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五 青年は守るために

──『恋慕』の操觚者(そうこしゃ)、千代田紅の名において命ずる。朱雀の(つるぎ)よ、美しき女の姿を借りた妄執を滅せ。



 虚空に字を書き、呪文のような言葉を唱えると、(コウ)の持つ薙刀の炎の勢いが増した。空気があきらかに変わる。

 今にも火の鳥の幻影が浮かんできそうな神々しさだった。



『滅せ』



 紅が書きおこしたのは、非常に強く強制的な命令の言葉だ。


「おれは他の部員と違って叩っ斬るしか能がねーからな、最大放出だ。一、二撃しかもたねーぞ。虎丸、後ろはまかす!」


 虎丸にそう告げ、ほとんど力任せに大蜘蛛の足を数本まとめて吹っ飛ばした。切断面から溢れた黒い文字は二度と本体に戻ることなく、空中で霧散してそのまま消えていく。文字通りの『消滅』である。


「よっしゃ、まかされたぁ! アンタの相手はオレや!」


 娘の背後に忍び寄る影。


 七高(しちたか)という名の男。自分の欲望のままに花魁を現世に現し、繋ぎ止めた男が、武器を紅に向かって振り上げている。

 だが、間に入った虎丸が偽銘の刻まれた文字の刀でそれを弾いた。


打刀(うちがたな)か。薙刀が相手では分が悪いんじゃないかな?」


 敵が言うように、通常は間合いの長いほうが有利だ。

 薙刀は重心が持ち手から遠いため、振り回せば破壊力が凄まじく倍増するうえ、足元を払われると刀では対抗できない。

 が、それは実力が同程度だった場合の話である。


「『モテ』の駆除者、本郷虎丸の名において命ずる! 滅せよ男前!!」


 でたらめな呪文を叫びながら、七高の懐に斬り込んだ。


 上段から刀を下ろすふりをすると、敵は咄嗟に薙刀を横に持ち替えて受けるための姿勢を取った。


 だが、フェイントだ。


 直前で斬るのを止め、相手の武器を持つ手から少し離れた場所を金づちで殴るようにして柄頭で叩き落とした。


 虎丸の狙いは初めから武器のほうだった。薙刀は重量もあり重心も離れているので、男の握力であっても弾かれれば握りしめてはいられない。

 武器を失った敵の鼻柱を峰で思いっきり殴る。七高は地面に膝から崩れ落ち、意識を失った。



「よし、滅却完了!」



 偽村正を掲げ、虎丸の勝利宣言である。


 顔を殴ったのは戦闘中の不可抗力か、あえてなのか。

 それはともかく、虎丸の実力がこれほどまでとは──と驚いたのは紅である。


「……オマエ、めちゃつえーんじゃん。なんで今までおれに踏まれっぱなしだったんだよ」

「女子には手ぇ出さへんのが流儀や……性別不詳やけど。いや、それより、オレの剣は守るための剣やねん。これ、どっちを言うたほうがかっこええかな?」

「決め台詞ブレブレかよ……」


 実を言うと、八雲が瞼に書いた『見集(みあつむ)』の恩恵を大いに受けていたのだ。戦国武将の伝説ではないのだから、普通の人間の目であれほど武器の動きを見切れるわけがない。

 格好をつけたいので黙っているが、地味な術に見えて動体視力の向上は抜群の効果だった。


 大蜘蛛と闘っている紅は、先ほどよりも少しは慎重になったようだ。避けられるときはちゃんと避けている。


「紅ちゃん、単純に防御が下手ってのもあるんやな……」


 これまで攻める闘い方しかしてこなかった弊害か、守りとなると動きがぎこちない。


「足多すぎて本体仕留めらんねー! 虎丸、減らしてくれ!」

「めっちゃこわいけど……りょーかいっ!」

「もういっこの『見隠(みかくす)』は、見たくないもんを見ないふりできる言葉だ。さっきみたいに使えよ」


 ありゃ、ばれてたか、と虎丸は舌を出す。

 瞼に書かれた言葉に意識を集中すると、不思議なことに恐怖がすっと消えていった。

 化け物が違った姿に見えるわけではない。おそらく恐怖そのものを見ないふりする、暗示のような効果なのだろう。


 頼まれるままに飛び込んでいって、走りながら数本の足を切断する。滅びの言葉が宿っていない虎丸の刀では完全な消滅はしないらしく、斬った箇所に文字が集まってすぐに生え替わろうとしていた。

