十 むせ返るような花の香りの中、闘いは始まった
「出た、黒菊四天王!! あとの三人は会うたし、つまりアンタが最後のひとりやな!」
「おや、どうしてそう思うのかな? 新世界派に私の情報はまだ何も漏れていなかったはずだが」
桜色の髪を揺らした派手な男は虎丸の声に気づき、意外そうに肩をすくめる。聞き返してきたものの、その態度は非常に鷹揚だ。
誤魔化したり隠すつもりは微塵もない、といった余裕が感じられる。
「え、だって変人っぽいし……」
「ふふ、特別ということかな」
「捉え方が前向き!!」
この男と会話を始めたせいで、虎丸まで数十人もの女子の輪と舞い散る薔薇に囲まれるはめになってしまった。
なんともきらびやかで非現実的、さながら舞台に立たされているような気分である。
「明るい茶髪に関西弁……。きみが噂の大阪から来た編集者くんだね。よろしく頼むよ」
「あ、はい。どうも~? 噂になっとるなんて、照れますわぁ」
「きみも大概前向きだな。周姉から聞いたとおりだよ。面白い子だ」
握手を求められ、仕草があまりに自然だったのでつい握り返す。一体何をよろしくするのかは不明だが、見た目ほど話が通じないわけでもなさそうだ。
虎丸は仲間内で唯一四天王全員と顔を合わせているので、金木憂や名刃里獏と比べればよけいまともに見えるのだった。
しかし、油断は禁物だ。
名乗ってもいないのに虎丸が何者か知っていた。そのうえ、声をかけられてもまったく動揺していない。つまり、ここに虎丸たちがいることは最初から把握しており、あちらが追ってきたのだ。警戒を怠ってはならない。
そう、わかってはいるのだが──相手が友好的に見えると、つい普通に会話をしてしまうのが虎丸の性分である。
「あの~、その黒眼鏡、オレが知らへんだけでモダンな人らの間で流行っとるん?」
「ああ、顔も見せず失礼。舶来品の遮光レンズだが、これがないと日常生活がままならないからつけているだけだよ。いつでも婦人たちに囲まれて、道も歩けないのでね」
「そ、そうですか……」
すぐ横で睨みつけてくる藤が怖いので握られた手をそっと離すと、ピンク頭の男は口の端を上品にあげて笑い、流れるような動きでスチャッと眼鏡をはずした。
「……しのぶ様が! お眼鏡を!」
「しのぶ様のご尊顔!!」
「嗚呼……日本一美しい……」
女生徒たちによる、本日一番の黄色い声が渦巻く。まるで巨大な滝が突然目の前に出現したかのような轟音だ。ちなみに最後に聴こえた低い声は藤のものである。
薔薇乱舞の中、『しのぶ様』のご尊顔が白日の下にさらされる。
現れたその顔は──不自然なくらいに整っていた。
桜色の髪に負けないはっきりとした目鼻立ち。眼力が非常に強く、きりっとした眉。優雅な曲線を描く細い顎、均一になめらかな肌。
虎丸がこれまで出会った男の中でも幼馴染の拓海は飛び抜けた美丈夫だが、隣に並べても優劣がないほどの美男である。溢れすぎている存在感に若干引き気味の虎丸でさえ、薔薇の貴公子とでも呼びたくなるほどだ。
年の頃は二十代後半くらい。まだ拓海からは感じられない大人の落ち着きと色気もある。
が、しかし。
醸し出している色気というのが、どこか異質なのだ。中性的のようで、わざとらしく凛々しい。だが、そこが妙に艶っぽい。
──うーん、たしかにめちゃくちゃ美男やけど……。なーんか現実味がないっちゅうか、作り物ぽいっちゅうか、違和感ある……。奇抜な髪色のせいなんかなぁ。
男の顔をじろじろと見ながら思案に暮れていると、遅れてやってきた十里が虎丸の背後で突然声をあげた。
「あっ、すごい。『天津風しのぶ』だ! なんでこんなところにいるんだろ。女学校に営業回りでもしてるのかな~?」
「わ、びっくりした。急に話しかけんといでくださいよ。ジュリィさん、あのピンクの人と知り合いなんですか?」
そう聞いた虎丸に、十里は目を丸くして驚いている。
「え~、うそ! 虎丸くん、知らないの!? 今日本で一番婦女子に人気のある舞台俳優だよ? 歌も踊りも演技も一流の『天つ風歌劇団』の団長だよ? 自ら舞台に立つだけじゃなくて、『天津風偲』名義で脚本も兼任しててね。画報に婦人雑誌にひっぱりだこの、そりゃあもう大スタァなんだから。紅も追っかけしてるしさ~」
「へえぇ……」
十里の説明を聞いて、女生徒たちがこれほど熱狂的な声援を送っている理由にようやく合点がいった。一般人ではなく舞台俳優なのであれば、この凄まじい騒がれかたも頷けるというものだ。
そして、少女歌劇やキネマ俳優が大好きでミーハーな紅が追っかけをしているのも納得である。
女子に縁のない虎丸でさえ、『天つ風歌劇団』という名は聞いたことがある。
