再会4
「いえ、だ、ダーナ様、ではありませんが……」
「だろうな。森の魔女、ダーナは絶世の美女だと聞く」
「な……」
鼻で笑われて、リルは赤くなって言葉につまる。ダーナの存在は平凡に暮らす街や村の人々にとっておとぎ話に近い。炎の魔女の名をすんなりと口に出すこの青年には、やはりそれなりの事情があるのではないかと彼女は思った。思ったが、それよりも感情が顔に先に出てしまう。
し、失礼な…。
唇を尖らせて、リルは青年につんとした表情を向けた。
彼はさらに愉快げに彼女の顔を見守る。と、フードの下で紫の瞳が一際大きくなった。
ざざ、と葉が揺れる。湿気を含んだ風が二人の間を流れていった。彼は何か言いたげに口を開いたが、やがて俯き再びフードを深くかぶり直す。
「雨になりそうだ。早く帰れ」
それだけ言うとくるりと踵を返し、青年は濃い緑の茂みのなかへ消えて行った。大人しく後を追う獣がくうう、と小さな鳴き声を上げる。「わかってる、ラス。頼んだ」
と小さな声が聞こえた。
巨大な毛むくじゃらの塊とともに残されたリル。
「な、なによあのひと!ダーナ様はもちろんめちゃくちゃ綺麗だけど!」
懐かしい十四の頃に戻っていた彼女は思わず、頬を膨らませてそう声に出してしまっていた。
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リルは森の中を歩いていた。やがて、赤や黄の葉を不自然につけた木が数本見えてくる。彼女は腕にはめた金のブレスレットを掲げた。
するとブレスレットの鈍い光に照らされて、ぱかりと木々が左右に分かれる。アーチのようになった樹の道をくぐり抜け、彼女は奥へと進む。すると突如、石造りの立派な建物が姿を現した。
肩から下げた鞄の中身を頭のなかで確認しながら、彼女は正面扉へ向かった。彼女の主人、魔女のダーナはすでにリルの帰還を知っているはずだ。
「ダーナ様!リルです!ただいま戻りました」
厳しい獅子の顔をモチーフにしたノッカーを叩く前に、どこからか女性が姿を現した。黒のローブを纏い、深い緑のドレスの裾が歩くたびに揺れる。真っ赤な髪を肩まで緩やかに垂らして、魔女はゆっくりとリルの元へやってきた。
「お帰りなさい、リル。ご苦労だったわね」
かすかに微笑むと彼女はリルを正面の扉へと促した。どうやら彼女は屋敷の奥庭にある自分の工房で作業をしていたらしい。左手には作業中につける革の手袋がはめてあった。
「すみません、すこし、遅くなってしまいました」
リルはすまなそうに頭を下げる。
「いいのよ。お前が帰ってくるのはわかっているから。それより、いい石は採れた?」
ディアンの森の主、魔女のダーナは妖艶な笑みをさらに深めて弟子の元王女を見た。
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ぽつりぽつりと、黒い雲から滴が落ち始める。青年は森の出口に近いところで、太い樹の幹にもたれていた。雨の匂いが急激にあたりを包み始める。かすかに、土をふむ爪の音が聞こえて彼は顔を上げた。
「ラス?」
先ほどの生き物が青年のそばへ寄ってくる。彼はよしよしとそのふさふさの白い毛並みを撫でてやった。ラスと呼ばれた獣は嬉しそうに耳を震わせる。そして、彼に向かって口を開けた。
「彼女、無事に家に帰れたはずだ。途中で魔法で隠された道に入ってしまったので、私では追えなくなってしまった」
「そうか。そんな道に入ったってことは、本当にあの娘は森に住んでいるんだろう。ラス、ありがとう」
礼を言われるとラスは首を傾げそれに応える。
「レディを一人森に取り残すわけにはいかないのだから、当然だ」
「レディね。お前の言うレディって、魔獣に魔石をぶつけようとするのか?」
彼はまたしても鼻で笑う。ラスもくすりとするように歯を見せた。そして興味深そうに聞く。
「その、魔女というのは本当にいるのか?」
短く頷くと青年は雨で煙りだした樹々の間を見つめる。
「今では伝説のように言われてるが、三つの国の王族には現実だ。取り引きは年に数回行なっているしな」
「取り引き?」
「ああ。ダーナは宝石を作るんだ。何百年も、三国は彼女の作品を買い上げてる」
「あの娘、知り合いだったのか?」
ラスは急に話題を変えた。好奇心を湛えた瞳が金にまたたいている。青年はじっと狼を見つめた。探るような目つきで。
「覚えていないか?」
「私はベルンなんて行ったことはない。いつも城で留守番させられていたろう」
「そう、そうだな……。留守番させていた」
目をそらしてそう答えると、青年は平地へ向かって歩き出した。
「さあ、街へ行こう。雨がひどくなる前に商会に行ってコイツを買い取ってもらいたいし」
身を屈めながら小走りになる青年を、白い狼が追いかける。
「シリウス、今夜は美味い肉が食えるだろうか?」
「その名を呼ぶな。俺はシンだ」