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大晦日

#小説 #ショートショート #酒 #職業 #罪

俺の人生を一言で評価しろと言われたら、俺は間違いなく『最悪』の一言だけで説明を終わらせるだろう。


俺はそう思って、空を見上げた。


クソみたいな曇天が広がっている。

降りゆく雪が俺の眉毛や唇に当たり、積もってゆく。


こんな寒い日なのに、町は活気づいていて、楽しげだった。

積もった雪で遊ぶ子供やそれをよそに雪かきに勤しむ大人たちは、みんなマフラーと手袋をつけている。


今日は12月31日。

言わずもがな、年越しの日だ。


みんな年越しに向けて、準備している。

耳を澄ますと、


「二十四時間笑ってはいけないと紅白、どっち見ようかな」

「年越しそばを早めに食べて、テレビの前に居座ろっと」

「こたつで丸くなりてぇ……年越しまで夜勤だよ、ったく……」


なんて会話が聞こえてくるようだった。


しかし、その会話の中に俺はいない。


12月31日、それは世界にとって年越しの日であるのと同時に、

俺にとって最悪の日でもあったからである。




三年前のこの日、

大学を卒業して社会人になったばかりの俺は、人生初の忘年会に参加して酒を飲んでいた。


酒を飲んでいた時の記憶は酷く曖昧で、あまり思い出せない。

ただ、居酒屋特有の熱気と、それから珍しく紅潮した上司の顔はよく印象に残っている。


忘年会は短く、ものの一時間程度で終了したが、

俺はすっかり酔っ払っていた。


店を出ると、外はいつの間にか雨が降っていた。

街はガヤガヤしていて、

そこかしこで俺みたいな酔っぱらいが歩いていた。

歩き方が覚束なく、今にも転んでしまいそうな様子である。多分、4本は飲んだんだろうなというイメージだ。


「じゃぁな」

「来年も頑張ろうぜ」

「昇進します!」


そんなありきたりな会話を済ませて、俺は帰路に就く。

いやぁ楽しかったな、忘年会、なんて思いながら。


一般人は『忘年会めんどくさい』とか、『早く帰りたい』とか考えるそうだが、俺には到底そう言った感情が理解しがたかった。

人付き合いが得意な方ではないのだが、こればっかりは楽しくてしょうがなかった。


そうなんだ、あの頃の俺は、とても若かったんだ。


帰路は一人だ。


上を見上げると、綺麗な星空。

視界の隅に流れ星が見えた。

願い事を試みたときにはもう、流れきっていた。



ゆらゆら不安定に歩いていると、

右肩にちょっとした衝撃を感じた。


見ると、酔っぱらいが俺の肩にぶつかったようだった。

彼は酔いで元々赤かった顔をさらに赤くして、

「なにやってんだ、このボケカス!」と叫んだ。


ぶつかってきたのは、俺ではなく相手のほうだというのに。


酒のせいで、俺は気分が大きくなっていた。


気が付くと、拳を振り上げていた。

普段おとなしい性格なのに、なんでそんなことするんだと頭の中で理性が自問する声を聞く。

しかし、酩酊状態の俺はそれに耳を貸さなかった。


理性が、感情に負けていた。


俺は男に掴みかかり、殴っていた。

気持ちが大きくなって、誰よりも最強な気がして、正直、気持ちよかった。

一発、また一発と殴るたびに、俺の手が血に染まってゆく。

生暖かくて、ベトベト。


その温かみも、ものの数秒で消え失せていた。

男の体から、急速に体温が失われてゆく。

彼に雪が積もり始めた。


それを認識した時、ようやく俺の拳は静止する。


「……なにやってんだ、俺……」


居酒屋の熱と対照的な冬の冷気が、早急に俺の頬を冷やしてゆく。

意識が、酔いから醒めてゆく。




そこから先は、簡単だ。

人を殺した俺は、裁判所送り。

俺は冷静な判断力が欠如しているとして、三年の執行猶予が下された。


しかし、人を殺したことには変わりない。

