三 少女の生きた証、遺した欠片をさがしに
普段から自然と住人が集まる、ステンドグラスの内装が美しいタカオ邸の食堂。
妙といえば妙に違いない組み合わせのふたりが、なにやら深刻めいて話をしている。
「ふむふむ。ほんで、生き返ってから隠れ家としてこの洋館を与えたと。だめですよ、成人してるんですから甘やかしたら。息子さん引きこもりになってしもたやないですか」
訳知り顔で説教しているのは大阪からやってきた編集者・虎丸。
隣で美しく足を揃えて座り、神妙な顔で頷いている女性──彼女は洋館の主人で、八雲の母親でもある阿比だ。
その様子を、仏蘭西人ハーフの青年・十里はポカンと口を半開きにして眺めていた。話題の当人、幻想文学作家の八雲はテーブルの上に煙草盆を広げ、煙管の手入れをしている。
「なんだろう、あの……ごく普通の子育て相談みたいなノリは。虎丸くんはやっぱり面白い子だねぇ」
「親と担任教師が目の前で面談しているような気分です。私はどういう心持ちで聞いていればいいのでしょうか」
八雲はマッチ棒で火皿の灰を掻き出しており、手元から視線を離さない。口で言うほど興味はなさそうだ。
虎丸と阿比が壁際のソファ、十里と八雲が食事用の長テーブルの席についている。場所は少し離れているが、双方の会話は丸聞こえである。にも関わらず八雲は、自分についての相談話を堂々とされているのだった。
「そうだねぇ。じゃあ、主に心配かけないように、脱引きこもりと自立を目指そう! バカ売れする小説を狙って書けばいいんだ。部長ならやればできるよ。黒菊四天王に売上で勝とうよ~」
「それは無理です」
青年作家の口振りはあっさりと軽いが、今度はあながち冗談でもない。
黒菊四天王は一見奇人変人ばかりだが、選り抜きが非常に厳しいことで有名な大作家・本郷真虎の門下生だ。
彼ら自身の実力の高さもさることながら、本郷真虎は文壇で最高の権力を持っている。そのため出版社や新聞社、広告屋が自然と注目して持て囃すのである。
いくら八雲が過去に有名であったとしても、世間的には故人となった伊志川化鳥の名も、九社花財閥嫡男の肩書きももう使うことはできない。
人気作家揃いの黒菊四天王に、無名の新世界派が売上で勝つのは至難の業なのだ。
「ちょっとちょっと、八雲さん。最初っから諦めんといてくださいよ。そこは頑張って下剋上目指すとこちゃいますのん? オレは新世界派を売れっ子にするのが将来の目標なんですよ!」
と、今まで阿比と話し込んでいたはずの虎丸が口を挟んでくる。
しかし、八雲は眉ひとつ動かさない。
「売れる必要がありますか。目立てば本来の目的のために動きにくいので、無名のままでいいです」
「あかん、引きこもる気ィ満々や」
女主人・阿比がソファからすっと上品に立ち上がり、息子である八雲に声をかけた。
八雲と虎丸が金沢から帰ってきた日はひどく狼狽していたが、すでに化鳥がいないことを知ってからは、以前のような優雅さと冷静さを取り戻している。
「わたくしの可愛い八雲。もし長い髪が邪魔なのでしたら、切ってあげますわよ。白玉に頼んで書き換えてもらってもいいのだけど、今日は地下から出てきていませんし、切るほうが早いですから」
「風呂のあと乾かすのが手間なくらいで、私自身はどちらでも構わないのですが──。何故だかいまだ皆と若干の距離を感じるのは髪のせいだという気がするので、よかったらお願いします」
腰まで流れる長い髪は、どうしたって化鳥を思い起こさせる。
激情の男に入れ替わった原因はまだ判明していないが、八雲とのあまりの変わりように仲間たちは少々トラウマを抱えたのである。
髪を切るため、八雲は阿比について食堂を出ていった。
後姿を見送ってから、虎丸は独り言に近い呟きを十里に漏らした。
「あの親子が二人きりでおるの、そういや今まで一度も見たことあらへんかったなー」
「気まずかったんじゃない~。いくら表面を取り繕ってもさ、遅かれ早かれこないだみたいに綻びが出たと思うよ。でも、曖昧なまま可愛がられてたから、五年越しに本音がわかって八雲部長もむしろほっとしたかもよ」
生前の化鳥とともにいた母親の阿比、叔父の藍。対して、今いる八雲しか知らない仲間たち。
夭折の天才作家に感情を戻して完全復活させるという目的を同じくしていても、どうしたって気持ちにずれが生じる。
阿比が求めているのは──本当に蘇らせたかったのは、八雲ではなく化鳥だ。「八雲じゃない」と、彼女ははっきり言った。
