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成人の日

#小説 #ショートショート #成人式 #中毒

注・この物語に限り、薬物描写が含まれます。苦手な方はご遠慮ください。

……ピッ、ピッ、ピピッ、ピピッ、ピピッ、ピピッ……


カタッ。




僕は条件反射的に、目覚ましを止めた。


体が、汗で、びっしょびしょに濡れていた。

頭を押さえた。


……いやな夢を見た。


ほわほわとした幻聴、ピンク色の象が、まだ、頭に残って離れない。




悪い気分だった。


真っ暗な天井を見ると、


誰かに笑われているような気分にならざるを得ない。




時計を見ると、午前3時。


いつもだったら遅くて7時半……早くても6時前には起床することのない僕だったが、


今日だけはそうもいかなかった。




いずれにせよ、この悪い気分をどうにかしなければ。




暗い部屋の中、


ため息をつきながら、背徳感に苛まれながら、僕は注射を打った。


途端に、ネガティブな思考が全てどこかへと飛んでゆく。





ああ、人生って最高。


そう思えるのも今だけだとわかっていながらも、私はニコニコと笑う。


視界の端に、部屋に張ってある、好きなアイドルの写真が映った。

それを目におさめ、


部屋を出た。


「おかーさん、今日のご飯はー?」


トントントンと階段を踏みしめ、私は一階のダイニングに降り立つ。

母さんは、私を見た途端にパッと笑顔になってくれた。


心なしか、いつもよりも化粧が濃いような気がする。


当然だ。

なんてったって、今日は成人式。


そして、その主役が他でもないこの私なのだから。


「今日のご飯は、食パンと目玉焼き、それからいつも通りのコーヒーよ」


母さんが用意してくれたモノを、私は席に着くなりすぐ口に持っていった。

その間にも母さんは準備を進めている。


「予定はわかってるわね?

 髪をととのえて、美容室へ行って、それからあと……」


成人式当日の朝というものは、せわしない。

やることがあまりにも多すぎるからだ。



だから、普段ズボラな私でさえ、今日こんなにも早起きしたのである。

僕の面倒を見てくれる母さんは、それよりも早く起きたのであろう。


母さんには、感謝してもしきれなかった。


私は母の横顔を見ながら、そう思う。

生まれたとほぼ同時に父親が死に、女手一つで私をここまで育てた。

高校時代不登校になった時も、母さんだけは私を見捨てないでいてくれた。


「……オッケー、母さん。急いだ方がいい?」

「ええ、なるべく早く食べてね」


わたしは食べる速度を速めた。


目玉焼きにはやはり、質素な塩コショウが一番合うな、なんて思いながら。

口に流し込んだ黒い液体は甘く、ほとんど苦くなかった。


「……じゃ、やりましょう」


母さんは私に言った。

私はそれを右耳でうけとめ、食器を流し台に置く。


まずは風呂から。


私は着替えを携え、風呂場へと赴いた。

マザコンとよく言われる僕でも、流石に風呂まで母親に頼りっぱなしではない。


ちゃんと、一人で脱衣し、風呂場に入る。


シャワー一台と、洗顔類、鏡が一つ。

鏡の中には、やつれた顔の私が映っている。



僕の目は、自然と鏡から遠のく。

風呂は30分程度で終わった。


男がどうかはわからないが、少なくとも女の中では平均的な長さだろう。


本来ならシャワーは前日までに済ませておくべきだというのは、

秘密だ。


風呂から上がり、体を拭き、普段着を着用。

ドライヤーを活用して、髪の湿気を取っ払う。


風呂場から出ると、準備万端といった体裁の母親が立っていた。


母親に連れられるまま、私は美容室へと赴いた。


こんな朝早くだというのに、そこにはたくさんの人がいた。

ほとんどが女性で、男性はゼロに等しい。


おそらく、私と同じような、成人式の準備をしにきたクチが大半だろう。


ヘアメイクに、着付け、メイク。

全部母さんが計画していた通り、トントン拍子に進んだ。

他の人たちも、私なんかの存在は気にも留めず、ただ淡々と準備をしている。


なのに、僕にはそんな彼らが、僕に視線を向けているように思えた。

ヒソヒソと、陰口を囁いているのだ。



朝起きた時から、段々と気分が悪くなりつつある。


もうじき限界が来るだろう。



僕は母親と美容師さんに笑顔を振りまきながら、

内心考えた。



トイレか何かに行きたい。



だが、こんなド派手な服装じゃ、それさえままならないだろう。


まだ、やることは残っている。



トイレにいく口実など、作れるはずがなかった。


朝「最後にしよう」といったのを、僕はもう忘れたようだ。


あれ、どうだっけな? 

言ってなかったっけ?



