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 五年後



 足がもつれる。


 あ、と思った時にはリルの顎は地面にぶつかっていた。ざらりとした土が容赦なく口の中に入り込む。それからごっ、という腹部への衝撃。


「いっ…た」


 でも、痛がっている余裕は彼女にはない。がばりと起き上がりひたすら前へ、前だと思う方へ足を動かした。ばさばさとしたスカートの裾が邪魔だ。


 いつもなら、昼のディアンの森は小鳥のさえずりと風の音くらいでのんびり静かなものだが、リルの耳にはいま、自分の息遣いが異常に大きく聞こえる。後ろを振り返りたくても、痛みと恐怖で背中が板のよう固く感じられた。


 低い唸り声が風に乗って聞こえてきた。魔獣だ。さっき、湖で見かけたのと同じものだろう。


 はぁはぁと肩で息をしながらよろよろと進み続け、横手にあるこんもりした茂みを見つけると彼女はその中へ潜り込んだ。


 自分の運の悪さを呪いながら、ぎゅっと肩を縮めるようにして小さくなる。森林特有の湿った土と草の匂い。上を見上げれば濃い緑に覆われていて、ほとんど光が差さない。


 リルは斜めがけにして肩から下げている小さな麻袋に手を突っ込み、中身を確認した。ひとつ、ふたつ、みっつ。透明な石が三つだけ。


 これしか取ってこれなかった。大切な彼女の役目、森の外れの湖でダーナのために石を採集すること。だが、なぜか魔獣が湖に姿を見せたため、リルは石集めの途中で一目散に逃げ出したのだ。


 彼女はゆっくりゆっくりと息を吐いた。


 石がこんなに少なかったら、きっとダーナ様に叱られてしまう。もう一度戻った方がいいかしら。


 先日十九になったばかりのベルン王国元第四王女、リルシーユ・フランシスカ。今はただのリル、は森の奥の屋敷で待っているであろう自分の主人を思い肩を震わせた。



 ✳︎✳︎✳︎✳︎



 ディアンの森。


 ベルン、ガルティア、ムーンタイトの三国にかかる広大な森林地帯である。なかでもガルティア王国の北部を大きく占めているため、この森の警護は主にガルティアが担ってきた。


 警護といっても、森と平地の交わる比較的人里に近いあたりに限定されている。そもそも深部は人間はほとんど入り込まない。ダーナの住処があるからだ。彼女は大昔からその森に住む魔女であり、ディアンの森の主ともいえる存在だった。


 腰まで届く、燃えるような赤い髪と濃い緑の瞳。強大な魔力。

 ダーナは美しく、老いることがない。広大な森の奥の大きな屋敷に何百年も暮らしながら、美しい宝石を創り出している。魔女であると同時に、彼女は芸術家でもあった。


 遥か昔、ダーナは人間たちにひどい扱いを受けていた。怒りに燃えた彼女は、ベルンとガルティア、ムーンタイトの王都を次々と炎に包んだ。恐ろしい炎は三日三晩辺りを舐め尽くし、王たちが心を尽くし謝罪してようやく収まったという。


 言い伝えによると、その謝罪の場でダーナは広大なディアンの森を手に入れた。彼女の要求は、森で静かに暮らすこと。そして、彼女の作る宝石を王国が買い取ること、また、彼女が欲しいと思った時に、王族のひとりを見習いとしてよこすこと。どのような経緯でそうなったのかはもうわからないが、三国とダーナは合意に至った。


 数百年のあいだに、かつての惨劇は人々の記憶からは消えていった。ディアンの森の奥に住む魔女のはなしは、昔話の類のひとつとなっている。


 だが、三つの国の王族は彼女との約束を怠ることなく、密やかな関係を今でも続けているのだ。



 そしてとうとうある日、魔女ダーナが森の外へ出た。

 八十年ぶりに彼女は弟子を取ることにして、王国の中心部へと向かう。ダーナが選んだのは、リルの住むベルン王国だった。



 ✳︎✳︎


 リルは茂みのなかから、そっと顔を顔を覗かせあたりを窺う。魔獣の気配をつかもうと、ごくんと唾を呑み込んだ。


 もう追ってこないだろうか。ダーナ様は魔獣除けのおまじないをかけてくれている。けれどもだからって目の前の食べ物(人間)をみすみす逃してくれるかはわからない。


 水辺でぱしゃぱしゃ音を立て、牙をむいて敵意を剥き出していた獣の様子を思い出して、リルはぶるっと身を震わせた。


 やっぱりダーナさまみたいにはなれない。わたしじゃあ魔獣を倒せない。魔力なんかないもの。


 彼女は唇を噛みしめる。


 このまま逃げ切れるかな。本当はもうちょっと石を集めたかったけど、今日はもう帰った方がいいかもしれない。



 彼女はお守りがわりに火の魔石を取り出し握りしめて、身を低くしながらそうっと茂みから四つん這いになって這い出ようとした。


「おい」

「ぎゃ……っ……むぅ…」


 もうダメだ。別のに見つかっちゃった。


 口を塞ぐごつごつした手の感触に目の前が真っ赤にぱちぱちと染まる。お師匠さまに内緒で、戸棚に隠していたリンゴの焼き菓子がなぜか頭に浮かんできた。


 あれ、ぜんぶ食べちゃえばよかった……!どうしてなんで、こんなことに…。


 むぅむぅっと音にならない叫び声をあげつつ闇雲にばたばたと手を動かす。驚きと、恐怖と、いろんな感情が湧いてきて、目の淵から涙が盛り上がってくる。せめてこいつに魔石をぶつけられるかしら。


「今は動くな。アレに見つかるぞ」


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