タリカの街へ1
『耳にあてると綺麗な音がする貝殻』
『玉虫色に輝く絹布』
『孔雀の羽』
リルはメモに書かれた文字をじっと見つめた。知らずこみ上げてくる笑みを堪えるように一度、大きく深呼吸してから鉄の門に手をかける。重なり合った葉の隙間からきらりきらりと差し込む陽の光を仰いだ。
今日は太陽が特別明るく見える。黒く湿った土に残す自分の足跡さえ、リルには金色に光っているように見えた。
「タリカへ行くの、今日にできるかしら?」
その日の朝、食事の用意と、諸々の用事を済ませたリルは、館の図書室へ向かおうとしていた。ダーナの屋敷には古今東西膨大な量の書物や絵巻物があり、それらを見ることもリルの自由で彼女の楽しみのひとつでもあった。
今日はどんなお話を読んでみようかな、それとも昔のお料理の巻物にしようかしら。あ、でも。
彼女はドレスの裾を見下ろしてため息をついた。
そういえば先日、お気に入りのドレスをダメにしかけたのだ。
あのシリウス王子(みたいな人、と彼女は勝手に呼ぶことにした。もう会うこともないだろうから)と、にかっと笑うやけに耳のとんがった犬に出会った日、魔獣から逃げる時に派手に転んでしまい裾がほつれたまま、ドレッサーに突っ込んであるドレスのことを思い出した。
あれを繕わなくちゃいけないわ、やっぱり……。
彼女の生活雑貨についてはダーナがきちんと手配してくれており、リルも不自由に思ったことはない。だがお気に入りのえんじ色のドレスだったので、直してでも着たいと思っていたのだ。
他のことはなんとか形になってきても、裁縫だけはどうにも苦手だった。顔をしかめ、それでもやる気になって自室へ戻ろうと踵を返したとき、ダーナに声をかけられた。相変わらず、どんな時間に見ても館の女主人は美しい。
「あ、ダーナ様!はい。行ってまいります!」
針仕事から逃れるうまい理由が見つかって、リルははりきって返事をし、ゆったり佇むダーナのもとへ走った。
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ガルティア王国、商都タリカ。国の商いの中心であり、両隣の国をはじめ大陸のあらゆる地から品物が集まる大きな都市だ。王族や兵士が中心の王都とは違い、様々な民族が集まり栄えている。金さえあれば大抵のものはここで見つかる、と言うのが街に暮らす人々の自慢でもあった。
「天気もいいし、貴方も街で美味しいものを食べるといいわ。そして私にまた作ってちょうだいな」
出かけるときにいつもつける金の細い腕輪をリルの腕にはめながら、ダーナはそう声をかけた。森の中、魔術で隠してある屋敷への道を開くのに必要なのだ。護身の呪いもかけてあるもので、これがないとリルは魔獣や獣に襲われ放題になってしまう。
前回はなぜか魔獣に遭遇してしまったが、今日は何事もなく森を抜け、村で簡素な馬車を見つけることができた。タリカへ着いた頃には正午近くになっており、太陽と青空が楽しげに街を包んでいた。
御者の手を借りてそそくさと馬車を降りたリルは、高鳴る期待に胸を膨らませて、雑多な賑わいの中へ足を踏み入れてゆく。
どこに行こう?何を食べよう?
今はどんな形のドレスが流行っているのかしら?仕立て屋さんを覗くのも忘れないようにしなくちゃ。それに何より、今日は絶対道に迷ったりしないわ!
リルは自分に言い聞かせるように胸の前できゅ、と右手を握りしめた。前回も、その前も、というか、実はこの街に来てリルが迷わなかったことはない。もともと徒歩で街を歩き回るような育ちをしてこなかった彼女は、何もかもが目新しく好奇心が抑えきれずいろいろな店や路地を覗いてしまう。その結果、自分がどこにいるのか分からなくなってしまうのだった。
王女のままであったならそこには必ず従者がぴたりと着いていたであろうが、今はそれもない。彼女は何度となく同じ道をぐるぐると回った挙句、やっとのことでダーナのお使いを無事済ますことができるのだ。
「お、お嬢さん。今日は人気の見世物小屋が広場に来てるよ」
「海の向こうから珍しい花が届きましたよ、御令嬢」
魅力的なかけ声に釣られそうになりながら、リルはダーナのメモを握りしめる。
だめだめ。まずはいつもの雑貨屋さんで聞いてみなくちゃ。お昼ごはんやお店はそれから。
メモにある三つの品を手に入れるため、彼女は足取り軽く店へと向かった。