僕の鼓動が、冷たい。



「折角だし、写真撮影しよう。時間もあるし、いいでしょ?」



母さんは僕にそう言った。


僕は頷いたが、

ちらりと、母親に恨みを抱きもした。



……こっちは、そんな場合じゃないのに。


  楽しげに笑ってピースなど、できっこない。



僕は頭痛に耐えながら、母の後ろに追従した。



母はこれまで見た事がないほどオシャレなバッグと衣服に身を覆い、


鼻歌交じりである。


足どりも軽やかだ。


街の空気は美容室の中よりちょっと冷たくて、まだ太陽も見えない曇天だ。



僕はその中を、歩いている。



街のあちこちに灯っている街灯は、明るくなどない。



やがて、写真屋さんのところにまでやってきた。


看板にある、「最高の一瞬を、あなたとともに永遠に」やけに明るいキャッチコピーに、吐きそうになった。



高校時代引きこもっていたせいであまり世の情勢について詳しくはないが、

今は不景気のはずである。



にもかかわらず、なぜこんな、能天気で、楽観的にいられるのだろうか。


その苛立ちが、最悪の引き金を引いた。



僕は苛立ち、辛さに任せて、ポケットに手を突っ込んだ。


母親が突然の私の行動に驚いて、こちらを振り返る。



ポケットから取り出された僕の手には、一本の注射器。



母さんは刹那唖然とし、僕の腕を掴んだ。


しかし、残念ながら、栄養失調気味の痩せこけた手より、僕の力の方が強い。



僕は母の静止を振り切って、右腕の血管にブチ込んだ。



もう、この辛さに耐え切れなかった。


この絶望から逃げるには、この方法しかない。



僕の使っているものは、外に持っていけない程匂いがキツいので、


そもそも注射器は空っぽだった。



その事を知ってもなお、僕は注射器をプッシュした。


直後、右腕の血流が静止し、僕の意識がグラッと遠ざかる。


当然だ、人間の血管に空気なんていれたら、死ぬに決まっている。



冷たい空気と母の焦燥した声が、僕が最後に感じた事だった──





──と、思ったのに。


僕の意識は、グラリと遠ざかったのち、再び焦点を集め、蘇った。

我に返ると、私はよく知らない建物の中に立っていた。


「え……?」


強めのコーヒーの匂いがして、僕はあたりを見回す。

そこは、喫茶店のような場所だった。

三人の客と、一人のオーナー。


窓から見える遠い景色は、今日僕が出る筈だった、成人式のものだった。


「いらっしゃい、お客さん」


オーナーが僕に話しかけてきた。

僕は慌てて、左手に握った注射器をしまおうとするが、そこに注射器はない。


それどころか、成人式用の衣装も来ておらず、僕は普段着だった。


「注文は?」

「……えっ……ぼく……いや私、お金、ないんですけど……」


僕はどぎまぎして答える。


お金は全部、使い果たしてしまったのだ。

何に使ったのかは、言えない。


兎角、初老のオーナーは「そんなことはどうでもいい」と、さもなんでもいいようにため息をついた。


「何を飲みたいか、それが重要だ。ここじゃ、金は取らんよ」


……何を飲みたいか……


そう問われて、僕は即座に答えが出なかった。

ここがコーヒーの店であることは、入った瞬間になんとなくわかっていた。

だが、いざ何を飲みたいのかと聞かれれば、わからない。


ずっと、薬物に快楽を支配されていて、何か食べたいなんて感情は浮かんだことがなかったのである。


そう言えば、母さんが毎日、コーヒーを煎れてくれてたっけ。

僕は自然と、口から声が漏れていた。


「母さんのコーヒーが、飲みたい」


言ってから、僕ははっとした。

なんてことを言ってしまったんだろう。

そんな馬鹿馬鹿しいオーダー、恥ずかしい。


しかし、オーナーは真面目に僕を見た。


「……それでいい」


彼は僕に背を向けて、カウンターの奥へ行ってしまった。


その間に、僕は考える。

結局、僕は親孝行、いや、つぐないをせずに終わってしまった。


高校時代、引きこもりで支えてくれた母さんにさえ、僕は自分が犯した過ちを明かさなかった。

自分を犠牲にしてまで支えてくれた人を、僕は置いてきてしまったのである。



「……はいよ、注文の品だ」

「はい……」


オーナーが僕に、白いマグカップをよこした。

僕はフーフーと息を吹きかけて、火傷しないように気を付けてそれをそそる。


案の定、コーヒーの味は、母が煎れてくれた物とは全く違う味だった。


母さんがいれてくれたのは角砂糖が幾つも入った甘いコーヒーなのに対して、このオーナーが煎れてくれたのは完全なブラックである。


はっきり言って、これは「母さんのコーヒー」などではなかった。


わたしは、満足だった。


コーヒーがしょっぱくなっていた。

意識が遠い。

多分、わたしは逝くのだろう。


揺らぐ視界の中、誰にでもなく頭を下げた。

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