 時間を稼ぐだけならこれでいい、と虎丸は次々に足を消して回った。


「どや!」

「よし、とどめだ。薙いでやるぜぇ!」


 炎の薙刀で胴体を一刀両断──。


 花魁が変容した蜘蛛は燃えながら、渦巻く文字とともに消滅した。

 あとには読み込まれた原稿用紙の束がぽつんと落ちていた。


「よし、じゃあ残った感情を回収するか」


 赤髪娘はおもむろに膝丈の袴をたくしあげ、太腿を露出した。片足の内側に『恋慕』と文字が刻まれている。

 昨晩見た八雲の刻印と同じだ。キラキラと光る感情の結晶が吸い込まれていく。


 性別不詳娘とはいえ見た目は女子なので、慣れていない虎丸はつい目の前の現象より白い肌に反応してしまう。


「ふ、ふとも、今度は丸出し!! ななななななんでそんな場所に!?」

「今度はって、いつ勝手に見たんだオマエ。鼻血出てるし。ここが一番目立たないしすぐ出せるからいーだろ」

「すぐ出せるって、そそんな過激な。八雲さんは手のひらやん?」

「八雲ぶちょーは引きこもりだから他人に見られねーもん」

「そうかぁ……」

 

 虎丸に同情的なまなざしを向けられた八雲は、気にもしていない様子で原稿用紙を拾いながら言った。


「『憎悪』が残っていれば私が回収しようと思っていましたが、朝雲にあったのは『恋慕』のみのようですね。虎丸君を善右衛門(ぜんえもん)と間違えて襲いかかってきたのは、この男の呪縛のせい──。彼女の意思に反した行動を取らせるほどの、激しい妄執を抱いていたようです」

「逆に考えりゃ、改変されて憎むように仕向けられたにも関わらず、朝雲の心は善右衛門を憎めなかった、ってことにならねー?」

「ええ、あなたの書いた朝雲はそれだけ強かったのですね」

「花魁は吉原最高位の遊女だからな。こんな男の思い通りになるほど安くねーんだよ」


 口調は変わらず強気だが、まがい物とはいえ自分の作りだした登場人物を葬った紅は少しだけ寂しそうだった。


 八雲は倒れている七高の顔に、インクで『覚醒』の文字を書く。


「う……」


 目覚めた男を見下ろして、八雲が冷たい声で言う。


「さて、七高さんとやら。私が聞きたいことはひとつです」


 前置きもなく、問い詰めた。


「あなたは操觚者ではない。花魁を形容化したのはあなたではありませんね。その力、文字を形容化する力を使用したのはどこの誰ですか? 仲間がいるのですか? そもそも、あなたは何者ですか?」

「ひとつっていくつやったっけ……」


 虎丸と八雲に殴られたせいで、男前はすっかり台無しだ。七高は負けたが、彼自身、そんなことはどうでもよさそうだった。


「ぼくは……願っただけだ。千代田紅の『あかねさす』を読んだとき、夢にまで見た相手を見つけたような気がした。だから必死で模倣してぼくだけの朝雲を書いたよ。小説の中の女ならば、ぼくを拒否することもない。自我を持たない理想の女なんだ」

「そ、それは朝雲が理想やったっていうより、思い通りになる女がええだけとちゃう……?」


 人間関係はままならないからこそ面白いのに、という楽観的な考えの虎丸には理解できない心情である。


「ある日、ついに願望が叶った。()()()()()()()が刻まれた男が現れ、ぼくの朝雲を現実にしてくれたんだ。願いと引き換えにこの村に潜入し、命令通りきみたちと接触する機会を待って──」


 と、掲げた七高の指先にも、印鑑ほどの大きさの黒い模様が滲んでいる。

 菊紋のような形だがいったいなんだろう、と虎丸が目を凝らしたそのとき。


 突然、紅が叫んだ。


「ふたりとも、危ない!!」


 娘に思いきり腕を引かれ、後ろに倒れそうになるのをどうにか堪えた。

 風を切る音が耳元を掠め、後方から放たれた矢が七高の首に突き刺さる。


「や、矢!? ぎゃー、絶対死んだ!! ど、どうしよ、人死に出したら大事件なるやん!?」


 慌てふためいてあわあわと両手を動かす虎丸を無視して、八雲は目を見開き、じっと七高を見つめている。

 そういえば血が出ていない。気づいた虎丸がよくよく観察すると、矢が刺さった男の喉元から文字がこぼれだした。この二日間で嫌というほど見た、黒くて小さな(うごめ)く文字だ。


「チッ、仲間か!?」


 赤髪娘は薙刀を構え直し、矢の飛んできた方向へ走っていく。


「紅、危険ですから深追いしないでください。わざわざ遠距離から口封じをしてきたのです。姿を見せる気はないでしょう」

「わかってる! そこらへん確認してくるだけ!」


 七高の全身は文字の集合体へと変わったあと、完全に消滅した。朝雲のときと同じように、跡形もなく消えたあとの地面には原稿用紙が落ちている。


「ええ、なんや……。この色男も、人間やなくて小説の登場人物やったってこと?」

「ふむ。存在しえない架空の美を求めるのは、非常に人間らしい業だと思いますがね。正体がわかるかもしれないので、家に帰ったら原稿を読んでみましょう。ここはもう薄暗い」


