プロローグ 三人だけの舞踏会1
絶対に、見つかったらダメ。
王冠型のシャンデリアから垂れるいくつもの煌めく水晶。蝋燭の炎が揺れるたびに、艶のある床に無数の光が散らばって、美しく着飾り集まった人々を華やかに照らしていた。
大陸にいくつもある小国の一つ、ベルン王国。ディモン王の宮殿広間では今宵、国内だけでなく近隣の同盟諸国からも賓客を招待しての盛大な舞踏会が開かれていた。
楽団の奏でる軽やかな音楽が流れるなか、一人の少女が貴族や王族など大人たちの楽しげな様子を眺めていた。壁際に近い場所で目立たぬように立ち、豪華なドレスや礼装が入り乱れ軽やかにステップを踏む男女をきらきらとした瞳でしばらく見つめている。やがて彼女は小さくため息をついた。
やっぱり、お部屋でじっとしておけばよかったかな。
姉様や兄様はみな、この日のためにあつらえた素敵な衣装なのに。なんでわたしだけ。
わたしだけ。いつもと変わらないドレス。
第四王女、リルシーユは俯いて自分のドレスを見下ろす。そう、彼女は舞踏会の主催国、ベルンの王女でありながら今夜の宴には参加できなかった。だから彼女は、こっそりと自分の部屋を抜け出してきたのだ。少しおてんばなところのある王女にとって、誰かに見咎められずに城を歩き回るのはお手の物だった。
彼女がすばしこいからだけでなく、数多い兄妹の下の方のせいもある。リルシーユには自由があった。
すこしだけ、見るだけなら大丈夫。見つかったってきっとそんなに怒られないわ。だってお父様は最近わたしにとてもとても、優しいもの。彼女は今朝の会話を思い出した。
「リル、リルや。わかっておくれ。お前は今夜の舞踏会には出られないんだよ」
「いやよ。お父様!わたしだって出たい。この前、とても綺麗に髪をゆってもらったの。あれに真珠の髪飾りをつけて出たいの!」
「お前は十四だ。だから、まだアレに出るには少し早い……。隣国からも王族や貴族が来るんだ。もし、変なのに出会ったりでもしたら……それに」
それに、お前はもうすぐ城を出なければいけないのだから。
父王ディモンは髭を震わせて顔を歪め、目の前の愛しい娘を見つめる。まだ幼さの残るふっくらとした頬を思いっきり膨らませ、リルシーユは青い瞳にじわりと涙を浮かべた。
「だから、少しでも楽しい思い出を作りたいのに」
「リル……」
彼は王女の額にかかる栗色の髪をそっと整えてやった。
その時はリルシーユも父の言いつけを守ろうとしたものの、やはり我慢できずに自室から抜け出てきたのだった。
父王の言うように、王女がここで過ごす時間は残り少ない。
十五の誕生日を迎えたその足で、彼女はこの城を出てゆかなければならないからだ。生まれながら決まっている婚約者の元、などではなく、森の魔女の館へ。
ディアンの森の魔女、ダーナの弟子になるために。
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軽やかな演奏は、やがて流れるようなゆったりとした三拍子のリズムを刻み始める。ワルツが始まった。この宴の開催期間に生まれたであろう幾つもの恋心が、宮殿の広間からふわふわと浮きあがる。柔らかな雰囲気に包まれだした空間に背を向け、リルシーユはそっと自室へと向かった。
硬い表情のまま、彼女は逃げるようにして中庭へと向かう。自室のある棟へと向かう石畳の渡り廊下はひんやりと静かだ。使用人も護衛の騎士もみな主に中央にいるため、慣れ親しんだ通路もいつもよりも薄暗く、冷たささえ感じる。
足早に通り過ぎようとしたリルシーユの視界の端に、白く輝くなにかが映った。思わず立ち止まる。
月明かりに照らされた中庭で、白薔薇が輝いていた。何株も並び咲き、夜の闇にひときわ澄んで浮かんでいるように見える。
「きれい。とってもキレイ….」
月光を受け止め、眩く輝く薔薇たち。濡れたような白い花びらは無垢な天使の羽のようだ。そっと手を触れて、リルシーユは唇を噛み締めた。見上げた空には、星がいくつも瞬いている。夜空を突き上げるようにそびえ立つ城の上で、月が煌々と輝いていた。
「こんなふうにお城を見ることは、もうないかもしれない」
まだ幼い王女は湧き上がってくる涙を堪えるように、ドレスの裾をギュッと掴んだ。行きたくない。魔女の森になんて。
侍女たちはこの話になると決まって、
「リルシーユさま!魔女の弟子は数年間で交代になります。あっという間ですよ」
「ダーナはとても美しい宝石を作るんですって。館もそれは綺麗なところにあるそうですよ!」
そう言って王女を慰める。けれども十四の彼女にとって数年というのは永遠と同じだった。それにもし、ダーナが彼女を城に返してくれなかったら?なにか呪いをかけられてしまったら?
リルシーユは恐ろしい想像に足元がぐらつくのを感じた。深い森で魔女の見習いをするなど、なにかの罰としか思えなかった。
こんなに綺麗な薔薇のお庭がダーナの森にあるわけない。行きたくない。どうしたらいいのだろう。
リルシーユは途方に暮れて、輝く庭を見つめていた。
「どうしたの?気分が悪くなってしまいましたか?」