を丸くしてぱちくりさせた。
「どうして二人とも秘密があることを大罪みたいに言うんですの?誰にだって秘密くらいありますし、伴侶や友人だからと話さないといけない理由なんてありませんわ」
何かを隠すことに後ろめたさを感じるのはリギルもミラも真面目だからだ。
真面目で真剣に生きているから、隠すことに不安になっている。相手に失礼だとか考える。
でも私は全部洗いざらい話さないと許しませんわ!なんて言う気もないし、お兄様だって別に望んではないだろう。
もちろん不貞を働いたとか、人を殺したとか、犯罪紛いのことなら別だけどそんなことするような二人ではない。
「話せないことがあることは必ずしも不誠実ではありませんわ。ミラは人でも殺したんですの?それとも麻薬の密売でもしてるんですの?」
「ええっ、そんなことはしません!」
慌てた様子のミラに私はフッと笑いかけた。
「なら、いいんです。悪いことじゃないなら気に病む必要ないですわ」
「悪いこと………」
ミラは複雑そうな、不安そうな顔をする。
そして目を伏せながら何かを考えている様子だった。
「…、私は、貴女にどんな秘密があっても貴女の味方ですわ。大切なお友達ですもの」
ミラは私を見つめると、しばらくしてから黙って頷いた。泣くのを堪えているようなそんな顔だった。
そんなミラを私はリギルが私にしてくれる時のように、優しく優しく撫でた。
そうしていると、ミラも多少元気が出た様だった。
「……、答えは出ましたか?」
「はい、少しだけ」
ミラはそう答えながら微笑むと、部屋に入って来たときよりは幾らか明るい表情になっていた。