入水するまで十九年も化鳥として生きていたのだから、それはしかたがない。
そう言って十里は紅茶のカップを傾け、金色に透けるまつ毛を伏せた。
「僕が部長を止めたい理由だってね、わりあい自分勝手な都合なのさ。部長自身が完成を望んでる未完の遺作なんて、僕にとってはどうでもいいからなんだよ。あの人が八雲部長のままでいてくれるなら、僕はそれでいい。伊志川化鳥じゃなく、ね」
「ジュリィさんは、ほんまに仲間のこと好きですよね」
「うん、みんなのこと大好きなんだ。だからもう誰にもいなくなってほしくないし、不幸せになってほしくない。友が今のまま変わらずここにいてくれることを、僕は願っているよ」
お茶を飲み干して、少しの沈黙のあと──。
十里は咳払いをし、さりげなく周囲を窺って声量を下げた。
「──それで、例の作戦には誰を連れて行こうか? あまり大人数だと目立つから、僕と虎丸くんと、あと一名ってところかな」
例の作戦、と持って回った言い方で虎丸に耳打ちをする。
「んー、せやなぁ。闘うよりは、侵入が目的なんで。誰が適任なんやろ」
「まったく気づかれずに遂行するのは難しいかもしれない。いつも僕たちが動けば、向こうも動くからさ」
「こっちの行動が筒抜けとるってことですか?」
「前に話した裏切り者の可能性は考えたくないけれど、警戒はしておいたほうがいい。四天王の残り一人……予言のような力がある操觚者の正体もまだわかんないし。例外で売れっ子じゃないのかな~」
それとさ、と十里は言葉を続ける。
「あっちは揺さぶりをかけてくる奴が多い。白玉が倒したゴロツキたちの原稿用紙をわざわざ燃やしたり、八雲部長に毒蛇をけしかけて紅を脅したり、大阪でだって部長たちを捕まえたってわざわざきみに教えたりしたんだろう? 誰かが裏切るって予言の話だって脅しだもんね」
「変態集団のうえに嫌なヤツ多いんやな~?」
「ね~? 今回は僕らから動くんだし、精神攻撃にはあらかじめ備えないとね~。さあ、誰を連れて行こうか?」
十里の説明を聞いた虎丸は、間髪いれず答えた。
「んじゃ、拓海で」
「わー、即答。すごい信頼だね」
「え、だって、あいつ並大抵の精神攻撃じゃ動じへん鋼メンタルですよ。柔軟性はゼロやけど」
「たしかに、拓海の冷静さは想定外のことが起こったときにも助かる。じゃあ、僕、虎丸くん、拓海の三人で決行だね~」
「うし、決定!」
虎丸は気合をいれるため、片方の手のひらにぱしっと拳をぶつける。
「ちなみに精神面では適任かもしれないけど、能力のバランス的にはそんなでもないよ~。僕らの固有能力はどちらも補助系だからね。拓海は怪我や病気の治療、僕は情報処理。戦闘特化タイプとの単純な殴り合いになったら正直厳しいなぁ」
「そういうのは決める前に言うてください!」
「ごめんごめん。どっちにしろ、他の面子は連れて行けないんだ。八雲部長は先の拒否反応があったばかりで怖いし、紅は最近弱ってる感じ。藍ちゃんが洋館を離れると敵に襲撃される恐れがある。上手くいかなかったときのことを考えると、白玉、茜には隠しておきたい」
仲間想いの十里らしく、真剣な顔で悩んでいる。が、虎丸と目を合わせると目尻をほわっと下げて笑った。
「ま、虎丸くんなら何があってもどうにかすると信じてるよ。なんてったって、無人島に連れて行きたい系男子一位だからね!」
「前もどっかで聞いたな、それ……。いったいどこの統計なんですか」
「僕がタカオ邸住人全員に聞いた、満場一致の結果だよ」
「満場一致て。いや、でも待てよ……。無人島に連れて行きたいってことは、それはつまり紅ちゃんやおみつちゃんや阿比さんまでもがオレと無人島でふたりきりになりたいってこと……? 遠回しな愛の告白やん……! ついにモテ期到来!?」
「いやぁ、無人島に連れてってどのくらい生き延びるか放置してみたい系男子の略だね」
「悪意しかないアンケヱト取らんでくださいよ!?」
椅子から立ち上がり、士気を鼓舞するために腕を高くあげて互いの手を叩く。
「よし。じゃ、拓海にも声をかけようか。ちょっと決め手に欠ける作戦内容だから、みんなには内緒にしとこう。特に白玉には……あまり期待を持たせたくないんだ」
「大丈夫ですよ。八雲さんのことだってちゃんと助けられたし、オレに任せといてください! ほな、名づけて『おみつちゃんの痕跡を探す大作戦』開始!!」




