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元旦

「あーあ」


ぐんぐん遠ざかっていくまんまるな朝日を前に、

声が漏れた。


重力に体を乗っ取られ、まるで抗えない。

恐怖と快感が入り混じったような、複雑な気分だ。

朝日はきれいなまんまるだけれど、

「彼」の頭があるせいであまりよく見えなかった。


でもそれが、美しくもあった。


***


それは一時間前、早朝、私は山を登っていた。

雪で不安定な足元に、杖を刺しながら登る。


私は時計を見た。


針は、午前6時を指している。

時間はあまり、残されていないようだと笑う。

雪混じる空気が、肌を刺している。


私の周りに、登山者はあまりいないようだった。

当然だ、皆、もう山頂にたどり着いているだろうから。


だが、それでいいのである。


私はグサッと杖を刺し、一旦休息を取った。

タイムリミットギリギリで登り切った方が、ドラマチックである。

そんなことを思っていた。


なにせ、今日は元旦……すなわち、初日の出がある日だ。

初日の出を見るのは、多分人生でこれが最初で最後になるだろう。

最期の初日の出なのだから、とびきり高い山で、

とびきり美しい物を見たいと思った登山家の私は、こうして山を登っている。


私はまた歩き出した。

初日の出まで、残り1時間もない。


幸いなことに、雪はそこまで降っていないようだった。

これなら、もう少しスピードを上げてもよいだろう。


そう思い、脚を早めかけた、その時だった。


「あっ、いたいたー! 