接客業をメインとする俺の会社からはクビにされ、職ナシ……つまるところ、ニートになった。


そしてそのまま、再就職も叶わず、今に至る。


今日も、あの日と同じように雪が降っていた。

マフラーも、手袋も、酒の熱もない。


冷凍庫の中に入ったみたいに、寒かった。


これまでバイトや乞食で食いつないできていたが、

それももう限界だった。


ここ六日、メシを食っていない。

いつだったか、人は七日間メシを食わないと死ぬ、という話を聞いたのを思い出した。


あと一日、か。

でも『七日』っていうのは迷信で、実際は本人が肥満体質であれば七日以上の生存も可能だったんだっけ。


……なら、俺は無理だな。


俺は自らの死期を悟っていた。

路地裏へ行き、静かに壁に依りかかり、息をついた。


最後に一杯、熱い……いや、温かい物が、飲みたかったな。

それだけが未練だった。


そう願い、俺は目を瞑った。

意識が鈍い洗濯機にかけられたみたいに、混濁する──






「……あ……れ……?」


気が付くと、あたりが温かくなっていた。

俺は驚いて、周囲を見渡す。


そこは、さびれた喫茶店のような場所だった。

コーヒーの匂いが店内中に満ちていて、どことなく安心感がある。

店員は眼鏡をかけた初老の男性ただ一人で、カウンターに一人だけ、客と思しき男が座っていた。


「らっしゃい、お客さん。注文は?」


姿勢のよい店員から声をかけられ、俺は口ごもった。

彼は、見た目よりも低い声をしていた。

……注文? お客さん?


馬鹿な、俺はついさっきまで死にかけてたのだ。

こんなところに来た記憶はない。


俺は窓を見た。

外は暗く、遠くの方に微かに明るい街が見えている。

この店が田舎にあるということを、俺はすぐに悟った。


……あるいは、ここはあの世か。


そりゃいいな、と俺は自分で自分を笑う。

店員が、怪訝そうにこちらを見つめていた。


ここがあの世なら、金を払わなくたっていいだろう。

なら、最後くらい、自分の欲しい物を頼んでやる。


「『マスター』、温かい飲み物を一杯、頼む」

「はいよ」


彼はただ二つ返事をし、店の裏に行った。

その間に、俺は席に座る。


座ったと同時に、

マスター──俺の勝手なイメージによるあだ名だ──がマグカップを持ってこちらに近づいてきた。


「飲みな」


見ると、それはコーヒーだった。

純白の雪のようなマグカップにそそがれた、

チョコレートフォンデュのようなコーヒー。


俺は男からそれを受け取り、ありがとうとそっけなく礼を言った。


コーヒーはあんまり飲んだことがなかった。

特にこの三年間、ゆっくり物を飲食するなんて機会は一度もなかった。


そう考えると、自然とこの一杯が有難いものに思えてきた。


もう一人いる客も、有難そうにコーヒーを口に含んでいた。

さっきアメリカーノやらなんやら言っていたから、おそらくツウの人間だろう。

彼の丸まった背中が、妙に幸せそうに見えた。




……そうだ、冷める前に飲んでしまわないと。

冷めてしまっては、有難さも失せるという物である。


俺はゆっくりと、コーヒーのカップを傾けた。


口にそそがれる、確かな苦味。子供の頃思い描いたような、あの苦味だ。

しかし、決して嫌な感じはしなかった。


それ以上に、温かかったからである。


俺は泣いていた。


熱いビールではなく温かい一杯のコーヒーが

冷たい雪ではなく人の暖かさが

俺に足りていなかったということを、

たった一杯のコーヒーが気付かせたのであった。




まだコーヒーを飲み切っていないというのに、意識が混濁し始めた。

死の息吹をすぐ傍に感じている。


もし、この微かなコーヒーの記憶がただの走馬灯だったとしても、

最期の最後で、俺の人生が最悪ではなくなったような気がしていた。


それが、救いだった。

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