ダーナの館1
十数人がゆったりと座れるほどの長いテーブルにたった二人。リルは女主人の給仕をすませてから、自分も角の席に腰かけた。赤い髪を緩やかに肩まで垂らしているのに、ダーナは優雅な仕草でフォークとナイフを操る。リルの不安げな視線を受けて、彼女は満足げに頷いた。
「美味しいわ」
ぱっとリルの表情が輝く。瞳の色がきらきらと揺らめいた。
「ありがとうございます!」
ここに来て五年目、最近ようやくダーナを満足させる味つけがわかってきた気がする。リルはテーブルの下で小さくこぶしを固めた。初めの頃は、料理などしたこともないリルを呆れた顔で見つめるばかりのダーナに、いつヒキガエルにされてしまうかと戦々恐々としていた。その頃に比べて格段に進歩したのが自分でも素直に嬉しい。
もちろん、ダーナ様はそんなことをするような方ではないともうわかっているけど。
屋敷の外に広がる森を眺めながらゆっくりと食事をとるダーナの様子をそっと伺う。全てを焼き尽くす炎の魔女、ダーナ。
幼い頃に城で聞かされていた話とは違う女性の姿に、リルはまた不思議な気持ちになった。
「エマは100歳まで生きたのよ。死んじゃうのは当たり前じゃない」
新しくリルを弟子にとり、ガルティア王国の森林地帯の奥深くにあるこの館へ連れてきた日に、ダーナは蒼白な顔をした新弟子に無表情でそう伝えた。
「人間は不便よね。いろんなところが悪くなってしまって、とても辛そうだったから、わたしも少し直してあげたりしたけれど。やっぱりダメだったわ。エマは寿命をだいぶ過ぎてしまったの」
エマはとてもいい子で、良い話し相手になってくれたしお料理も上手だった。残念ね。
そう言いながら寂しげに表情を曇らせるダーナを見て、リルは少しだけ恐怖が和らいだのを覚えている。
その日から五年、彼女は魔女の弟子としてディアンの森で暮らしている。
弟子、じゃないけれど。
リルは熱々のスープを口に運んで飲み込んだ。彼女にはすこし、スパイスが効きすぎている気がした。喉がちくりとする。
彼女の主な役目は毎日の食事作りと、ダーナの創作の手伝いだ。宝石作りに必要な材料、特別な石はもちろん、綺麗な布地や鳥の羽など、珍しいものを頼まれることも少なくない。森の深部からほとんど出ることのできないダーナに代わって、リルは森だけでなく時には町までそれらを探しにゆくこともある。
リルはどれだけ練習しても、魔法が使えるようにはならなかった。素質がなかったのだ。
森へ来て半年ほど経ったある日、リルが外で魔石に力を込める練習をしていると、ダーナがやってきた。
「どう?できるようになった?」
「も、もう少しでできそうです」
彼女は静かにリルの手元を見つめる。そして、ゆっくりと息を吐いた。
「リル。全然できてないわ。やっぱり貴方には力がなかったのね。わたし、また間違えちゃったのかしら」
そもそも、人間に魔力は滅多に宿らないのかしら。そう呟いたのがリルの耳に聞こえたかはわからない。だが、彼女は一縷の望みを持ってダーナに尋ねた。
「力がないと、弟子にはなれないのでしょうか?」
「そうね。エマも力がなかったわ」
「あの、ダーナ様。わたしが弟子になれなければまた、どなたかを、その…。どなたかを弟子にされるのですか?」
最後の方は早口になってしまう。そんなリルをダーナは不思議そうに見た。
「どういうこと?貴方をお払い箱にして、また誰かを探しにいくってことかしら」
リルは小さく頷いて、ダーナの返答を待つ。もしかしたら、城に帰れるかもしれない。だって魔力がないんだもの。いくらダーナ様が噂と違ってお優しい方でもやっぱりわたしは、帰りたい。
「そんなことしないわ。私は一度選んだ弟子は変えたりしないわよ。それこそ魔女ダーナの名折れじゃないの」
彼女はすました顔で森を見た。まるで睨んでいるようなその目つきに、リルは魂のどこかで、やはりこの方は人間とは違うのだと確信した。その気になれば炎でこの森を焼き尽くすことも厭わないのだろう。
「エマだって魔力はなかったけれど、最期まで仲良くできたわ。その前の子はとてもいい魔術師になってここから旅立っていったし」
彼女は肩を竦める。わたし、お家のことをするのがすごく嫌いなの。
「だから、魔力がないからって貴方を放り出したりしない。食事作りも自分でするのは面倒だし、石集めもあるし、助手としてやることはたくさんあるのよ」
だから安心してね、と悪戯っぽく微笑まれる。その妖艶な笑みにリルは思わず俯き、あいまいな返事しかできなかった。
諦めるしかないんだわ。おばあさまのようにしわくちゃになるまでこき使われてしまうのかしら。
その夜、改めて彼女はこの先の自分の人生に絶望し、ベッドの中で声を押し殺して泣き続けた。