八 秘められし少女たちの花園
五年前におみつが通っていた、東京市小石川区の高等女学校。
正門は、虎丸の背丈と比べてもゆうに倍以上の高さがあった。そのうえ、門の上部には木の先端を尖らせた忍び返しが突きだしている。
男子しかいない高等学校に比べれば警備ははるかに厳重。まさに閉ざされし秘密の花園といった淫靡な空気が漂っている。
無論、後者は男子の虎丸から見た印象というだけである。
女性教育の現状を取材する名目で女学校にやってきたのは三人の青年。
虎丸、拓海、十里が並んで門の前に立っていた。
「なんか、めっちゃええ匂いする……。女子しかおらへんってだけでええ匂いするような気ィせえへん?」
「校内の生垣に咲いている薔薇の香りが漂っているだけだ。俺は女しかいないと思うと頭痛がしてくるが」
「この警備じゃさりげない侵入は絶対無理だったねぇ。虎丸くんのせいで危うく、女装姿のまま忍び返しに刺さって人生を終えるところだったよ~。そんな死に方したら仏蘭西にいるママンに顔向けできないや」
全員虎丸が勤めるナンバ出版の社員という設定なので、ラウンジスーツ、帽子、黒マントの定番サラリーマンスタイル──のはずだったが、あとのふたりは少々様子がおかしい。
「拓海、なんやねんその黒い眼鏡」
「衣装部屋にあったんだ。女生徒避けに借りてきた」
「女子を虫みたいにゆうな!」
「ね~、僕は? 記者っぽい?」
「いやぁ、うさんくさい。ジュリィさんは結婚詐欺とかしてそうですわぁ」
一応本物の勤め人である虎丸はいつもと変わらない。
しかし、十里は金縁のロイド眼鏡をかけ、香油で気障なオールバックに整えて山高帽を被っている。銀座を闊歩しているモダンな男たちの間で流行しているファッションで、会社員には到底見えないのだった。
拓海は拓海で、顔を隠すために墨色のレンズがはまった舶来物の眼鏡を装着していた。
場所が女学校でなくとも、ただただ怪しい三人組である。
「まあええか。女装よりはなんぼかマシやろ」
「その女装はお前がやらせたのを忘れたのか」
「もう時効! ほな、行くで!」
警備員に社名を伝え、許可を得て正門をくぐる。
校内に足を踏み入れると、圧巻なほど女性しかいない景色が広がっていた。
電話で申し込みをした際に少し話した学長も女史だったが、教師も全員が女性だ。袴をひるがえし、颯爽と歩いている。男といえば警備員と花の手入れをしている用務員くらいのものである。
ちょうど昼休み時間で生徒たちも校庭に出てきていた。
東西南北どこを見渡しても、女子のみ。まさに女子の花園である。
「こ、これは壮観……。嬉しいの飛び越して、圧倒されるわぁ……。男はちょっと場違いで心細いっちゅうか」
写真でおみつが着ていたのは式服なのでデザインは異なるが、女学生たちは紫色で統一された制服を着用していた。十里が言っていたように、この高貴な色の女袴こそ彼女たちが『小石川の紫衛門』と呼ばれる所以であり、流行歌で唄われていたほど世間には風流として映っているのだ。
「背なに垂れたる黒髪に、挿したるリボンがヒーラヒラ、紫袴がサーラサラ、春の胡蝶のたわむれか、って歌のまんまやなぁ」
ヘアースタイルは後ろ髪を下ろし、前髪を膨らませた『束髪くずし』が定番だ。
そして、ほとんどの女子が大きめのリボンを頭に飾っている。
おみつは母親から入学祝いに贈られたというリボンを、特別な物として大事にしていた。華やかな彼女たちを眺めていると、理由が虎丸にも少し理解できたような気がする。
ただ綺麗だというだけではない。女学生の象徴のようなその髪飾りが、引っ込み思案な少女にとって憧れの同級生たちと自分を細く繋いでいたのだ。
だが、ずっと仕舞われていたリボンは、生きている間に飾られることはなかった。
「茜とデエトのときつけたんが初めてやって言うてたな。おみつちゃんは、嬉しかったやろなぁ……」
しんみりしていても進まない。コホンと咳払いをして、仲間に計画を伝える。
「んじゃ、ちょうど休み時間みたいやし適当に話しかけてな。平塚らいてう女史の『新しい女』の思想と、婦人解放運動が女学校の授業に実際どんなふうに影響あったと思うかってアンケヱトやねん。ここまでが取材の内容。そんで、さりげなくおみつちゃんのことを聞いてほしい。午後の予鈴が鳴ったら校門付近集合で!」
「は~い、まかせて~☆」
「話しかけるのか……。気は進まないがしかたないな」
時間が少ないので各自わかれ、校庭のいろんな場所に散っている女学生たちへの取材が始まった。
***
「お嬢さんら、ちょっとかまへんかな?」
虎丸はさっそく、木の下でおしゃべりに興じていたグループに声をかけた。
