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102・怒ってる?

「えっ、何」


思わず悲鳴のした方を見ると大きな火が燃え盛っていた。

周りの人間が慌てて湖から掬った水をかけている。

側には腰を抜かした令嬢がいた。先程の叫び声は若い女性のもので、他に近くにいないので彼女のものだと推測できた。

草に燃え移った火だけ水で鎮火されていて、大きな火に全く代わりはない。

大きな火はゆらゆらと揺れるとじゃぽんと湖の中に落下した。

悲鳴の声の主と思われる令嬢の「アァッ…!!お父様ッ!!!」という叫び声がはっきり聞こえた。

彼女は大きな火に向かってそう叫んだのだ。つまりあれは、火だるまになった人間…?

ゾッとしたが、僕は思わず駆け出していた。


まだ生きているかもしれない。


リギル様!というユピテルの声が背中に聞こえた。

湖に飛び込むと、沈んで行く男性が見えた。意識を失っている様子だが不思議と焼け焦げた痕がない。

水魔法と風魔法で水の抵抗を和らげながら素早く男性の元にたどり着くと、肩を抱いて水面まで持ち上げた。

上を見上げるとユピテルも近くに来ていて、男性を引き上げてくれる。

すぐに助けたのが幸いしてか、そんなに水を飲んだ様子はなく、男性はゴホゴホと咳をしていた。


「リギル様、無茶をしないで下さい」


「…ごめんね、つい」


ユピテルはムッとした表情をしている。護衛対象が危険に自ら飛び込んだのだから怒るのも無理はない。

他のみんなは木陰から動いていない様子で、ユピテルが足止めしておいてくれたのだろう。心配そうにこちらを見ている。


「ああっ…!ありがとうございます!…ありがとうございますっ!!!」


令嬢が泣きじゃくりながらお礼を言う。


「一体、何があったんですか?」


呼吸を整えている僕に代わって、ユピテルが彼女にそう聞いた。


「分からない、分からないんですっ……」


「…もしかして、お父さんは火の“精霊に愛されし者”かい?」


「え、あ……、そ、そうです…」


彼が火だるまだったのに無事だった理由。

それは、魔法で生み出した火や氷などは術者自身を傷つけないから。

とはいえ、体感の熱さや寒さは尋常じゃない。

気が狂って死ぬこともあれば、続けば脳へのダメージや臓器に負担がかかる。

彼はあまりの熱さに湖に飛び込んでしまったのだろう。そして気を失った。


「まさか、魔力の暴走ですか?」


ユピテルの言葉に僕は頷いた。僕が彼の身体に触れると濡れているというのに彼の身体が熱くて、うなされている。

僕がゆっくり氷の魔力を流し込むと彼の表現が穏やかになっていった。応急処置としては充分だろう。

その様子を何やら神妙な顔でユピテルが見ていた。


「魔力の暴走…?あの、でも父は四十代です…」


理解できない、という表情を令嬢がした。

それもそうだろう、普通なら起こり得ない三十代以上の魔力の暴走…。

湖の近くで起きたのは不幸中の幸いだった。危うく溺れて死ぬところだったけど、湖に飛び込んだことで鎮火できたのだから。


とにかく、その可能性があると彼女に言い含めて、それから男性と令嬢の使用人たちが近くの診療所に連れて行くから大丈夫ということで話が纏った。

後でお礼をと言うので、アヴィにも報告するべきだし、彼に話をして欲しいのでアスピディスケ家の別邸に世話になっていることを話して彼女たちは急いで診療所に向かった。


「はぁ…びっくりした…」


「びっくりしたのはこちらです。皆様心配しています」


ユピテルが小言を言いながらどこから出したのか、タオルを僕の肩にかけた。

ありがとう、と僕は水滴を拭った。暑い夏とはいえ着替えないと風邪を引きそうだ。

びしょびしょの僕が戻ると、ヴェラが僕に飛び付こうとするのをユピテルが止めた。


「ヴェラ様濡れてしまいます」


「だ、だってだって!お兄様大丈夫?!お怪我は…!?」


ヴェラの瞳がうるうるしている。悪い事をした。

ヴェラの後ろでシャウラをはじめ、みんな心配そうに僕を見ている。


「大丈夫だよ。全然へいき…っくし…!!」


「リギル様、馬車で着替えましょう。お風邪を召してしまいます」


「ああ、うん」


ユピテルに言われて心配するみんなにすぐ戻るねと告げると馬車の方に向かった。

ユピテルは結構用意周到で着替えも用意していたみたいだった。僕がボードをひっくり返すと思っていたんだろうか。


「全く貴方は正義感が強すぎます」


馬車の中で着替えていると、扉の外からユピテルの不満そうな呟きが聞こえた。

僕は別に正義感とかではなく衝動的にやってしまったんだけど。あの悲痛な叫び声に思わず反応したのだ。


「正義感とかじゃ無いよ」


呟くと返ってきたのは沈黙だけだった。


ユピテルマジでなんか怒ってる?


観察対象ぼくに何かあって勝手に死ぬのがそんなに嫌だったのか、使用人としての責任を問われるのが嫌だったのか、とにかくなんだか怒っているらしい。

戻る最中に何で怒ってるの?と聞くと、貴方には一生分かりませんと切り捨てられてしまった。湖の水より冷たい。


元の場所まで戻ると今度こそヴェラがぎゅっと抱きついてきたので頭を撫でてあげた。


「びっくりしましたわ、リギル。急に駆け出して湖に飛び込むなんて」


「そうだよリギル。自身の命も大切にしないと、巻き込まれたらどうするんだい」


エリス兄妹にめためたにお説教される。いや、僕公爵令息なんだよね、本当反省してます。

公爵令息らしくないし、最悪の判断だったろう。

ユピテルに行かせるのが正しかったんだけど、あの瞬間はそこまで頭が回らなかった。


二人はしばらく説教すると、まあ無事なら良かったと最後には許してくれた。もう無茶するなと釘を刺されたけど。

その間ヴェラは抱きついて離れないし、リオは泣いてるしでカオスだった。

メイドも騎士も慌てて、一番冷静だったのはミラだったけど


「もうちょっと頭が良いと思ってたんですけど」


と遠回しに馬鹿だと言われた。


うん、はい、馬鹿です。


「ところで一体なんだったんだ?」


その場が落ち着くとアトリアが疑問を口にした。

あそこから見てたら何がなんだか分からなかっただろう。


「魔力の暴走…みたいだった」


「首都だけじゃなかったの?」


リオの言葉に僕は唸った。

ここは首都からは全然遠い、首都だけで起きていたことが急にこんなところで起きるなんて。

若い人なら偶然だったかもしれないけど、第二安定期を終えた四十代の男性なんて…どう考えてもおかしい。関連性があると見て間違いない。


「…、僕にも分からない」


僕が呟くとみんな不安そうに顔を見合わせた。

とにかく帰ったらアヴィに全部話しておくくらいしかこれ以上僕に出来ることはないだろう。


その後は気持ちを切り替えよう!とみんなで改めて湖を楽しんだけれど、漠然とした不安は消えなかった。







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