 いやぁよかったよかった、みんなもう、先に行っちゃったのかと……」


唐突に声をかけられ、私は後ろを振り返った。

私から20mほど離れたそこには、見知らぬ少年が一人、こちらに向かってきている。


「……あっ」


私の姿を確認すると、

あたかもカメラで一時停止したみたいに、

彼はピタッと止まった。


「えっと、どなたですか?」

「……ええと」


少年は明らかに私から目線を逸らした。

その時点で、私はははーんと察しが付く。


おそらく彼は、友達から置いて行かれ、一人で歩いていたところ、私を発見し、声をかけた……なんてクチだろう。

しかし実際、私はその友達などではなく、ただの一般登山客。


気まずい空気が漂うのは、避けがたかった。

もはや遅いが、適当に「大丈夫」とか声をかけて、沈黙を防ぐべきだったと、

今更ながらに後悔する。


私も少年も、じっと黙り、相手の様子を伺っている。

沈黙に耐え切れなくなったのは、私の方が先だった。


「……一緒に登ります?」


なぜこの言葉が出たのか、自分でもよくわからなかった。


ただ、「さよなら」と一言で終わらせるには沈黙が長すぎたし、

「ありがとうございました」「頑張ってくださいね」なんてのはもってのほかだ。


その結果出たのが、「一緒に登ります?」という言葉だった。


困惑する少年と、今しがたの行動を後悔する私。

なんなら、今も後悔している。

雪の勢いは段々と収まりつつある。

やがて、少年が答えた。


「……いいですよ」


こうして、謎の因果によって、私と少年はともに登山することになったのだった。




名前も知らない少年との登山は、とても楽しかった。


最初の方こそ互いに探り合い、会話は弾まなかったが、

登っていくうちに口が軽くなっていた。


「どうして、お姉さんは山を登ってるんですか?」

「今日は初日の出だから、見ておこうかなー……って」

「にしては、ちょっと時間がギリギリですね」

「寝坊したの~。そういう君こそ、遅いんじゃない?」

「これには、やむを得ない事情があって……寝坊して、同級生との約束をすっぽかしちゃったからです」


私はアハハと笑った。

少年も、「いやぁ面目ない」と顔を赤くして頭をかく。


ミシ、ミシと雪を噛み締め、溶かしていくうちに、

私たちの話もヒートアップする。


初日の出まで、およそ20分。

この山の頂上までの時間も、およそ20分くらい。


間に合うな、私はそう確信していた。

雪の勢いも、今の所登山に支障をきたすほどではない。

多少肌寒いくらいの、絶好の登山日和である。


……登山日和。


「はぁ……」

「どうしたんですか?」


ふとため息をついた私に、少年が反応した。


「あっ、聞こえちゃった?」


私は笑顔で彼の顔を見る。

少年は、おどおどしてこういった。


「……もしかして、聞いちゃいけませんでしたか?」

「いや、別にいいよ~」


私は再び、視線を頂上に向ける。

この名前も知らぬ少年に、ため息の理由を教えてもよいものか、少しの迷いがあった。


この少年になら、言ってもいいような気がする。

雪はほとんど止んで、夜も開けつつあった。

初日の出、すなわち頂上が、すぐそこまで迫ってきている。


「つい一か月前に死んじゃった、夫の事を思い出したんだ。あの人も、登山好きだったなーって」

「……あー……」


少年はどうこたえて良いのか分からなかったのか、ただ目を伏せた。

私は歩むスピードを上げ、「気にしなくていいよ」。


「勝手にため息ついて、勝手に自分語りしたのは、私の方だからさ」

「……もういない夫さんのために、登山しに来たんですか?」


彼は真剣な口調で尋ねた。

思ったよりも、踏み込んだことを訪ねてくる。

私は何も答えなかった。


折角盛り上がって楽しげだった雰囲気が、暗くなってしまった。

そのせいで、私の口からまたため息が出る。


「でも、ほら、もう少しで頂上ですよ」


少年は場の空気を和ませるためか、不自然なほど明るい声色だ。

そうだね、と、今度はちゃんと答える。


少し切れた息と、脚の痛み。

指先が冷たく、高度の影響で耳がキーンとしている。


しかし、それらの辛さも、もうじき報われるのだ。



そして、ようやく。


「「初日の出……」」


私と少年の唇が、同時に震えた。

少年が、声にならない声を発して、

熟したマンゴーみたいな太陽に魅入っている。


そして、私はというと。


少年から少し離れたところで、太陽を眺めていた。


一か月前、私の大好きな夫は、太陽が出る瞬間に魅入ってしまい、

足を滑らせて死んだ。


ちょうど、今日みたいに。


私は口角を上げた。

また雪が降り始めている。


私はそのまま、後ろ──これまで登ってきた登山道に、背中から身を投げた。

身を切る空気が、落下速度のせいでさらに冷たかった。


走馬灯のせいでけっこう長く感じたけれど、

実際は、一瞬だったのかもしれない。


なんて思ったのを最期に、わたしの体はひしゃげて終わった。




「らっしゃい。女のお客さんか」


……え?


聞き覚えのない声に、私は我が耳を疑った。

私は山から落ちて、死のうとしたはずだった。

なのになぜか、意識がある。


困惑したままあたりを見回すと、そこはおしゃれな喫茶店の様だった。


店内を満たすコーヒーの香りと、

さっきまでいた山とは違う、暖房の効いた人工的な温かさ。

店長らしき眼鏡をかけた初老の男性と、二人の客らしき人。


間違いない、ここは喫茶店だと私は感じ取った。


「……注文は?」


さっき私に「らっしゃい」と声をかけた男性──おそらくここの店長であろう男性でもある──が、私に尋ねた。

私は何と言えばいいのかわからず、

とりあえず「コーヒーを一杯」と答える。


男はかしこまりましたの一言もなく、私の前から去って行った。


私は困惑して、立ちすくむ。

なぜ、私は今、ここにいるのだろう。


走馬灯にしてはやけに鮮明なうえ、

見覚えのある場所というわけでもなかった。

窓には日の出が覗いている。

が、さっきまで見ていたソレと合致するわけでもない。


私が頭を悩ませているところに、さっきの男性が白いマグカップを持ってやってきた。


「はいよ」


わけもわからぬまま、私は礼を言ってマグカップを手に取った。

その瞬間、男が私の耳元に口を近づける。


「……なぁ、おまえさん。なんでここにきちまったんだい?」


えっと私が困惑の声を上げるより先に、彼は私から離れてしまった。


「なんで『ここ』にきちまったんだい?」?


そんなこと、私に尋ねられても困る。

そもそも、「ここ」がどこなのかさえわかっていないのだ。


私は少しムッとしたまま、コーヒーに口を近づけた。

途端に、コーヒーの香りが一層濃くなる。


ブラックなことは、匂いでわかった。

ブラックがあまり得意でない私は、目を瞑って黒い石油のような液体を喉に流し込んだ。


キツい苦み。

これを好んで飲む人の心情が、理解できない。


しかし、その代わりに涙が流れた。


もうじき私は、この苦みさえも感じれなくなるのだと、

考えてしまったからである。

死ぬとは、そういうことだ。


夫もきっと、こんな風に絶望しながら逝ったのだろう。


意識の揺らぐ感覚がして、グラりと視点が落下した。

その時、私の目に窓の外の日の出が映る。


不思議な事に、それは、山の上で見た物よりずっと醜く見えた。

なぜだろう、と考えた時、一つの答えが私の中に浮かぶ。


──山頂で見た時に初日の出と重なっていた、少年の頭がないからだ。


体が冷たい。

意識が遠い。

そんな中、私の心に今更、「後悔」という感情が浮かんだ。




……夫と一緒に居たいという私の我儘のせいで、あの少年や私の両親は、傷ついたのかな。


「ごめんなさい」

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