取材自体は通達があったらしく、驚きはしなかったが皆揃って恥ずかしそうにうつむいている。なにしろ皇族も通う超お嬢様学校である。下級生であればまだ歳の頃も十二~十四ほどの少女たちで、男慣れなどしているはずもないのだ。
フェイクの質問──といってもあとで記事にしなければならないので手を抜くわけにはいかないのだが、いくつか女性教育について聞いたあと、おみつに近い話題をさりげなく混ぜた。
「この学校に帝室技芸員の娘はいるか、ですって? さあ、あたくしは聞いたことありませんけど……。でも、その程度のお家柄はここでは下のほうなのではないかしら」
「わたくしも知りませんわ。うちは、華族以外の学友とは話をしてはいけない方針ですから。帝室の任命といいましても、芸術家は印象が悪いったらないわ」
「ふふ、随分な言い方ねぇ」
顔を寄せ合い、手で口元を隠してくすくすと上品な仕草で笑っている。
話し方こそ今時の若い娘という感じだが、虎丸にはまるっきり縁のなかった深窓のご令嬢たちだ。
──上流階級のお嬢様方、こわぁ……。
超庶民のオレなんかが話しかけて、生ゴミみたいに思われとるんちゃうかな。
などと被害妄想までわいてくる始末である。
と、そのとき。
彼女らのクラスメイトらしい女生徒がひとり、あわてて走ってきた。
「ねえ、あちらに素敵な殿方がいらしてるんですって。ふたりも!」
その言葉を聞いた途端、ワッと姦しい声があがり、怒涛の女学生言葉が飛び交う。
「独身男性かしら?」
「もちろんよ、若いもの。大学生くらい。でも冷たそうな感じよ」
「いいわね、そういう殿方って惹かれませんこと?」
「やだぁ、アブノォマル!」
「もうひとりいるんでしょ? そちらは?」
「異人さんよ。すごく背丈が高いの。金の髪で、まるで外国の画報に載っている俳優さんみたいだったわ。手を振ると投げチッスを返してくださるのよ」
「素敵、見に行かなきゃ! そこ通していただける? では、ごめん遊ばせ」
虎丸が固まっているうちに、彼女らは嵐のように去っていった。
「あ、あれー??」
ひとり取り残され、メモ帳とペンを握りしめたまま──。
呆然と、少女たちの後頭部に揺れるリボンを見送るのだった。
「……もーええわ、女子は拓海とジュリィさんにまかせよ。どーせオレなんかオレですよ」
卑屈な独り言を漏らしながら、虎丸は生け垣の薔薇を手入れしている用務員に近づいた。
「すんませーん、ちょっとお話ええですかー?」
「はいよ」
剪定の手を止めて振り返った男は、かなりの高齢だった。
この人ならば五年前のことも何か知っているかもしれない、と虎丸は期待を寄せる。
「これはこれは、見事ですねぇ。もう冬になるのにまだ咲くんやなぁ。やっぱあれですか、絵画とか彫刻とか人形とかも好きなんですか、庭師の方は」
不自然な流れの質問だが、虎丸としてはさりげないつもりだ。
おべっかを抜きにしても、四季咲きの薔薇は素晴らしく色鮮やかに花開いていた。
「まあ、嫌いじゃないな」
「なるほどなるほど。ほんで、この女学校にも芸術とか伝統工芸の家系の子とかおるんです?」
「いることにはいる。だが、もとより上流階級でたまたま芸術を嗜む者がいるという程度だ。文士ほどではないが、芸術家の地位も皇族や華族からすれば高くないからな」
そうなんですねぇと相槌を打ちながら、仲間とは思えない嫉妬に満ちた思考が虎丸の頭によぎる。
──まあ庶民のあいだでも、小説家はロクデナシ扱いやしなぁ。
拓海のやつ、正体がバレてたまには女学生から冷たくされたらええのに。
作家の世間体の悪さと拓海の見た目、いったいどちらが強いのか。
知りたい気はするが、今はそんなことを考えている場合でもない。
虎丸があさっての妄想をしているうちに、庭師は何かを思い出したらしい。泥のついた軍手をはずしながらぽつりぽつりと語りだした。
「ああ、伝統工芸といえば……」
「おっ、なんです!?」
「何年前だったか、人形師の家の子がいたような……。華族ではなかったが、帝室技芸員の娘でね。でも、本人はご令嬢たちに囲まれて居心地が悪いと言っていたな。性格も随分おとなしい子で、休み時間はこのあたりでよく花を眺めていたよ」
「おじさん! その子の話、もっと詳しく──」
と、聞きだそうとしたときである。
校舎のほうから、大合唱でもしているかのような大人数の黄色い声が風とともに届いた。
「な、なんやぁ……。女子のすごい歓声……。あれか、拓様が黒眼鏡でもはずしたんかな? だとしたらもはやモテすぎておもろいな、あいつ」
拓海がモテているだけなら問題はない。だが、あまりに騒がしいのでトラブルの可能性もある。
庭師の老人は放課後までいるというので、また戻ってくると言い残し──。
虎丸は、歓声が鳴りやまない方角へと向かったのだった。




