クリスマス
#小説 #恋愛 #ショートショート #クリスマス #悲しい
(注意・全体を通して、当作品は雰囲気が暗いです。苦手な方はご遠慮ください)
冷たい空気、
積もる雪、
震えている手。
長靴が雪を踏みつける心地よさを感じながら、俺は歩いていた。
今日はクリスマス。
まるで光の粒子があたり一面に飛び散ったみたいに、
町は煌びやかに輝いている。
そんな中で、俺の心も弾んでいた。
クリスマスで心が弾む、と聞けば、考えられるのは一つだろう。
俺は今日、とある女に告白をするのだ。
カップルや夫婦など、通り過ぎる人の波が俺に目を向けることはない。
俺もそれに習い、深々と雪降る中、
浮き立つ心を押さえ、ゆったりと歩いた。
時折、屋根に積もった雪がドサッ落ちる音や、車のクラクションを聞いた。
大丈夫、待ち合わせの時間までは、まだ余裕がある。
待ち合わせの時間まで、
五分の余裕をもって約束の場所に着いた。
さっきまでいた街から少し離れた場所だった。
喧噪から離れて、どことなく落ち着いた、貫禄のある雰囲気が漂っている。
カウンターの後ろには大量の黒い豆が並べられた──まぁ、俗にいう「コーヒー専門店」だ。
俺が座っているのはカウンター席で、店内に他に客はいないようだった。
つまるところ、俺が独占している状態である。
「お客さん、なんだか、気分がよさげだね」
『マスター』が、眼鏡越しに俺と目を合わせて言った。
とりあえずこれ飲んどきな、と彼は俺にコーヒーを一杯渡す。
マグカップにそそがれたソレを受け取り、
俺は、ありがとうと礼を言った。
コーヒーに鼻を近づけた。
肺をゆっくり満たす独特の香りに、唾液を飲み込む。
コーヒーは結構、得意だった。
でも、個人的にはアメリカーノ、つまり通常のコーヒーをお湯で薄めたものが好みである。
普通のブラックコーヒーとか、苦すぎて飲めないじゃん?
マスターの渡してきたコーヒーは湯気を発していて、見るからに熱そうだった。
俺は、口を開き、啜るようにして飲んだ。
まずは一啜り。
いつもならうまく飲めるのだが、
なぜだか今日は火傷してしまった。
次に二啜り。
もう火傷はしないぞと心に誓い、さっきよりも慎重に。
よし、上手く飲めたぞ。
次に三、四……
一口すするたびに、心温まる感覚がする。
舌の上で液体を転がしていると、早々に俺は確信した。
ああ、ブラックコーヒーだね、これ。
飲めないかも。
俺はマグから手を放し、時計を見た。
すると、自然と息が吸われた。
時計は、待ち合わせの時刻を指していた。
俺の心に緊張が走る。
目は自然と、外に向いた。
扉が開く気配はない。
そうだ、君は結構、時間に余裕をもってくる奴だった。
まだ焦る時間じゃない。
窓越しに、まるで、イルミネーションみたいにキラキラした街が見えた。
その光景は、やけに遠かった。
ぼんやりと、綺麗だな、と思った。
待てど暮らせど、彼女が来る兆しはなかった。
「なぁ、マスター。茶色い髪の、かわいい女、来てないかい?」
痺れを切らした俺は、用具を磨いているマスターに、そう尋ねた。
すると彼は、そっけなく「知らねぇな」と返す。
暫くの沈黙。
店には暖房が付いていない。全体的に空気が冷たいようだった。
そのお陰で、コーヒーの温かみをより感じれるのも、事実だが。
やっぱり、女という生き物は時間に無頓着らしいぞ、と俺は薄く笑う。
こう見えて俺も30代だ。
年甲斐もなく恋愛なんてモノに手を出したのが、
よくなかったのかもしれない。
とうとう、苦手なはずのブラックコーヒーを飲み干してしまった。
俺は、マスターにマグカップを返却しながら言った。
「うげげ……。俺、フられちまったのか……」
「フられた?」
マスターが眼鏡を外し、興味深げにこちらを見た。
相当の年配である割に、彼の目ははっきりと見開かれていて、驚いた。
冷たい空気が、肌を刺す。
俺は深々と、白い息を吐き出した。
「いや、気になる女の子ができたから、呼び出してみたんだよ。でも、全然来なくてさ。待ち合わせの時間なんて、もうとっくに過ぎてんのによ……」
少しイライラしながら、腕時計を見る。
マスターは、再び眼鏡をかけ、
なぜだか寂し気に言った。
「……もう、帰んな、おまえさん」
「えっ、なんで……」
あまりにも突然の宣告に、俺は驚いた。
マスターの口調は、突き放すような物に代わっていた。
降り積もる雪が冷たくて、重い。
……あれっ、俺はついさっきまで屋内にいたはずなのに。
どうして俺は、雪に晒されているんだ?
それに、なんだか、体の真ん中が『熱い』。
「きゃぁぁぁぁっ!」
誰かの劈くような悲鳴と、車のクラクションの音が聞こえた。
俺は頭を上げて何が起きたのか確認しようとするが、体が言う事を聞かない。
体が動かない。
「うそ……」
聞き覚えのあるかすれた声が、俺の耳に入った。
俺はすぐに、ピンとくる。
それは、間違いなく、俺が告白しようと思っていた女の声だった。
俺の視界に、彼女が入ってくる。
彼女は血に濡れていた。
『返り血だ』と俺は感じ取る。
それも、誰かの返り血なんてものじゃない。
俺の血だった。
クソ、なんで今まで思い出せなかった。
俺は車に轢かれそうになった彼女を庇って、
代わりに車に轢かれたのだった。
彼女は呆然自失のまま、俺の頭に覆いかぶさるようにして倒れた。
さっきまで腹部が熱かったのに、今はもうそれさえ感じない。
体が引きつっていくのは、朧げだった。
深々と降る雪に、意識がとけてゆく。
俺の頭に、ある言葉が浮かんだ。
……もう、帰んな、おまえさん。
俺ははっとした。
俺は本来、このまま死ぬはずだった。
なのに、あのマスターは俺をここに帰してくれた。
なら、何か、言うべき言葉があるはずだった。
だから、俺は言った。
「……愛してるよ」
まるで、イルミネーションみたいにキラキラした街が見えていた。
その光景が、やけに遠い。
ぼんやりと、綺麗だな、と思った。
そして、俺の意識は、まろやかな珈琲の匂いと、クリスマスの光に溶けてしまった。