再会2
聞こえてきた人間の言葉にびくりとして動きが止まる。
リルの耳もとに響く落ち着いた低い囁き。不思議と、一言ひとことが混乱した頭にしっかりと刻まれる。彼女は大人しくその声に従い、動きを止めた。
「よし、手を離す。ゆっくり息をしろ。喋るなよ」
静かに囁かれて、声の主に分かるように大きく頷いた。
すると、リルの唇と頬を覆っていた大きな手のひらが離れていく。彼女は深く息を吐いた。視線を横にずらして、声の主を確かめようとする。男なのは間違いなさそうだが、森と同じような色合いのフードに隠れて顔が見えない。
誰だろう。こんな森深くで人間に会うことは珍しい。警護隊の連中はこんなところまでは来ないはずだ。王国の使者たちは先月ダーナの屋敷を訪れたばかりだし。
急に別の意味で怖くなって、リルは再び身を固くした。
握っている魔石を、やっぱりこの人にぶつけるべきか悩み始めたとき、がさがさという音がすぐそばで大きく響く。
「そこでじっとしていろ」
「え?」
そう言うと、声の主は隣でざっと立ち上がった。黒っぽい丈の短いローブの下は、革のベルトを巻き付けたズボンにブーツという、狩人のようないでたちだ。
フードの下で、形の良い唇がうっすらと弧を描く。男はリルを見下ろした。
「これ、借りるぞ」
「え、え?」
いつのまにか彼の手には真っ赤に煌めく石が握られていた。リルが握っていた火の魔石だ。
「あの獣は俺がもらう」
そういうと、男は大きく弾みをつけて草陰から飛び出して行った。
「ちょ、ちょっと待ってください!それ、私の魔石……っ!」
ローブを翻し軽やかな足取りで駆けていく男にはリルの声は聞こえないようだった。既に鞘から抜き放った剣身を閃かせながら、もう片方の手でリルの魔石を獣に向かい投げつける。こちらに気づき、唸り声を上げていた魔獣の正面で大きな炎がぶわりと上がった。毛むくじゃらの、四つ脚の獣が一瞬身を怯ませた。
するとどこからともなく、銀とも白ともつかないカタマリが魔獣の太い首元にぶつかっていった。驚いたリルは思わずきゃ、と声を上げた。もう一匹魔獣が現れたと思ったのだ。カタマリは唸り声を上げて喉元に牙を立てる。
「いいぞ!ラス!」
男は嬉しげに叫ぶと高くジャンプして、毛むくじゃらの背中に飛び乗った。そして鋭い剣身を勢いよく突き立てる。暗い色のフードがめくれ、彼の髪があらわになった。
月の光のような銀髪がさらさらと揺れた。白い獣と、銀髪の青年が暗い緑の木々の中で巨大な魔獣に覆いかぶさっている。リルは両手を握りしめ、固唾を飲んでその様子を見守っていた。
刃からぎらぎらと青い光が放たれる。男は獣にまたがったまま、青い炎の中でもう一度、突き立てた剣を魔獣の背中に深く抉り込ませる。静まり返っている森が、苦しげな咆哮で揺れたような気がした。
魔獣は男を乗せたままよろよろともがいたが、突然どうと倒れた。どすんという重く鈍い音が辺りに響く。リルの足の裏にもその振動が伝わってきた。
ぶくぶくと牙の隙間から血の泡が噴き出てくるのを、彼女は恐怖に震えながらも、でも目を離せずにいた。
わたし、魔獣を剣で倒すところを初めて見たかもしれない。ダーナ様は指先から出る炎で骨まで燃やしてしまうから、後になにも残らない。
男は肩で大きく息をしながら、動かなくなった背中から滑るように降りてきた。しっかりと地面を踏みしめて、倒した魔物を満足げに眺めている。その足元で犬のような生き物がきらきらとした瞳で彼を見上げていた。
リルはおそるおそるその場に近づく。
「あ、あの…。ありがとうございますっ。助かりました」
男はくるりと振り返ると、めんどくさそうに彼女を見た。
「危ないからこっちに来るな。今のうちにさっさと逃げたらどうだ?」
「で、でも、あの、魔石…。魔石を」
「ああ。使ってしまった。悪いな。もう砕けてるだろう?」
全く悪びれずに答える様子に、リルは思わずむっと、男を見つめる。魔法が使えない彼女の護身用の大事な石なのだ。
二人の視線がぴたりと重なった。
「あ……」
先に声を出したのはリルだ。さらさらと流れるような豊かな銀髪。そして切れ長の深い紫紺の瞳と、少しやんちゃそうな表情。彼女の記憶はとたんにあの、月夜の白薔薇の庭へと飛んだ。
「ムーンタイトの……王子さ、ま?」