再会3
五年も前だとはいえ、あの夜のことはリルが「リルシーユ王女」だった頃の大事な思い出だ。
優しいアレル王子と踊ったワルツは今でも彼女をふんわりとした気持ちにしてくれる。その横で、ステップを踏む兄王子を少し困ったように、でも楽しそうに眺めていたのはこの青年ではなかったか?
あのダンスのあと、リルシーユは王子たちにつきあい、少しだけ宮殿内を案内したのだ。もちろん、外部の人間に許されているところだけ。二人が兄弟であること、よくあるように母親が違うことはその時にアレル王子が話してくれた。
「シリウス様。シリウス王子ですよね?ムーンタイト王国のっ!」
リルはこみ上げる懐かしさでいっぱいになり、つい今まで目の前で起こっていたことなど吹っ飛んでしまっていた。瞳を瞬かせて青年に近づく。
「誰だおまえ」
訝しげにぴしゃりと言われ、リルはぴくんと立ち止まった。青年は二十歳をいくつか越したくらいに見える。そして、切れ長の瞳に少し冷たい印象の顔立ちと銀髪、紫の瞳。五年前より遙かに大人びてはいるが、あのときの王子が五年経てばこうなるだろうという姿だ。
対照的に、アレル王子は柔和な顔に金髪に青の瞳で、リルはあのときの二人の王子が月と太陽のように見えた。並んだ二人がとても美しいと思ったのだ。見間違うわけがない。
「わ、わたしは、リルシーユといいます。覚えていらっしゃいませんか?数年前にベルン王国でお会いしました」
そこまで言ってから彼女はハッとして口をつぐんだ。リルシーユという名はもう、使ってはいけないのだ。ダーナの屋敷に入るときにそう決められている。いつか彼女が帰るときまで、リルは、「リル」なのだ。
男の目がすっと細まる。なにかを思い出そうと眉をひそめ彼女をじっと見つめた。刺すような視線に、リルは急にどぎまぎとしてしまう。
やがて彼は顔を背けそそくさとフードを目深にかぶり直してしまった。
「ムーンタイトもベルンも行ったことはない。ここはガルティア王国だ」
「ええ、ですが……。貴方さまは」
「とにかく、そんな名前は知らない。人違いだ」
くるりと背を向けると彼は魔獣の横に屈み込み、膝をつく。腰のベルトから頑丈そうなナイフを取り出すと獣の頭部から突き出ている角を切り落としにかかった。
ごりごりと骨を削る音が聞こえる。リルは片手を口に当ててその様子を見つめていた。やっぱり、人違いかしら。
王族は魔獣と戦うことはあっても、こんな風にツノを狩ったりはしない。売れば相当な金額になるが、一国の王子はそんなことをする必要がないからだ。リルはもう一度、側に近づこうとした。
「ラス、彼女を側に寄せるな。仕事にならない」
犬のような獣はゆっくりと立ち上がり、リルの足元にやってきた。鼻面を彼女のスカートに押し付け、ぐいぐいと押してくる。
「わ、きゃ……!こ、コラ」
リルはあわあわとしながら後退りしてしまう。さっきまで獣相手に獰猛な歯を剥き出していた動物だ。リルは慌てて木の影まで戻る。
ラスと呼ばれた獣は彼女に大きく口を開けてみせた。赤い歯茎が剥き出しになり、白い牙がきらんと煌めいた。
ぶるっと身を震わせたリルに、さらに口を大きく開けて近寄る。なんだか目が笑っているようだ。
なんだか楽しそう。あの犬?犬なのかしら。
そのとき、獣が片目を瞑って見せた。
「え」
リルが呆気にとられていると、再び青年の声が飛んでくる。
「こんな森に何しにきたか知らないが、さっさと平地へ出ていけ。夜になればまだ魔獣が来るかもしれないぞ?」
「わ、わたしは!この森に住んでいるんですっ!」
不機嫌に追っ払われそうになり、リルは思わず叫んでしまう。
「住んでる?この?ディアンの森に?」
青年は角を掴むとすっくと立ち上がる。そしてリルを見下ろした。くすりと笑う。
「おまえが、ダーナだとでもいうのか?炎の魔女の」