 そう言ってもうひとつの原稿用紙の束を拾い、着物の帯に挟んだ。


「敵の気配、一瞬で消えちまった。襲ってくる気はないっぽいし、もー帰ろうぜぇ。腹減った!」


 矢を射た者は見失ってしまったらしい。しばらくしてだるそうに歩きながら戻ってきた紅がぼやいた。



 ***



 山から出て、三人で村に戻る。

 虎丸は疲れたのもあり、呆けた顔で遠くを眺めながらふらふらと歩いていた。


 とりあえず解決したのだろうが、すっきりとしない。次々と起こる怪奇現象に頭がついていかないのである。


「虎丸君、ありがとうございます」

「へっ!?」


 静かに隣を歩いていた八雲に突然礼を言われ、虎丸は驚いて声をあげた。


「いやいや、感謝されるようなもんとちゃいますよ。この件は三食と引き換えに紅ちゃんの頼みを引き受けただけですし。タダ働きはせえへん主義ですけど、対価があれば話はべつなんで~」

「この件ではなくて、紅のことです。育った家庭の環境もありますが、常に闘いに身を置いていると麻痺するのでしょう。あの子は簡単に自分も他人も傷つける。私は、あまりそういうことを伝えるのが得意ではないですし、言う資格もありません。あなたの本気の想いだから届いたのです。感謝します」


 虎丸は大げさに頷きながら調子のいい返事をするが、照れ隠しだ。


「うんうん、最高に決まってましたよねぇ。それやのに、なんでまだオレは殴られとるんやろか。オレの情熱的な台詞に感動して暴力ふるうんはやめました、ってオチにならんとおかしいのに」

「あーあー、疲れたー、腹減ったー」


 当の紅は文句を言いながら、虎丸の背中をぽこすかと拳で叩いている。手加減するようになっただけよかったと思うしかない。


「紅ちゃん、顔まで傷だらけやん。跡残るでぇ」

「いーよ、そんなんべつに」

「せめて、応急処置をしておきましょう」


 八雲はペンを取り出して、紅の顔に『殺菌』の字を書いた。


「インクなんかつけたら、もっとバイキンはいりそぉ」

「特別な字なので入りません」

「あ、じゃあ。オレの顔に『男前』って書いたら、男前になれます!?」

「やってみてもいいですが──」


 虎丸の額にわざとらしいほど達筆な『男前』の二文字が書かれるが、本人に変化はない。


「──失敗です。書いた私に信じる心が足りないようで、うまくいきません」

「オレの可能性をもっと信じて!!」


 そのやり取りを見ていた紅が、楽しそうに笑いだした。


「ふ、あはは! 莫迦(ばか)だろ、オマエ!」

「紅ちゃんもなかなか間抜けな顔しとるで!?」


 顔に文字を書かれた二人は、まるでお正月の羽つきで負けたみたいだ。互いに見合って、笑う。


 紅はカラッとしていて明るい娘だが、警戒心が強いのか出会ったばかりの虎丸に対しては伏し目がちの皮肉っぽい笑みを向けるのみだった。

 落ちる夕日の中、この子はこんなふうに笑うのかと、新米編集者は性別不詳娘につい見とれてしまうのだった。

 めったに表情を変えることのない八雲も、一歩後ろで柔らかく微笑んでいた。


 なごやかな空気が流れたところで。

 虎丸は、もやもやとしていた疑問を新世界派のふたりにぶつけた。


「あの~。人間の感情やら、書かれた文字が形になって出てくるってのはわかりました。きわめて現実主義のオレもこの目で見てしもうたからにはしゃあないんで納得します。そんで、八雲先生たちは、なんでアレと闘っとるんですか?」


 虎丸の質問を聞いた紅は馬鹿にしたように肩をすくめ、鼻で笑った。


「オマエにもサルにもわかるようにすっげ簡単に言うとな? おれたちの体にある白い文字の刻印に、キラキラしたのが吸い込まれていくのは見ただろ。要は、感情を集めてんだよ」

「サルと並べられた~。集めるって、なんのために……コレクション?」

「おや、あそこに立っているのは」


 八雲の声が会話を遮断する。

 あ、これ結局うやむやになるやつや、と虎丸は勘づいたが、八雲の指差す先にいる人物を見て──すべてが吹き飛んでしまった。


「おーい、(あかね)!」


 紅がその人物の名を呼ぶ。


「あら、紅ちゃん?」


 気づいて振り返ったのは、可憐な少女。

 下ろした長い赤髪の、後頭部の上あたりを結ってリボンで飾っている。矢絣柄の小袖に足元まである女袴、編み上げブーツ。

 紅も流行りの女学生スタイルだが、よりおしとやかだ。


「め、めっちゃ大和撫子……。え、ふたご??」


 虎丸が思わず漏らしたように、背丈はもっと高いが顔立ちは紅と瓜二つだった。


 しかし。

 同じ顔のはずなのに、立ち振る舞いのせいか圧倒的に可憐である。


「お客様ですか? わたしは紅ちゃんのいも……いも? 妹? の、茜です」


 不明瞭な言い方だが、それすら気にならなくなるほどの可愛らしさ。

 花のように笑って、少女は虎丸にお辞儀をした。

第二幕【茜さす君】 了

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