格調高い西洋のオペラよりも親しみやすく大衆向けの、レヴュウという舞台で評判の劇団だ。近頃、帝都で婦女子を中心に絶大な人気を得ているらしい。
十里は納得した様子で、首を振って頷いている。
「そっか~、最後の四天王は劇作家だったんだ。道理で調べても簡単に出てこなかったはずだよ。小説家以外ノォタッチだったからね~。でも、あの大スタァが吉原遊廓生まれの孤児だったなんて意外だなぁ」
感慨深そうにしている十里をよそに、虎丸はまたしてもあさっての考え事をしている。
「あー、これはあかんな。劇作家がこんだけ騒がれるなら、地位より見た目の勝ちや。上流階級といえども若い娘やし、拓海が小説家でも浮浪者でも関係なくモテるんやろなぁ。てか、よう考えてみたらそもそもあいつ帝大生でしかも医科やん。地位的にも申し分なかったやん。腹立つ~」
「ひとりで何の話をしてるんだ、お前は」
いつの間にか拓海も隣にいて、虎丸が引きずっていた「モテるためには見た目と地位どちらが大事なのか問題」につっこみをいれる。
男前な幼馴染の顔とあらためて見比べてみると、やはり何かが違うと虎丸は首を横にひねった。
「うーん。しのぶ様、めちゃ美男やけど……やっぱりちょっと違和感ある気がするのはオレの嫉妬なんかな?」
「虎丸くん、ほんとに全然知らないんだ……。だって『天津風しのぶ』は男装の麗人だもん。男役も全員女性のみで構成された劇団なんだよ。そういう趣向が世の婦女子に大ウケしてるってわけ」
十里の言葉に、今度は虎丸が目を丸くして驚いた。
「えっ!? つまり……女の人ってこと!?」
ずっと抱いていた違和感の正体がようやくわかった。
作られた顔立ちのように感じたのは、整った目鼻を強調した男装のための特殊な舞台用化粧のせいだったのだ。
虎丸より高い背丈も、ハイヒールのブーツを脱げば実際はもう少し低そうだ。
「あ~、そういうことかぁ。言われてみたら、肩とか体の線が男にしてはかなり華奢やな」
「『診察』完了。たしかに女だな」
そうつぶやいた拓海のこめかみあたりには、よく見ると小さく『診察』の文字が書かれている。
「は……? 拓海、なんて?」
「文字の付与で常時発動する俺の固有能力だ。病気、怪我の有無はもちろん、他人の人体構造が視える」
「え、なんそれ!? おまえの能力やらしない!?」
「たかが人体に厭らしいも何もない。一応確認しただけだ。普通に見ただけでも、喉仏が出ていないから女だとわかるだろう」
「わからん! でも、女の人の恰好したらそれはそれでめっちゃ美人そうよな、しのぶ様……」
青年たちの会話を聞いていた『天津風しのぶ』は、ふっと笑って言った。
「性別なんて、他人から見ただけの記号だよ。どちらでもいいと思わないか? 人間はもっと自由だ。生まれつき自由を享受していたきみたちにはわからないかもしれないが」
今まで友好的だったその瞳にわずかな敵意を感じ、虎丸は身構えた。
「……で、なんやねん。オレらの目的を邪魔しに来たんか?」
「目的? そんなものはどうでもいいさ。きみたちがなぜこの女学校にやってきたかまでは把握していないしね」
本当にどうでもよさそうに、しのぶは顔を左右に振った。
「大阪できみたちと闘った怪奇文学作家・古城周を覚えているだろう。周姉は子供の頃に色街の置屋で死にかけていた私を拾ってくれた恩人でね。でも、きみたちのことを随分とお気に入りのようで、ひたすら腹が立つんだ」
「え、そんな……私怨な感じで現れたん? しかも言いがかりとちゃう!?」
虎丸たちはおみつを助けるためにここまでやってきたのだ。絶対に邪魔をされるわけにはいかない──そう気を引き締めたというのに、敵の目的はほとんど難癖である。
「虎丸くん、誰かにモテてたの? よかったねぇ~☆」
「誰かって、オカマやけど……。なあ、しのぶ様。たぶんオレよりこっちのヤツのほうが気に入られとったで? ほら、うちの拓様男前やろ?」
「いつも妬んでいるくせに、都合よく俺を売るな。バカ丸」
わちゃわちゃと言い合いをしている虎丸たちを無視して──。
しのぶは一旦襟元を緩めると、まるでオーケストラの指揮者のように優雅に両手をあげた。
その美しい手には筆記用具など見当たらない。だが、空気で伝わってくる。
戦闘開始の合図だ。
開いた襟元の真ん中、鎖骨の間に黒い薔薇の刻印が覗いていた。
「さあ、小手調べだ。周姉さえ魅了したきみたちの力、見せてもらおうか」
「あ、やっぱり話は通じへんのやな。人がぎょうさんおる中で、あーもう!!」
「虎丸、敵の言葉を鵜呑みにするなよ。別の目的があるかもしれない。よく見極めろ」
「わーっとるわ、拓海ィ! 行くで!」
女生徒に囲まれた輪の中で、虎丸、十里、拓海の三人はそれぞれ武器とペンを持ち、構えた。




